9月23日 サッケード運動補正の複雑さ(9月14日 Nature オンライン掲載論文)
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9月23日 サッケード運動補正の複雑さ(9月14日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月23日
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私たちの目は常にせわしなく動いている。人間のように中心窩に中心視野が固定される場合は、視野を無意識に様々なポイントに向けて全体を合成することが必要だが、中心窩のない動物でもサッケードは起こることから、視覚の統合に重要な働きを持つと考えられている。

今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、サッカードによる視覚認識調節回路を明らかにした研究で、なんとなく自己と外界の認識についての私の妄想をかき立ててくれた。三浦さんが筆頭著者とコレスポンデンスになっているので、ほぼ一人で研究が行われたと想像するが、複雑な現象を整理する神経科学者の能力にはいつも感心する。タイトルは「Distinguishing externally from saccade-induced motion in visual cortex(サッケードにより起こる視覚野の運動を外から区別する)」だ。

サッケードの研究は、目の動きと脳の反応を同時に記録する必要がある。この研究ではまず、自由に動いているマウスについて、これを記録して、サッケードとはどのような動きで、それが視覚野の神経活動にどう関わっているか調べている。驚くことに、マウスの頭に小型カメラを装着し、視覚野にクラスター電極を装着し、これを実現している。

この結果、サッケードは縦横斜め様々な方向に起こっていること、それぞれの神経反応は、サッケードの方向にリンクしていること、そして10ms前から反応が始まり、運動後にピークに達した後、興奮が続くという共通のパターンを持つことを明らかにしている。

次に同じ動物の頭を固定し、サッケードを調べると、ほとんど水平方向のサッケードに限局されるが、固定しないマウスとほとんど同じパターンの反応を示すことを確認している。

次に、サッケードに対する反応を、視覚的に像がずれることによる反応と、像のずれとは別に、目の運動から来る反応に分離を試みている。この時、頭を固定したマウスに水平に動く縞模様を見せて、サッカードと同じような動きを誘導したときの反応と、縞のない灰色の画面を見せたときの反応を比べるなど、工夫に満ちている(専門外なので、この工夫がオリジナルかどうかは判断できないが)。

これに加えて、目に神経遮断剤を注射して、完全に視覚による像のずれを感じなくなったマウスの反応を比べ、最終的にサッケードに対する一次視覚野の反応が、像のずれによる視覚的刺激と、視覚とは全く関係のない目の運動に関わる刺激に分離できることを明らかにしている。

こうしてサッケードの二つのルートを明らかにした上で、視覚野へのインプットルートを調べ、視床枕から視覚野へのインプットが、視覚非依存的で、目の運動の方向性にリンクしたサッケード運動に対する視覚野の反応を決めていることを明らかにしている。

サッケードは、目が動いて像がずれるのに、イメージがずれないサッケード抑制と関連して研究されてきた。当然この研究も、この問題を理解する上で大きな貢献をしている。特に視覚のずれを、さらに運動と統合させて、ずれるイメージを抑制して安定なイメージを浮き上がらせるという考えは、説得力がある。

ただ私自身としては、この論文を読んで、デビットヒュームが、いくら頑張っても自分の脳を認識できないことは、自己など存在しないと結論していることを思い出した。確かに、自分の脳は感じられない。しかし、自分の脳は常に自己性を身体から確認している。私たちの認識が視覚に大きく依存しているとすると、サッケードは自己を脳に伝える重要な仕組みである様に思う。ヒュームやデカルトを超えた自己の姿が脳科学にはある。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月22日 腸内細菌叢のエコロジー:2,モデル細菌叢をデザインする(9月15日 Cell オンライン掲載論文)

2022年9月22日
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昨日紹介した様に、私たちの腸内に形成された細菌叢は、便移植のような多様な細菌叢移植ですら外からの細菌を簡単に受け入れない安定性を保っている。このことを裏返せば、一つの細菌の効果を調べるためには、無菌動物にそれぞれの細菌を移植するノトビオティック実験が必要になる。

逆に、乳酸菌やビフィズス菌でも、健康な細菌叢に割って入るのは簡単でなく、ヨーグルトの効果について軽々に結論することがいかに困難かがわかる。とは言え、今後正しく菌を用いるプロバイオティックスの効果を調べる意味では、再現可能な複雑さを保った人工細菌叢を移植した動物を用いて、移植した細菌がその中で増殖、効果を示すかどうかを調べる実験系が必要になる。

今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、私たちの腸内細菌叢の機能をほぼ再現するためにはどの程度の複雑性を持つ細菌叢をデザインすればいいのか調べた研究で、9月15日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Design, construction, and in vivo augmentation of a complex gut microbiome(複雑な腸内細菌叢をデザインし、構成し、体内で増強する)」だ。

我々の腸内に存在する細菌の種類はおそらく1000種類に達するのではと思う。これらが複雑に絡み合って、外来細菌の侵入を許さない細菌叢を形成しているのだが、実際には何種類の細菌があれば、機能的に安定した細菌叢が実現するのか、よくわからない。結果、善玉菌とか悪玉菌とか、ここの細菌と細菌叢をごちゃ混ぜにした説明が横行することになる。

この研究では、まずデータベースからほとんどの人に存在することが確認される約100種類の細菌からスタートして、これを無菌動物に移植、その安定性を便移植での細菌の置き換わりを指標に調べ、必要とあれば100種類に新しい細菌種を加えて、もっと安定な細菌叢をデザインするという方法をとっている。

まず、100種類の細菌全てを一つの培地で培養すると、ほぼ全てが維持されるが、頻度は多い種類で数10%、少ない物では10万分の1まで大きく変化する。すなわち、菌同士の相互作用を通して、それぞれ一定の比率に落ち着く。勿論、一つのアミノ酸を培地から抜くだけで、一部の細菌の頻度は大きく変化するが、システインのような大きな影響のあるアミノ酸を除くと、それでも全体としては恒常性が維持される。

次にこの人工細菌叢を無菌マウスに移植し8週間待つと、さらに頻度はばらつくが、ほぼ全ての細菌が維持される。すなわち、体内でも同じ状態を保つ人工細菌叢が形成されたことになる。

このマウスに、今度は正常人の便を移植し、人工細菌叢構成種以外の細菌がどの程度増えてくるのかを調べると、なんと100種類でも外部からの異なる細菌の侵入を防ぐ性質を持つ細菌叢が形成されている。しかし、おおよそ10%程度は、外来の細菌が増殖することから、100種類で形成させた細菌叢にもまだ空白のニッチが存在し、そこに他の細菌が入り込む余地があることを示している。

そこで新しく増えた種類の中から22種類の細菌を選び、100種類に加えたバージョン2細菌叢を形成させて無菌マウスに移植すると、さらに外来の菌を受け入れない人工細菌叢が形成される。

このバージョン2を移植されたマウスと、便中の全ての細菌を移植したマウスを比べると、免疫細胞や代謝状態でほとんど差はなく、人工細菌叢でも機能的には自然の細菌叢に匹敵すると言える。

最後に、病原性大腸菌が侵入したときの防御力についても調べ、増殖を100倍以上抑える力があることを示している。これは重要で、人工細菌叢なので、一部の細菌だけを欠損させることは自由に行える。その結果、大腸菌の抵抗性に関わる主要な菌を特定することにも成功している。 以上が結果で、私は細菌叢の複雑性の意味を問うための重要な一歩が示されたと思う。今後は、これまで評価が難しかったプロバイオやプレバイオの実験も、客観性と再現性がさらに備わってくるように思う

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9月21日 腸内細菌叢のエコロジー:1、便移植のダイナミックス(9月15日 Nature Medicine オンライン掲載論文)

2022年9月21日
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腸内細菌叢研究が大きく飛躍したのは、次世代シークエンサーを用いて存在する細菌の種類を原理的には完璧にとられられる様になったからだ。最初、複雑な中にも特定の法則を抽出できるのではと研究が進んだが、結局存在する細菌の種類を決めるだけでは、なかなか決定的なことが言えないことがわかってきた。その結果、複雑な細菌叢の中でも重要な働きをしている細菌を特定して、その機能を深く追求する研究が、最も関心を引く分野になってきている。

それでも細菌叢の構成を決める法則性についての研究も続いている。というのも、例えば食品として摂取する細菌の動態を知る意味では、この方向の研究は欠かせない。そこで、最近発表されたこの方向性の研究を今日から2回に分けて紹介する。最初はドイツ ハイデルベルグにあるヨーロッパ分子生物学研究所からの論文で、便移植により導入された細菌叢とホストの細菌叢のダイナミックスを追いかけることで、細菌叢成立の法則を探った研究で、9月15日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Drivers and determinants of strain dynamics following fecal microbiota transplantation(便移植後の細菌種のダイナミックスを決めるドライバーと要因)」だ。

私のような素人にとって、移植した細菌に印がついていないのに、本当にホストとドナーの細菌叢のダイナミズムを把握できるのか、今も理解できているわけではないが、移植前のレシピエントとドナーの細菌叢を把握しておけば、統計学的には可能なようだ。いずれにせよ、膨大なデータで、図が複雑すぎて、本文のガイドがないと全く理解できないという状態なので、面白いと思った点を箇条書きにする。

  1. 便移植は、クロストリジウム感染症や、炎症性腸疾患の治療のために行われる。そして、全例ではないがかなりの確率で効果が見られることから、移植した細菌叢でレシピエント細菌叢が置き換わることが、治療効果だと考えられてきた。たしかに、クロストリジウム感染症では、ドナーの細菌叢への置き換わりが強く見られるが、それでも置き換わりの程度と、治療効果の相関はほとんどない。他の疾患ではこのことはもっと明らかで、単純にドナーにより置き換えられるので治療効果が得られているのではない。
  2. これまで、短鎖脂肪酸合成菌の拡大が、クロストリジウム感染症や炎症性腸疾患の成功と相関するとされてきたが、今回の1500例近い解析からは全く相関は見られなかった。
  3. 400近い変数を用いて推計学的に調べると、移植後の細菌叢の構成を予測できる要因のほとんどは、移植前のレシピエントの細菌叢の構成に依存しており、ドナーの細菌叢の構成の影響はほとんどない。クロストリジウム感染症でドナーの細菌叢への置き換わりがはっきりしているのは、感染症では細菌叢が正常から大きく変異している結果と考えられる。
  4. 一般的に健康的細菌叢は、変化しにくい恒常性を持っている。これは、いくつかのバクテリア種が、外からの細菌を排除するゲートキーパーの役割をしているからだが、ドナー側の同じ細菌がホストの菌の排除に関わることはほとんどない。
  5. ドナー側の細菌では、好気性菌は元々ホストで増殖しにくい。一方、ブチル合成菌やプロピオン酸合成菌は移植成功率が高い。
  6. 細菌種どうしで、ゲートキーパー菌との相性があり、相性が悪い菌は排除されやすい。
  7. 様々な変数を加えても、便移植の結果を予測する正確性は高くない。従って、便移植の結果を予測するためには、ウイルス、カビ、あるいはホストの免疫系など、さらに多くの要素を加えた機械学習が必要。

まだまだ紹介し切れていないと思うが、要するに細菌叢の構成を調べるだけでは、便移植の最終的なエコロジーと病気の治療効果は予測できないほど、細菌叢は複雑だという話になる。明日は、この複雑性をもう少し整理した人工細菌叢で代表させる話を紹介する。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月21日(明日)午後7時からジャーナルクラブを開催します。

2022年9月20日
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8月31日、論文紹介でインドヨーロッパ語の起源をゲノムから探った上記論文を紹介(https://aasj.jp/news/watch/20429)しましたが、重要な論文なのでジャーナルクラブとして詳しく紹介します。

YoutubeのURL : https://www.youtube.com/watch?v=AJAqlSh9-2w

また直接参加したい人は、メールでリクエストして頂ければ、zoom URLを送ります。

カテゴリ:セミナー情報

9月20日 行動習慣とゲノムの相関(9月7日 Nature Genetics オンライン掲載論文)

2022年9月20日
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私たち人間のゲノムは、大体1000塩基に一つは配列に違いが存在し、この多型の組みあわせの違いが、個人から民族までの遺伝的違いを形作っている。この解析が可能になったおかげで、病気や様々な身体的特徴と関連することが統計学的に示される多型が現在数多くリストされている。ただ、この HP で何度も紹介しているように、それぞれの多型が、それぞれの形質にどう関わるのか特定することは簡単ではない。中でも生活習慣に関わる多型の解析には、生活習慣そのものが大きく影響し、さらに習慣もゲノムの影響を受ける可能性がある。例えば、肺がんのリスク多型の中には、喫煙が習慣性になるゲノム多型が含まれる可能性が考えられる。

今日紹介する米国マウントサイナイ医科大学と、スウェーデンウプサラ大学を中心に200近い研究機関が集まって発表した論文は、肥満や高脂血症と言ったメタボに直結する行動習慣と相関する1塩基多型(SNP)を調べた研究で、9月7日 Nature Genetics にオンライン掲載された。タイトルは「Genome-wide association analyses of physical activity and sedentary behavior provide insights into underlying mechanisms and roles in disease prevention(運動と座って動かない行動についてのゲノムワイド相関研究は行動の背景のメカニズムと病気予防に示唆を与える)」だ。

UKバイオバンクをはじめとして多くのデータが蓄積されることで、このような研究が可能になっている。この研究では、メタボに関わる習慣を調べるため、休日に強めの運動をするか(MVPA)? 休日は座ってテレビを見たりパソコンに向かっていることが多いか(LST)? 仕事中はほとんど座っているか? 通勤は車か? の4つの質問についての自己申告による答えを相関させている。

この分野に詳しくないと、行動とゲノムの相関と聞いて奇異に思われるとおもう。ただ、100万人近いデータがあると、どんな行動調査を取り上げても、相関のある SNP は出てくるものだ。実際この研究で、4つの質問に関して99の SNP がリストされている。後は、統計学的に有意かどうか、遺伝子発現パターンとの相関、他の形質との関係などを重ねて、その相関の意味を探っていくことになる。

次に、他の形質との相関を調べると、LST が低い(座っている時間が少ない)ケースや、MVPA が高い(よく運動する)ケースでは、BMI や高脂血症リスクが低いことがわかる。さらに、MVPA の高い人は、心臓病のリスクも低下している。

なるほどと思うが、この相関は、行動が先か、身体的性質が先かが問題になる。これについてはどちらが原因かを調べるソフトがあるようで、例えば BMI と LST で言うと両者が密接に関わる以上に、白黒をつけることは難しいが、傾向としては今回リストされた SNP はまず LST と相関し、その結果として BMI が来ると結論している。

行動に関わる遺伝子なので、当然脳神経系に関わる遺伝子を想像するが、単純ではないようだ。勿論ドーパミン神経に関わる遺伝子と MVPA との相関、ご褒美回路に関わる遺伝子、さらには網膜や視覚野に関わる遺伝子などがリストされ、なるほどと思えるが、面白いことに APOE や αアクチンのような、脳とは無関係の遺伝子がリストされてきたため、この2種類の多型についてさらに詳しく調べている。

まずアルツハイマー病との相関が知られている APOE の SNP、rs439538がCで、LSTが低いことは有意の相関が存在する。なぜ座らずに活動的な形質とアルツハイマーリスクが一致するかはわからないが、本当なら面白い。

さらに、休日の活動性と相関する αアクチンの多型はコーディング領域にあるため、さらに詳しく調べ、なんと行動的なヒトはアクチンの構造がフレキシブルで、運動によるアクチンのストレスが少ないことを示している。これが本当だとすると、筋肉の機能に合わせて活動性が上昇することになり、よく出来た話だ。

以上、この結果だけで何か結論するのは早い気がするが、行動とゲノムというかけ離れた領域を結びつける地道な研究が今後も重要だ。

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9月19日 自立生命を細胞由来成分から再構成する(9月14日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月19日
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引退してからは、生物が存在しなかった地球に生命が誕生する Abiogenesis 過程や、全く新しいコミュニケーション手段としての言語の誕生過程など、創発と呼ばれるプロセスを自分なりに理解したいと思い、論文や本を集中的に勉強し、自分なりに納得いく説明ができるようになった。そればかりか、いくつかの大学ではこれらのテーマについて講義をする機会があり、若い人たちとこの問題について意見交流を続けている。

しかし、この分野の文献を漁り始めた10年前と比べると、Abiogenesis や言語誕生に関する研究は注目度も高くなり、多くのトップジャーナルに掲載されるようになった。当然のことながらこの大きな問題へのアプローチは多岐にわたっており、どれが Abiogenesis 研究に関連するかなど判断は難しい。

比較的歴史のある Abiogenesis 研究の一つの方向は、生物を一度解体して、再構成するアプローチで、例えばマイコプラズマのゲノムを入れ替えるといった研究もこれに入る。

おそらくこの中でも中心は、生物過程を人工的に合成した細胞様のコアセルベートの中で再構成する分野だと思うが、複雑な生命維持システムを閉じ込めること自体が難しい課題として立ちはだかる。今日紹介する英国ブリストル大学からの論文は、創意の溢れる方法で、バクテリアを解体して得られる様々な生命維持システムをコアセルベートの中に閉じ込めることに成功した画期的研究で、9月14日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Living material assembly of bacteriogenic protocells(バクテリア合成に向けた原子細胞に生命分子を集める)」だ。

生命分子をバクテリアから集める実験は、細胞を一度完全に溶かして構成分子のみにするところからスタートするが、これを細胞レベルの限られた空間で実現できないと、分子が分散して、機能再構成は不可能になる。すなわち、勝負はこの問題の解決する方法に尽きるが、この研究ではコアセルベートの中に前もって生きた細菌を取り込んだ後、そこで細菌を分解して成分を閉じ込める方法を開発して、この課題を克服している。言ってみれば、普通の逆の方向性で細胞成分をコアセルベートに閉じ込めるのに成功している。

説明すると、diallyldimethylammonium chloride と ATP からできたカプセルを用いて、大腸菌のコロニーと、緑膿菌のコロニーを同時に混合すると、不思議なことに、大腸菌はコアセルベートの内部に緑膿菌が外部に分離したコアセルベートを30%ぐらいの確率で得ることができる。

このカプセルを、今度はライソゾームや細胞膜に穴を開けるメリチンなどで処理し、最後に低浸透圧にさらすことで、生きた細胞を完全に分解すると、膜は緑膿菌から、細胞質は主に大腸菌に由来する分子を持つ、独立したコアセルベートが完成する。

この中には大腸菌と同じ分子が一定程度含まれているので、様々な酵素活性を細胞質内で検出できる。しかし基本的にはほとんどの分子が均質に分布した分子スープ状態になっている。

この中の核酸を凝集させて核のような構造を取らせるため、このグループはなんと相分離技術を用いている。すなわち、ヒストンと CM-デキストランを加えると、核酸が相分離して凝集した核構造を作ることができる。

さらにここに G-アクチンを加えると、一種の細胞骨格が形成されるとともに、コアセルベートの中に水を含んだ小胞を形成させることができる。

この中でも一定の ATP 合成は短期間観察できるが、これだけでは形態などシステムの維持は難しい。そこでミトコンドリアの代わりに、生きた大腸菌をコアセルベートの中に取り込ませると、持続的 ATP が観察され、様々な分子の合成が続く。このことは、時間と共に細胞膜がしっかりして、大きな分子を通さなくなることから確認できる。

こうして順番に構造を獲得させた細胞は、48時間以内にアメーバ状のコアセルベートへと展開し、分裂はしないが細胞自体は成長し、エネルギー源の大腸菌も増え、少なくとも1週間以上形態を維持することができる。

結果は以上で、最終的には雑誌を手に取って、作りあげられた細胞の形態や構造を見てほしい。しかし、分解した分子から生命を再構築するという目的に向けて、大きな一歩になるのではとワクワクしている。

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9月18日 細菌、バイオフィルム、ホスト細胞の全てに働く難治性皮膚潰瘍薬(9月14日 Science Translational Medicine 掲載論文)

2022年9月18日
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難治性の皮膚潰瘍は現代医学が取り組むべき重要な課題だ。今は元気にしておられるが、痛覚がないため小さな皮膚の傷が、難治性の皮膚潰瘍に発展して、外科治療のために何度も入院を余儀なくされた、脊髄損傷を持つ友人のFさんの戦いを見ていて、医学の限界をもどかしく感じる。

ひょっとしたらこの課題がかなりの程度解決できるのではないかと思わせてくれる論文が、ウェールズのカーディフ大学から報告された。タイトルは「Topical, immunomodulatory epoxy-tiglianes induce biofilm disruption and healing in acute and chronic skin wounds(局所的免疫作用を持つエポキシ・チグリアンは急性と慢性の皮膚傷害でバイオフィルムを破壊と損傷治癒を誘導する)」で、9月14日 Science Translational Medicine に掲載された。

この8月、私たちも自然を満喫したオーストラリア クィーンズランド・アサートン高原に生息する植物のエキスをスクリーニングしていた Ecobiotics 社は、野生の有袋類が嫌うFontaineaの種から、塗るだけで腫瘍の増殖を抑制できる成分、EBC-46 を発見した。現在この薬剤は、PKC 阻害活性があるとして、犬の腫瘍に対する塗り薬として認可され、使われている。

犬についての治験が進む中、EBC-46 が炎症を促進して皮膚の損傷治癒を促進するという発見が行われ、難治性の皮膚潰瘍にも利用できないか調べたのがこの研究だ。

難治性皮膚潰瘍で問題になるのは、感染と、抗生物質の効果を下げるバイオフィルムだが、この研究では、EBC-46 と、側鎖を変化させた EBC-1013 について、抗菌活性、バイオフィルムに対する作用などを調べている。最終的には、EBC-1013 を臨床応用に移すように思えるので、ここでは EBC-1013 についてのみ結果を紹介する。

EBC-1013 は、黄色ブドウ球菌を含むグラム陰性菌の細胞壁に突き刺さって、膜の機能を阻害し、一定程度の殺菌効果と、細菌の代謝変化を促す。

さらに重要なのは、損傷部位に形成されているバイオフィルムに侵入して、バイオフィルムの機能を抑制する点で、フィルム内のナノパーティクルの移動を測定する方法でこれを確かめている。

以上のように、細菌側では一定程度の殺菌効果と、バイオフィルムの機能阻害を誘導できる EBC-1013 は、損傷部位の様々な細胞にも働いて、炎症を高めると同時に、ケラチノサイトに働いて損傷治癒を高める効果があることを確かめている。

実際には、バイオフィルム障害から考えると、逆効果になると思われる白血球のアポトーシス誘導など、多彩な効果を示すため、一つ一つデミルと複雑すぎるが、全体としてみると傷を治す方向に強く引っ張る。

この効果は、牛の皮膚に焼き印を押したときの損傷治癒スピードを高めることだけでなく、糖尿病マウスでの難治性の皮膚損傷が、コントロールと比べて1ヶ月で完全に治ることからも確かめている。

以上が結果で、あまりにも多彩な効果があるため、その作用機序を特定するのは難しいが、細菌に対する直接作用、バイオフィルムに対する作用、そして損傷部位のホスト細胞に対する作用を併せ持っていることは間違いなく、これが難治性皮膚潰瘍を抑えてくれる。現在治験が進んでいるらしいが、今後は皮膚だけでなく、口腔、歯科領域にも拡がる予感がする。

カテゴリ:論文ウォッチ

9月17日 ダイエット効果を検証する難しさ(9月9日 Cell Metabolism オンライン掲載論文)

2022年9月17日
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機能性食品や特保の冠をつけた様々な食品やサプリが巷にあふれており、テレビの宣伝もおそらく1割以上はこのような製品に費やされているように思える。毎日この HP で科学を紹介していると、一般の方がどのような根拠でそれぞれの製品を選んでおられるのか、是非知りたいところだ。特に宣伝に使っていい効果について、どこまで真剣な審査で評価が行われているのか、一度専門家に聞いてみたいと思っている。

例えば最近話題になった塩野義の抗コロナ薬の緊急承認を認めなかったことからわかるように、薬事については評価のポイントもはっきりしており、緊急承認であっても有効という判定のハードルは高い。しかし、例えばダイエット効果があるお茶と言った製品の承認基準ははっきりしているのだろうか。

今日紹介する英国アバディーン大学からの論文は、肥満に対するカロリー制限治療時に、カロリーを朝昼晩、どのように振り分ければ効果が高いか調べた研究で、ダイエット効果を調べるためにはせめてこの程度の治験は要求すべきではないかと思った研究で、9月9日 Cell Metabolism に発表された。タイトルは「Timing of daily calorie loading affects appetite and hunger responses without changes in energy metabolism in healthy subjects with obesity(毎日のカロリー摂取のタイミングは食欲と空腹に影響するが、エネルギー代謝には影響がない)」だ。

この研究では BMI 30 以上の健康なボランティアを最終的には30人集め、全員約1700kCal という厳しいカロリー制限を行い、その間の体重変化や様々なエネルギー代謝指標、そして主観的な身体状況の報告などを克明に行っている。研究の目的だが、カロリー制限するとき、朝多く食べた方がいいのか、夜多く食べた方がいいのかを調べることで、朝グループはカロリーを45、25、20の割で朝昼晩に分けている。一方夜グループは全く逆の20、35、45と言う振り分けを行っている。

また、最初の4週は朝グループ、あるいは夜グループで始めた場合、1週間お休み期間をおき、今度はグループをスイッチするクロスオーバー研究になっている。

まず、1700Kcal と言う制限を続けると、全員平均で4kgぐらい低下している。しかし、研究の目的であった朝昼晩へのカロリー配分の違いは、結果に全く影響ないという結論になっている。基礎代謝、エネルギー消費、持続血糖モニタリング、胃内要物の通過時間など、かなり詳しい指標が調べられているが、全く変化がない。

唯一変化があったのは、朝グループでは空腹を覚える時間が減っており、満足感が持続する点で、これと呼応してグレリンなどの食欲ホルモンの分泌に明確な差を認めることが出来る。以上から、カロリー制限は、制限さえ守られればどのよな食事の分配でやっても効果は同じだが、朝多く食べる方が、空腹感に悩ませられることはない、と結論できる。

さて、ここまでネガティブな結果であるにもかかわらず、この論文が Cell Metabolismに 掲載された一つの理由は、介入期間がそれぞれ1ヶ月と短いものの、しっかりとしたプランで治験が行われている点にあると思う。たしかに週のうち何日か、様々な検査を受けるため通院するというのは大変だとは思うが、簡単な介入でも、最低ここまではやってほしいという条件が明確な点だ。

もちろん、私は機能性食品や特保と呼ばれる製品の認可条件についてはほとんど知らない。ただ、科学をとおして消費者を守ることも役所の重要な役目で、このような論文を読みながら、基準を常にアップデートしてほしいと思い、論文を紹介した。

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9月16日 抗がん剤をハプテンとして免疫治療に用いる:大化けしてほしい発想の治療法(9月12日号 Cancer Cell 掲載論文)

2022年9月16日
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これまで何度も紹介しているが、多くのガンのドライバーとして働いている K-ras 変異を標的にした治療薬が開発され、期待通りガンの進行を遅らせることが治験で明らかになり、大きな期待が寄せられた。ただ、これも予想通り、単独治療では必ずガンの側で耐性が獲得され、完全な治癒を目指すためには、免疫治療など他の方法と組みあわせることが必要であることもわかった(https://aasj.jp/news/watch/18300)。

K-ras の変異に対する薬剤開発が遅れた最大の理由は、ras の分子構造がのっぺりとして凹凸が少なく、GTP や他の蛋白質との結合を阻害できる化合物が見つけにくい点にあった。この問題を解決する方法として、K-ras(G12C)分子のシステインに共有結合する化合物が開発され、最初に認可されたのが Amgen の Sotorasib を含め、現在使われている全ての化合物はこのタイプになっている。すなわち、薬を服用すると、細胞内の変異 Ras には小さな化合物が共有結合することになる。

このようなペプチドに共有結合した低分子化合物を免疫学ではハプテンと呼んでいる。1900年代初頭、抗体が小さな化合物の違いを認識できる多様性を持つことを示したランドシュタイナーの研究で用いられ、学生時代感動した重要な概念だ。

こう考えてくると、ras 阻害剤治療を受けた人は、変異型 ras 分子に自然にハプテンが結合した異物を持っていることになる。言われてみると気づくのだが、この可能性をいち早く着想し、ras 阻害剤の一つ ARS1620 をハプテンとして、抗体を作成し、ガン治療に使えることを明らかにしたのがカリフォルニア大学サンフランシスコ校のグループで、9月12日号の Cancer Cell に発表している。タイトルは「A covalent inhibitor of K-Ras(G12C) induces MHC class I presentation of haptenated peptide neoepitopes targetable by immunotherapy(K-ras(G12C)に対する共有結合型阻害剤はMHC-Iにより提示されるペプチド上でハプテンとして働き免疫治療の標的になる)」だ。

この研究は着想が全てだ。後は、化合物が共有結合したペプチドが処理されて、MHC-I と βミクログロブリン複合体に結合して提示されることを確かめた後、抗体遺伝子を組み込んだファージライブラリーから結合力の高い抗体を選ぶ方法で、最終的に P1A4 と名付けた抗体を作成している。

この抗体は、試験管内で処理した化合物結合ペプチドだけでなく、薬剤処理したガン細胞の表面上に提示された化合物も認識することが出来る。

そして最後に P1A抗体と CD3抗体を合体させたキメラ抗T細胞を試験管内で、化合物で処理したガン細胞に加える実験でキラー活性が誘導できることを示している。

結果は以上で、まだ担ガン動物の治療に使う実験は行われていない。おそらく、これには二つの大きなハードルがあるからだろう。

まず、治療に使った化合物が体内に残っているはずで、これにより抗体の効果が中和される可能性がある。また、MHC に提示される変異型 ras ペプチドは、ガン細胞上に提示されているとしても、量は少ない。従って、この壁を乗り越えたときに初めて、素晴らしい着想が治療として実現する。私としては、この壁を乗り越えて大化けしてほしいと思う。これが出来れば、同じ手法を用いることが出来るガンは多い。

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9月15日 頭が混乱するぐらい複雑な腸管での免疫系、細菌、そして栄養の関係(8月29日 Nature オンライン掲載論文)

2022年9月15日
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先日は腸管内に複雑な樹状細胞(DC)系が存在し、その存在が免疫を高めるか抑えるかを決めていることを示す論文を紹介した(https://aasj.jp/news/watch/20522)。そして、慶応の本田さん達により明らかにされたように、DC やT細胞は細菌叢の中の SFB と呼ばれる特殊な細菌群により調節されている。これだけでも複雑なのだが、今日紹介するコロンビア大学からの論文は、この免疫系と栄養との関わりを追求した論文で、読む側の頭をさらに混乱させるが、栄養と免疫を考える上で面白い研究だ。タイトルは「Microbiota imbalance induced by dietary sugar disrupts immune-mediated protection from metabolic syndrome(食事の中の糖により誘導される細菌叢の不均衡がメタボリック症候群を防止する免疫系を消失させる)」で、8月29日 Cell にオンライン掲載された(論文の筆頭著者の Kawano さんは慶応の内分泌内科所属になっている)。

この研究は、最初合成された高脂肪食(HFD)による肥満を抑える免疫系を特定すべく計画されている。マウスに HFD を摂取させると、Th17細胞が低下、逆にTh1細胞が上昇する。これと同時に、Th17誘導に重要とされている細菌種 SFB も消失する。

面白いことに、Th17細胞の誘導を操作したマウスを用いて同じ実験を行うと、Th17 が欠損したマウスでは、HFD によりおこる肥満と代謝異常の程度が強い。また、メタボになりやすいTh17マウスもCD4T細胞を移植することでメタボを防ぐことが出来る。一方、HFD によるTh17 低下は、SFB を直接投与することでも防ぐことが出来る。以上のことから、HFD により起こる肥満は、栄養だけでなく、腸管内で SFB が減少し、Th17 が低下することで、メタボリック症候群防御機構が低下することも要因であることを明らかにする。

では、HFD の何が Th17 低下を招いているのか?追求していくと、驚くことに原因は HFD中の脂肪そのものではなく、なんとそこに加えられた砂糖が原因になっていることがわかった。すなわち、砂糖を投与することで、SFB が減り、Th17 が減る。

以上のことは、砂糖により SFB の増殖が変化することを示すが、SFB のみを移植された無菌マウスでは砂糖の影響が全くないことから、砂糖により他の細菌が増え、結果 SFB が Th17 誘導に関われなくなる可能性を示している。そして、最終的に Erysipelotrichiaceae と呼ばれるバクテリアが増殖して、SFB を粘膜上皮から引き剥がすことで、Th17誘導能がなくなることを示している。

最後に Th17 がメタボリック症候群を抑える仕組みが問題になる。勿論全身の自然炎症を抑える役割がある可能性も捨てられないが、この研究では上皮の脂肪輸送に関わる CD36 の発現を Th17 が抑制することも示し、全身の影響だけでなく、脂肪の体内への移行を抑えることで、Th17 が肥満防止に関わることを示している。

どんどん複雑になり、頭も混乱するが、これらの結果をもとに、メタボのない、バランスの取れた免疫系の維持方法について指針を出して欲しい。

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