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3月31日:「I」と「We」:個人主義と集団主義(3月6日号Nature Human Behaviour掲載論文)

2017年3月31日
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昨日はYouの持つ2面性の背景に、「個別と普遍」という唯名論に関する論争のルーツがあることを示した心理学研究を紹介した。
   しかし、これを読みながら私たち日本の文化がこのYouの普遍化にどれほど馴染みがあるのか気になった。というのも、「貴殿」から「お前、きさま」まで、Youの表現が多様な日本は、なかなか「あなた方」という一般化に馴染みがないような気がする。実際、英語の論文や講演で一般的Youが自然に出てくるようになるまで、どうしても時間がかかった。この一般化したYouに変わって私の頭の中にあったのが、Weで、学生運動で語りかけを一般化する時の決まり言葉は「あなた方は」ではなく「我々は」だった。すなわち、私たちの文化は集団的Weの文化かもしれない。
   なんとこのことをよく示すドイツ・エルフト大学の論文が3月6日号のNature Human Behaviourに掲載されていた。タイトルは「One the benefits of explaining herd immunity in vaccine advocacy(ワクチン接種の宣伝のために集団内の免疫性を高める効果について説明するメリット)」だ。
   我が国では一般の人にとどまらず、専門家でさえワクチンの効果を個人に対する効果としてだけ捉えている人がいる。実際、メディアに登場する専門家が堂々とインフルエンザワクチンは効果がないと語っているのをみると、天然痘撲滅に生涯を捧げた蟻田功先生が泣いておられるのではと暗い気持ちになる。ワクチンにより抗体ができることが示されないと販売は許可されない。しかし、抗体がどこまで感染を防げるかは人それぞれだ。しかし、多くの人が免疫を持つことで、集団としての免疫性が高まり、その結果活動するウイルスの総量が減り、またキャリアーの数が減ると感染は終焉する。従って、乳児や免疫のできにくい人たちを感染から守りたい場合は、集団内の免疫を上げるしかない。
    すなわち、最も望ましいのは、自分に対する効果はまちまちと知った上で、他の人のためにワクチン接種を受けるという利他的決断が行われることだ
   実際、インフルエンザなどではワクチンは受けなくてもいいなどとうそぶいている個人への効果だけを語る専門家ほど、致死率の高い新興感染症になると、ワクチンはまだかと叫ぶことになる。
   前置きが長くなったが、今日紹介する論文では、ワクチンに個人を守るだけでなく、集団内の免疫性を高め、免疫ができない多くの弱者を結果として助けることになることを知ってもらうことで、ワクチンの接種率が高まるかどうかを調べている。
    実際には、ベトナム、香港、韓国、インド、米国、ドイツ、オランダで同じ調査を行い、各国ごとに統計を出した後、アジアと欧米で結果が異なること確かめ、最終的にはアジアと欧米に分けて結果を提示している。
   結果をまとめると以下のようになる。
1) 致死率の高い感染症を想定してもらって調査すると、集団内の免疫の説明の有無にかかわらず多くの人がワクチン接種を望み、またアジア、欧米といった地域差はない。
2) インフルエンザなどの比較的弱い部類の感染症を想定してもらうと、アジアの方が接種を受けるという人が多い。
3) 欧米人は、集団免疫により、弱者が救われることを知ることでワクチン接種を受け入れる確率が高まるが、アジアではこの知識の効果はほとんどない。
   集団内免疫について教える前、アジアでは欧米よりワクチン接種率が高いことを、アジア特有の集団主義(この論文では稲作に必要な集産主義と断じている)の現れ、集団内免疫を知った後の欧米での接種受け入れ率の上昇を、個人主義的利他主義の現れと結論している。私も読んでいて同じ印象を持った。
   この論文では、残念ながら日本人は対象になっていない。弱者への寄付に関する統計から見ると、我が国は韓国と比べて著しく低い。その意味で、ぜひ同じ調査が我が国でも行われることを期待する。いずれにせよ、街にマスクで顔を隠した人が溢れるという異様な光景がなくなるためには、集団免疫を受け入れる文化を根付かせる必要がある。
カテゴリ:論文ウォッチ
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