4月4日 食べられる抗体(4月1日Nature Biotechnologyオンライン出版)
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4月4日 食べられる抗体(4月1日Nature Biotechnologyオンライン出版)

2019年4月4日
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抗体を用いる世界初の治療を行なったのは、ドイツ留学中の北里柴三郎と同僚のベーリングで、当時は動物の体内にできる破傷風やジフテリア毒素に対する抗体を抗毒素と呼んでいた。それ以降、現代のオプジーボまで、血清療法といえば必ず静脈注射(もちろん腹腔内等の投与もあるが)、すなわち体内へ注射することが抗体治療の原則だった。

とはいえ、人間や多くの動物で乳児期の抵抗力は母親の母乳に含まれるIgAによって行われ、一定期間は抗体が循環にも取り込まれることは、自然では飲む抗体が可能であることを示している。

ここに着目したのが今日紹介する論文で、ベルギー ゲント大学から発表された。なんと、抗体を酵母に作らせて、家畜の餌に混ぜて消化管感染症を防げないか調べた論文で、4月1日Nature Biotechnologyにオンライン掲載された。タイトルは「Yeast-secreted, dried and food-admixed monomeric IgA prevents gastrointestinal infection in a piglet model (酵母により分泌された後、乾燥させて餌に混ぜることができる1価IgAは子豚を消化管感染から防ぐ)」だ。

このグループの目的は食べられる抗体を作ることで、そのためにこれまで様々な方法を試み、植物に作らせた抗体では成果をあげていたようだ。抗体はH鎖とL鎖からできている複雑なタンパク質であるため、血中では安定だが厳しい条件では失活が早いが、これまでの研究でL鎖のない抗体を持つラクダ科のラマを抗原刺激して誘導されたB細胞から抗原と結合するH鎖遺伝子をクローニングし、これをブタのIgAの定常部分と融合させ、これを植物や、酵母で合成できるようにしている。

モデルは養豚で問題になる大腸菌感染症を用いて、大豆に発現させた抗体の感染防御効果を調べている。結果は上々で、抗体を含む大豆を食べさせた子豚では、大腸菌を感染させてもすぐに便の中から大腸菌が消失する。

大豆を食べて子供の食中毒を防げるなら素晴らしいが、人間の場合大豆を生で食べることはないので、粉にしてから食べさせる工夫が必要だろう。

この研究では、大豆にこだわらず、もっと多くの抗体を安価に製造するため、酵母が利用できないかチャレンジしている。そして、最終的に酵母の培養液に分泌された抗体をなんと乾燥させ、一般飼料と混ぜて食べさせる方法を開発し、その効果を同じ観戦実験で確かめている。驚くことに、短い時間170度で消毒しても活性が保たれるようで、こうして出来た乾燥抗体は、大豆で作らせた抗体より効果が高いことを示している。

結果は以上で、IgAの安定性を改めて思い知ると同時に、L鎖がないラマの抗体の用途が今後ますます広がることを予感する研究だ。何れにせよ、消化管感染には抗体を食べる時代が意外と早く来そうな気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

4月3日 Trogocytosisがガン細胞のCAR-T抵抗性獲得のメカニズム(3月27日Natureオンライン掲載論文)

2019年4月3日
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ガン免疫の回避についての研究紹介2日目は、Trogocytosisの話だ。Trogocytosisはおそらく免疫学特有の現象だと思うが、抗原提示細胞(APC)上のMHCとT細胞受容体が結合した後、MHC+抗原の濃縮したAPCの細胞膜がT細胞に取り込まれ、その後T細胞の膜上に発現するという複雑な過程をさす。この現象はMHCだけに限らないようだが、T細胞の場合細胞内小胞に抗原とT細胞受容体コンプレックスができると刺激が維持されるように思えるし、キラーT細胞の場合T細胞表面に抗原が出てしまうと、今度はT細胞同士で殺し合いになるのでは、などと素人ながらに考えてしまうプロセスだ。

今日紹介する米国スローンケッタリングがん研究センターからの論文は、モデルマウスを用いた白血病のCAR-T抵抗性獲得にtrogocytosisが重要な働きをしていることを示した研究で3月27日にNatureにオンライン掲載された。タイトルは「CAR T cell trogocytosis and cooperative killing regulate tumour antigen escape(CAR-T細胞のthrogocytosisと協調的細胞障害がガン抗原の逃避を調節している)」だ。

CAR-Tは原理がシンプルで、抗原からキラーまで全て治療側の手の内にあるので、高い効果を発揮し、ガン免疫治療の切り札として期待されているが、それでも一定の割合で再発が起こる。この研究は、ガンがCAR-Tから逃避するメカニズムを動物実験解析することを主目的としている。使ったのは現在ヒトで使われている、CD19を発現した白血病と、CD19抗体を抗原認識に使うキメラT細胞受容体を持つCAR-Tだ。この時、異なるcostimulatoryシグナル分子を持つCAR-Tを使っている。

CAR-T治療で問題になるのは、移植する細胞数が少ないと再発することだが、このとき何が起こっているのかを調べてみると、早期から白血病側のCD19の濃度が低下し、さらにCD19がT細胞側に移っていることを発見する。すなわちTrogocytosisによりガン抗原がCAR-T側に移動していることを発見する。

この現象が発生すると、後からフレッシュなCAR-Tを追加しても、ガンを制御することはできない。すなわち、抗原自体の濃度が低下してしまっている。したがって、最初から十分な数でガンを叩くことの重要性を強く示唆している。

そして、一個のがん細胞を培養中で殺す実験から、コシグナル分子としてCD28の細胞内ドメインを使うCAR-Tの方がより迅速にガン細胞を殺すこと、また一個の癌に対してCAR-Tの数が増えるほど細胞障害の効率が高まることを示し、中途半端に細胞障害性が発揮されるとtrogocytosisが起こることから、治療の鍵はtrogocytosisが起こるより前にガンを殺すことであることを示している。

そしてこの結果に基づき、CD19とCD22の2種類のガン抗原に対して、それぞれcostimulatorシグナル分子を変えた2種類のCAR-Tを用意することで、より失敗のないガン制圧が可能であることを示している。

以上が結果で、中途半端なCAR-T治療が trogocytosisを誘導することが、ガンのCAR-T抵抗性の主因であることを示した点では重要な貢献だと思う。確かに2種類のCAR-Tという方法もあるが、十分な数のCAR-Tを用意して治療することが現在取りうる最も重要な戦略であることがはっきりしたと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

4月2日 ガン組織でのカリウム上昇がT細胞の成熟を抑制する(3月29日号 Science 掲載論文)

2019年4月2日
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CAR-Tやチェックポイント治療の実現で火がついたガン免疫研究は、研究分野の多様性を生み出し、論文を読んでいるとこんなことまで研究されているのかと、驚くことが多い。今日、明日と先週発表された中から、そんな例を2編紹介したいと思う。

今日紹介する米国、国立衛生研究所からの論文は腫瘍組織で起こるネクローシスにより局所濃度が上昇すると考えられるカリウムがT細胞の細胞障害性にどのような影響があるかを調べた論文で3月29日号のScienceに掲載された。タイトルは「T cell stemness and dysfunction in tumors are triggered by a common mechanism(腫瘍組織でのT細胞の幹細胞化と機能不全は同じメカニズムで誘導される)」だ。

この研究も最近目につく、ガンやキラーT細胞の代謝の変化が及ぼす機能や分化への影響の実験と言えるが、カリウムが上昇する状況に注目した点が変わっている。言われてみると確かに、ガン治療によりガン細胞の多くが死んでいる環境では、細胞内から流出したカリウムが上昇していることは十分考えられる。とすると、腫瘍部位にT細胞が浸潤していてもガン免疫がうまく働かないことも、この環境変化から説明することができる。

この研究ではガン組織で見られるカリウム濃度40mMにT細胞を晒した時に起こる遺伝子変化を調べ、カリウムが上昇すると栄養分の吸収が低下し、その結果細胞内での熱代謝が低下することを明らかにする。すなわち、カリウム上昇だけで、栄養飢餓が起こったことと同じになる。その結果、当然のように細胞でのオートファジーが上昇して、エネルギー自給体制へのプログラム変化が起こり、ミトコンドリアでのエネルギー代謝が高まる。

影響は代謝だけにとどまらない。ミトコンドリアでのアセチルCoAの消費が上昇し、核での利用できるアセチルCoAが低下すると、今度はヒストンのアセチル化が低下し、転写のエピジェネティックプログラムが変化する。これ自体は遺伝子特異的とは思えないが、おそらくその時の分化状態が優先されるのか、T細胞の成熟が抑制され、未分化状態を保つ事になる。実際、カリウム濃度が上昇しても、T細胞は死ぬわけではなく、成熟が抑制されたまま生存し、状況が変わるとキラーT細胞として働くことを示している。T細胞移植でガンを殺す実験系で見ると、高いカリウム濃度で培養した方が、キラー活性が高いことから、細胞を未熟状態で維持することの有効性を示している。

あとは、この回路の中心がアセチルCoA代謝であることなどを示し、この回路をこの経路の操作により変化させられることを示している。

結果は以上で、面白い視点だと思うが、臨床的に最も重要な発見ではないかと思えるのは、高いカリウム濃度、あるい細胞内でのアセチルCoA合成を低下させる条件でT細胞を培養した方が強いキラー細胞を試験管内で誘導できる点だろう。腫瘍細胞内では、これがガン細胞を守っている条件だが、試験官内では分化能を保って細胞を増殖させるというメリットがあるようだ。腫瘍浸潤T細胞を試験管内で増殖させて治療する臨床試験が報告されているが、実際には失敗も多い。もしカリウム濃度を上げて培養することで、安定した浸潤T細胞が得られるなら、これは大きな進歩になるような気がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

YouTube「西川伸一のジャーナルクラブ」配信のお知らせ

2019年4月1日
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4月から「西川伸一のジャーナルクラブ」と題して、論文ウォッチで紹介した論文の中から1−2編を選んで、詳しく動画で解説します。https://www.youtube.com/watch?v=bSNPBMxtr34 をご覧ください。

最初は、明日の5時から3月に紹介したアルツハイマー病関係の論文を私一人で解説する予定ですが、まず練習で、ライブ配信がうまくいくかどうかはわかりません。その場合も録画を配信する予定です。

カテゴリ:メディア情報

4月1日 アフリカでの人類形成(Scientific Reports: 9:4728 https://doi.org/10.1038/s41598-019-41176-3 掲載論文)

2019年4月1日
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昨年9月南アフリカBlombos洞窟で発見された少なくとも7万年前の線描画についての分析結果についてのNature論文について紹介したが(http://aasj.jp/news/watch/8978)、アフリカでの人類形成は、これまでユーラシアでの研究では分からなかったことが明らかになるとしてホットな分野になってきた。事実、ヨーロッパやアジアでのホモ・サピエンスの足取りと比べると、アフリカ内での人類形成についてわかりやすく述べた本や総説はあまりお目にかからない。最近読んだ中で敢えてあげるとするとGary Tomlinsonの「Culture and the course of human evolution」は、言語や音楽など文化の進化がテーマだが、アフリカでの人類形成についてもよくまとめられている気がした。

Tomlinsonはモンテベルディについての著書もある音楽史の研究者だが、情報科学、生物学、人類学、言語学、哲学にまたがる広い知識を基礎に優れた著書を発表している、Musicologyの教授を超えた科学者だと思う。残念ながら翻訳された著書はないが、若い人には是非一読を進めたい人だ。現役を退いてから、なんとか高いレベルの脳を形成してから死にたいと思って研鑽しているが、到底及ばないと諦めてしまう人の一人だ。

Tomlinsonについて書きすぎたが、今日紹介する論文は彼とは無関係で、ポルトガルMinho大学からの論文で、アフリカでホモ・サピエンスが形成される過程を現代人のミトコンドリアゲノムから再構成しようと試みた論文でScientific Reports(9:4728 | https://doi.org/10.1038/s41598-019-41176-3)に掲載された。タイトルは「A dispersal of Homo sapiens from southern to eastern Africa immediately preceded the out-of Africa migration(出アフリカに先立つホモ・サピエンスの南アフリカから東アフリカへの移動)」だ。

アフリカのホモ・サピエンスは様々な場所で独立に文化を発達させたと考えられるが、それでも様々な文化的共通性が存在する。すなわち、人的な交流があったと考えられるが、これが交雑を通じた融合で進んだのか、人間の移動に伴う文化の伝搬によるものなのか議論が行われている。特に、アフリカはミトコンドリア型で、L0と呼ばれるホッテントットに代表される南アフリカ民族と、L1を持った中央(西も含む)、東アフリカタイプに区別されている。

この研究ではアフリカ各地域の現代人のミトコンドリアゲノムおよびゲノムの多型を調べ、アフリカ内での2系統の動きを再構成した研究で、研究レベルとしてはなんということもない論文だが、これまでの問題をよくまとめてあり、明確なquestionを持って見直せば、新しい発見があるという典型的な論文だ。また、アフリカでの人類史について頭の整理には最適の論文だと思う。

さて結果だが、約20万年前に共通のイブから分かれた2系統はその後ほとんど交雑することなく、南、中央、東アフリカに限定して文化を発展させており、7万年になるまでほとんど地域間の異動はなかった。しかし、7万年前、おそらく大きな気候変化を引き金に、南の民族が中央アフリカへと移動し、また東アフリカの民族の一部は中央アフリカに移動する。実際、東アフリカでの人口増大は、この移動をきっかけとして起こっている。また、民族間の交雑は、中央、東アフリカのBantu民族が拡大するまで、限定的であったことを示している。もちろんこの結論については再検討が進むと思うが、アフリカの古代文化を理解するための重要なたたき台になると思う。この論文では出アフリカを7万年より少し前としている点で、10万年前と考えていた私自身の理解と少し異なるが、内部での民族移動については頭の整理ができた論文だった。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月31日 食塩を感じるサーキット(3月27日Natureオンライン掲載論文)

2019年3月31日
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顧問先の研究員の人に面白いと勧められて、英国人Bee Wilsonが児童の食について書いた「First Bite: How we learn to eat」を読んでいる。子供の食に関する100年以上にわたる実験や調査が紹介された良書だと思う。その中にイスラエルの医師Jacob Steinerが赤ちゃんの表情をビデオに撮りながら、甘み、苦味、酸味、そして塩などで舌を刺激し、それぞれの基本の味に対する反応を調べた実験が紹介されている。予想通り甘味には舌舐めずりと喜びの表情、苦味には惨めな表情を、そして酸味に対しては口をつぼめたが、おそらく嫌がって泣くのではないかと予想した塩味に対してはほとんど反応しなかったらしい。

この結果から、生命に直接関わる塩味は単純な感情とは異なるサーキットがあるのかななどと思っていたら、カリフォルニア工科大学の岡さんの研究室から、塩味を感じる脳のサーキットに関する研究が3月27日オンライン出版されたNatureに発表されていたので、早速読んでみた。タイトルは「Chemosensory modulation of neural circuits for sodium appetite(食塩を求める神経回路の化学感覚的調整)」だ。

ナトリウムは身体のホメオスターシスに最も重要な成分であり、もちろんこれまでもNaを感じる化学感覚の研究は多く存在している(私は読んだことはないが)。ただ、上に紹介したSteinerの論文からもわかるようにNaの直接刺激がどのような感情を誘導するのかははっきりしていなかった。

この研究では味覚受容体から直接刺激を受ける延髄の孤束核と連結しているpre-LC(青斑核の前に存在する小さな神経細胞の集まり)に焦点を絞って、これまで明確でなかったNaに対する欲求を調節する中枢があるのではないかとあたりをつけ、Na飢餓に陥るとpre-LCの中で体内麻薬の一つprodynorphinを発現する神経細胞が興奮することを突き止めた。

これがわかると、あとはこの分子を発現するpre-LCM神経を狙った光遺伝学などの遺伝子操作を用いてこれらの神経細胞の機能を調べることになる。詳細を省いて結果をまとめると、

  • Pre-LCが刺激されると、Naに対する欲求が高まる。この興奮は、Naの飢餓状態で起こる。
  • Na飢餓によるPre-LCの興奮はマウスには不快で、それを避ける行動をとる。すなわち、Na飢餓になると不快感が増して、その結果Naを摂取する。
  • Pre-LC刺激は、舌からでの味の刺激を受けた孤束核からの刺激で即座に抑制できる。しかし、胃に直接Naを投与したり、Kでは変化がない。すなわち、味わったことに反応して不快感がなくなるという回路を形成している。
  • また、不快感やその記憶に関わる分界条床核から抑制性の神経投射を受け、外部の化学刺激を内部の感覚と統合している。

話は以上だが、子供が塩を舐めさせられても、それ自身は興奮を抑えて不快感を収めているのだとすると、子供が大きな興奮を見せなかったSteinerの実験結果は当然だと納得した。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月30日 SlideSeq:組織学情報と細胞学情報の融合(3月29日号Science掲載論文)

2019年3月30日
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(この論文を含む最近の組織学的方法の革命については4月11日夕方7時より吉田医師を聞き手にYoutubeで動画解説を配信します。アドレスなどは詳細が決まってから連絡します。)

すでに「見るから読むへ」と紹介したように{in situ hybridization (http://aasj.jp/news/watch/8740) 抗体を用いた分子局在(http://aasj.jp/news/watch/8803 )}、今組織学的方法が大きく変化している。これまで見るために用いていた蛍光物質をやめ、プローブをバーコード化することで、原則組織上で検出できる分子の数の制限はなくなったと言っていい。とはいえ、このシステムはすぐ普及するとは思えないほど、組織上での一分子シークエンシングは大掛かりなシステムが必要だ。

これに対し、組織上での遺伝子解析を比較的簡単に使えるようになるかもしれないSlideSeqという技術がマサチューセッツ工科大学のグループにより3月29日号のScienceに発表された。タイトルは「Slide-seq: A scalable technology for measuring genome-wide expression at high spatial resolution (Slide-seq:高い空間的解像度情報を残したまま全ゲノムレベルの遺伝子発現を調べる普及型方法)」だ。

この研究のアイデアは2016年にカロリンスカ研究所がScienceに発表した、スライドグラスを100ミクロンサイズの異なるバーコードが貼り付けられたスポットで埋め、そこに組織を貼り付けて、mRNAをトラップさせるとともに、各場所に応じたバーコードを結合させる。その後、RNAをスライドグラスから回収して配列決定した後、バーコードのスライドグラス上の位置に応じて、遺伝子発現情報を空間的にスポットするという技術だ(http://aasj.jp/news/watch/5490)。

ただ、この技術では空間的解像度が100ミクロンと大きすぎるが、細胞レベルの大きさにプリントするのは難しい。この問題をバーコードをつけたビーズを敷き詰めるという技術で解決したのがSlideSeqで10ミクロンとほぼ細胞サイズのビーズをスライドグラスに敷き詰め、まずそれぞれのビーズのバーコードをシークエンサーを用いて決定する。すなわち、10ミクロンごとの異なるバーコードの空間上の位置決めをする。そこに凍結組織を貼り付けて、細胞ごとにRNAをビーズ上のバーコードと結合させ、その後ビーズを回収して、あとはsingle cell trascriptome解析を行う。こうして、各ビーズごとに遺伝子発現プロファイルが決定できるので、この情報をビーズの位置情報に応じて再構成すれば、組織上での遺伝子発現、細胞の種類などが高い解像度で特定できるという技術だ。

この方法だと、ビーズを敷き詰め、前もってビーズの場所とバーコードの地図を作ったスライドグラスを販売することが可能で、もちろん高価なものになるだろうが、基本的にどの研究室でも利用可能として普及できる。

少し心配する細胞の重なりなどだが、この方法ではスペースの八割で情報が得られ、その65%は単一細胞由来と考えられるということで、期待通りの解像度だと思う。あとは、特定の遺伝子の発現量をプロットしたり、細胞の種類は元より、例えば増殖細胞の特定、あるいはグリア反応など様々な機能的過程を組織状に再構成することができることを示している。

以上、このような技術があるのとないのとでは、出てくる情報の質が異なることは間違いがないが、SlideSeqが普及できるとしても、値段は高いと思う。この組織学的革命を大きなラボだけが導入できて、若い独立した研究者にハンディがつかないようぜひ対応策を考えて欲しいと読みながら思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月29日 アルツハイマー病に関する驚くべき新説(Nature Medicineオンライン掲載論文)

2019年3月29日
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今年に入ってから、すでに5回もアルツハイマー病に関する研究を紹介している。特に重点を置いているわけではない。要するに面白い論文が多い。この5編をざっと眺めなおしてみると、今後再現性を確認するという作業は必要だとしても、全て極めて新鮮な切り口の仕事であることがわかる。これらの論文は、アルツハイマー病の研究が現在極めて活発であることを示すとともに、この病気についてはまだまだわかっていないことが多く、Tauやアミロイドβで話を終わらせてしまうことの愚を戒めていると思う。

そしてまたスペインマドリードのオチョア分子生物学研究所から、極めて単純な免疫組織学的研究を用いてアッと言わせる研究がNature Medicineに発表された。タイトルは「Adult hippocampal neurogenesis is abundant in neurologically healthy subjects and drops sharply in patients with Alzheimer’s disease (多くの新しい神経細胞が正常人の大人の海馬で生成されているが、アルツハイマー病では急激にこの生成が低下する)」だ。

この研究の目的は、アルツハイマー病ではなく、成人の脳でも新たな神経が作られているかどうかを組織学的に確かめることだ。これまで、大気中の放射能を用いた仕事で、神経新生が大人になると起こらなくなるという考えは、必ずしも真実ではないと考えられるようになったが、より簡便な方法で研究できないと、どちらが正しいのか結論が難しかった。

この研究では神経生成のマーカーとしてのdoublecortin(DCX)陽性細胞が43-87才の人間の海馬にも存在するか調べている。なぜこんな簡単な研究が行われなかったのだろうと思ってしまうが、DCXは微小管と結合する分子であるため、固定の条件を極めて厳格にしないと検出できなくなるためで、この点を改良したことがこの研究のすべてと言えるだろう。

この結果、海馬の歯状回でだけDCX細胞が存在し、この細胞から派生したと考えられる分化細胞が順番に存在していることを様々な分化マーカーを組み合わせて確認している。すなわち、歯状回ではほぼ一生に渡って神経の新生と分化が進んでいる可能性が強く示唆された。

そこで最後に、では海馬が病変の中心であるアルツハイマー病ではこの神経の新生はどうなっているのか、同じ方法で確かめている。するとDCX陽性細胞は病気の初期から著しい低下が見られ、また、年齢とは無関係に病期に応じて低下していることを発見する。さらに分化マーカーを用いた研究から、神経細胞分化に伴う成熟過程がより強く抑制されていることが示され、DCX細胞の増殖はあっても、脳回路に統合できなくなっていることを示唆している。

私が知る限り、これまでアルツハイマー病は、分化を終えた神経細胞の変性として捉えるのが普通だった。今回の研究で、全く新しい視点、すなわち記憶に関わる海馬での神経新生の異常が示されたことで、新しい展開が可能な気がする。

私はすでに70歳だが、現役時代より論文や本を読む時間が増えて、日常生活での物忘れはかなり重症だが、必要なことは結構覚えられることを実感している。さらにコンピュータによりこのような記憶が補完できているので、より脳の働きが増したように感じている。その意味で、80歳を超えても海馬の神経新生が活発であることを示したこの研究は納得できる。

スペインは神経は再生しないと考えたカハールの出身地だが、同じスペインから、研ぎ澄ました組織学で新しい概念が提案されたのは、感慨が深い。と言っても、そのまま信じられるかどうかは、今後の研究が必要だろう。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月28日 妊娠中のアレルギー反応が、子供の行動の性差に影響する(3月18日Scientific Reports掲載論文)

2019年3月28日
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つい先日、マウスモデルとはいえ新生児の行動の性差を、ミクログリアの貪食能がテストステロンにより上昇することが主原因で、これにより新たに作られた神経細胞がオスで減るという、少なくとも私にとっては驚くべき論文を紹介した(http://aasj.jp/news/watch/9859)。

まだまだ信じられないと思っている矢先に、今度はアレルギーのエフェクター細胞であるマスト細胞が発達期の脳内に存在し、この活性化がオスをメス化、メスをオス化するという、さらに驚くべき論文を読んだので、紹介することにした。オハイオ州立大学からの論文で3月18日Scientific Reportsに掲載されており、タイトルは「prenatal Allergen exposure Perturbs Sexual Differentiation and Programs Lifelong Changes in Adult Social and Sexual Behavior (出生前のアレルゲンへの曝露は性的分化を変化させ、生涯にわたる社会的性的行動をプログラムする)」だ。

先日紹介した論文も含め、男女の行動差を作る脳の構造が血液系の細胞で作られるとは、個人的には驚きだが、こんなに論文が続くと、可能性を追求する人たちは意外と多いのかもしれない。このグループもミクログリア細胞がオスで多いことに着目して研究をしていたようだが、これに加えてアレルギーでヒスタミンなどの様々なメディエーターを分泌するマスト細胞がやはりオスで数が多く、しかも活性化されていることに注目し、マスト細胞の活性化が脳に働きかけて、オス型の行動パターンを誘導するという仮説を提唱してきたようだ。

今回の研究はこの延長で、もしマスト細胞の活性化が脳回路を変化させるのなら、妊娠中のアレルギー反応によって、この変化が起こってもいいはずだと、妊娠前に感作したラットの妊娠中期に抗原を注射してアレルギー反応を起こさせ、生後の脳や行動の違いを調べている。

結果は予想通りで、抗原注射で胎児のIgEが上昇し、マスト細胞の数もオスメスを問わず上昇する。ただ、その結果起こるミクログリアの変化はドラマチックで、オスでは遊走が活発なアメーバー型ミクログリアが正常メスレベルに低下し、逆にメスでは正常オスレベルに上昇する。

おそらくこのミクログリアの作用で、視索前野のスパインと呼ばれるシナプス結合が、オスでは低下、メスでは上昇する。さらにこの変化は、特にメスで大人になっても持続する。ただ、この変化は一般的な炎症では決して起こらず、1型アレルギーとマスト細胞の活性化に特有だ。

最後に、この脳の変化が行動の変化につながるか調べており、マウンティングなどオス型の性行動がメスで優位に上昇する。一方、オスの方では少しメス化するが、程度は強くない。面白いのは、マウンティングの相手がメス特異的かどうかを調べると、オスではメスへの特異性が有意に低下する。メスでは逆にメス特異性が上がるが、その程度は低い。

以上が結果で、これをそのまま人間に当てはめてしまうと、妊娠中の花粉症で、子供の行動が中性化するという話になる。これが本当かどうか、人間ではより厳密な疫学調査が必要になると思うが、妊娠期間の長い人間で同じ話が通用するのか、私自身は疑問に感じる。人類は、直立原人の誕生とともに、男女の体格差がなくなり、おそらく一夫一婦制が始まったのではと考えられている。この意味で、もともと中性化の道を辿っており、この結果をあまり深刻に受け止めないほうがいいように思う。一方、アレルギーにしても、袁紹にしても、妊娠時期に経験すると、脳の発達に変化が起こることは確かで、なるべくこのような炎症から身を守ることは是非努めてほしいと思う。

カテゴリ:論文ウォッチ

3月27日 ワイン酵母Xサケ酵母=ビール酵母(3月5日号Plos Biology掲載論文)

2019年3月27日
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ゲノム解析論文で面白くかつ身近に感じられるのが、ビールやワイン、そして酒作りに使われる酵母のゲノムが研究で、酵母のルーツをたどり、それを利用する人間の歴史に想いをはせることができる。このブログでも昨年の4月にフランスストラスブール大学からの論文(http://aasj.jp/news/watch/8344)、また2016年9月にはベルギー・ルーベン大学からの論文も紹介した(http://aasj.jp/news/watch/8344)。

今日紹介するNYロチェスター大学からの論文は、4種類のビール醸造に使われる酵母のルーツを調べた研究で3月5日号のPlos Biologyに掲載された。タイトルは「A polyploid admixed origin of beer yeasts derived from European and Asian wine populations (ビール酵母はヨーロッパとアジアのワイン造りで使われる酵母の交雑と倍数化によりできた)」だ。

これまで紹介した酵母に関する研究は、人間により様々な目的で使われるようになった酵母全体を比較する研究だったが、今日紹介する論文は、Lager, ドイツのAle(ケルシュやアルトを指す)、英国のAle、そしてパン酵母と親戚のビール酵母の4種類の配列を詳しく解析し、これらのルーツをこれまで集まった酵母のゲノムデータと比べることで特定しようと試みている。

この研究のハイライトは、ヨーロッパのビール酵母が、アジアの酒づくりの酵母とヨーロッパのワイン酵母が交雑による組み換えによってまみじりあってできていることの発見で、例えばベルギービール酵母T58は4倍体だが、それぞれの染色体は酒にも使われるアジアの酵母と、ヨーロッパのワイン作りに使われる酵母のゲノムが混じり合って、染色体のかなりの部分を占めていることがわかった。実際には、Lager, ドイツAle, 英国Aleが別れる前に、アジアの酒酵母がワインの酵母と交雑して出来上がったと言える。

また、ほとんどのビール酵母は3倍−4倍体で、交雑が起こった後、美味しいビールを求める人間による選択圧で多倍化してできたことがわかる。またそれぞれの染色体は極めて多様で、多倍体化したあと大きく変化したこともわかる。

結果はこれだけで、素人にとっても、ビール酵母がまずワインと酒酵母が混じり合った後、独自に進化したという話は意外で面白い。ではこの交雑がどこで行われたのか、人為的か、自然に起こったのかなど肝心なことはわからないままだ。全ての酵母は中国に始まるが、この交雑はワイン酵母と酒酵母が別れた後起こっているため、それぞれの文化がシルクロードを通して交流する中で起こったと考えられる。

今後は、それぞれの酵母をどのように飼い慣らしていったのかの文化人類学的研究を深めて、今回わかった酵母ゲノムの結果と対応させることが重要になる。あのビールを着想し発展させた民族は誰なのか、興味が尽きない。

カテゴリ:論文ウォッチ