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3月11日:私たちゲノム中に存在するネアンデルタール人遺伝子の影響(2月23日号Cell掲載論文)

2017年3月11日
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    ネアンデルタール人遺伝子が私たち現代人にも受け継がれていることを証明したのはドイツ・ライプチッヒ・マックスプランク研究所のペーボさんたちだ。その結果、私たちアジア人、ヨーロッパ人、そしてアメリカやオセアニア人のゲノムにはネアンデルタール人遺伝子断片が点在していて、全ゲノムの2%程度に達する。性的交流で子孫が残ると、その遺伝子は集団に受け継がれていくが、すべての部分が平等に受け継がれるわけではない。たとえば、生殖能力に悪い影響のある遺伝子は集団から消える。逆にネアンデルタール人から受け継いだ遺伝子がアジア・ヨーロッパ人を自己免疫病から守る遺伝子として広く維持されていることなどもわかっている(http://aasj.jp/news/watch/5948)。
   この様に、ネアンデルタール人の遺伝子は、私たち現代人のゲノム多様性に大きく貢献している。今日紹介するワシントン大学からの論文は、ネアンデルタール人ゲノムの影響を、これまでとは違った新しい観点から調べた研究で2月23日号のCellに掲載された。タイトルは「Impacts of Neanderthal-introgressed sequences on the landscape of human gene expression(現代人の遺伝子発現に対するネアンデルタール人から受け継いだ配列の影響)」だ。
   この研究の売りは、ネアンデルタールゲノムの影響を知るために、対立遺伝子特異的発現(ASE)が使えると着想したことに尽きる。特に実験を行ったわけではなく、既存のデータベースを新しい観点で調べ直した研究だ。ゲノムデータが揃うことで、questionとアイデアがあれば金のかからない研究が十分可能なことがよくわかる。
   この研究の売りになっている着想とは次の様なものだ。
10体以上のネアンデルタール人について全ゲノムが明らかになると、ネアンデルタール人にはあって、現代人ゲノムにはない一塩基レベルの遺伝子多型(SNP)のリストができる。このリストがあると、私たちのゲノム領域のどこにネアンデルタール人遺伝子が潜んでいるか明らかになる。
   このSNPで標識されたネアンデルタール遺伝子部分が片方の染色体だけにある場合、遺伝子発現調節のミスマッチが起こる可能性がある。普通は両方の染色体の遺伝子の発現は同じレベルに保たれているが、転写調節のミスマッチがあると、それぞれの染色体の遺伝子の発現レベルがアンバランスになる。これを対立遺伝子特異的発現(ASE)と呼んで、人類の多様性を研究する指標に利用している。このアンバランスをネアンデルタール人のSNPで標識された領域について調べたのがこの研究だ。
   ネアンデルタール人と現代人が別れてから四十万年以上になると、当然独自の遺伝子調節機構を発展させている。その遺伝子が性的交流で現代人ゲノムに入った場合、当然ミスマッチが起こる可能性が上がるというわけだ。
   研究では遺伝子型と各組織の遺伝子発現がセットになったデータベースを使って、ネアンデルタール由来遺伝子が片方の染色体だけに存在する領域について、各組織での発現にミスマッチがないか、ASEを調べている。
   結果は期待通りで、多くのネアンデルタール由来遺伝子で転写のミスマッチが起こっている。特に、脳と精巣では強く発現が抑制されているネアンデルタール由来遺伝子が多いことを示している。
   例を挙げると、神経細胞の増殖に関わるNTRK2受容体遺伝子は,ネアンデルタール人由来のものだけが小脳と脳幹で強く抑制されている。この遺伝子の突然変異は、うつ病、言葉の発達、肥満、アルツハイマー病、自閉症、ニコチン中毒など多くの病気と相関しており、重要な遺伝子だ。ミスマッチがあるということは、脳での遺伝子発現調節機構が、脳高次機能の発達に合わせて急速に進化した結果、現代人の遺伝子発現調節メカニズムが侵入してきたネアンデルタール人由来遺伝子にマッチしなかったことを示している。
   他にネアンデルタール人由来遺伝子が強く抑制される傾向が見られるのが精巣で、おそらくネアンデルタール由来遺伝子が発現すると生殖能力が落ちるのだろうと推論している。実際、精子の鞭毛の動きに関わるネアンデルタール人由来遺伝子は強く抑制されている。また、現代人ゲノムから完全に失われたネアンデルタールゲノム領域は精子発生や、機能に関わる領域が多い。
   この様に、ネアンデルタール人由来部分を調べることで、私たちの進化に必要だった条件が明らかになる。おそらくもっともっと面白い話が、着想次第で出てくるだろう。大量のデータが存在する今こそ、新しい想像力でこのデータを生かす若者が生まれることを期待する。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月10日:ネアンデルタール人の歯石のゲノム解析(Natureオンライン版掲載論文)

2017年3月10日
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    ちょうど3年ほど前になるが、修道院に葬られている中世の人骨の顎骨から歯石を削り取り、タンパク質やDNAを解析したNature Genetic論文を紹介したことがあった(http://aasj.jp/news/watch/1233)。この時、歯石には死後過程で侵入する細菌が少ないことが強調されていた。歯石も史跡になるかもしれないと下手なダジャレで終わったが、その後も歯石研究は広く行われていた様だ。
   今日紹介するオーストラリア・アデレード大学からの論文はついにネアンデルタール人までさかのぼり歯石に含まれるDNAを調べた研究でNatureオンライン版に掲載された。タイトルは「Neanderthal behaviour, diet, and disease inferred from ancient DNA in dental calculus (歯石中のDNAから推察されるネアンデルタール人の行動、食事、そして病気)」だ。
   歯石の中では比較的DNAが守られていると述べたが、しかし少なくとも2万年以上前のネアンデルタールからの標本となると、よほど慎重に扱わないと間違った解釈を導く危険性があることは念頭において読む必要があるだろう。
   また歯石に残るDNAの量も多くなさそうだ。もっとも多く読めたサンプルで1億5千万リードで止まっている。最初PCRによる解析も考えていた様だが、最終的にはショットガンシークエンスと呼ばれる方法で、歯石中のすべてのDNA配列を読んで、由来した細菌や食べ物を推察している。
   読めた配列の94%はバクテリア、6%は古細菌で、食物や自分の細胞から由来したDNAはたかだか0.3%しかない。この中からまず食物由来のDNAを探すと、ベルギーのスパイ洞窟のネアンデルタール人ではほとんどが動物由来でマンモス、サイ、羊由来のDNAが見つかる。一方スペインのエルシドロンのネアンデルタール人からはほとんどが植物由来のDNAが見つかる。しかし、農耕による食物ではないので、forager(食べ物を探し歩く)だったとしている。
   ただ、この結論はやはり多くの疑問が残る。ネアンデルタール人は火を使っていたことは知られているし、それによる変性はないのか?また人間のDNAを調べるのとは異なり歯石中のすべてのDNAを読むとなると、汚染されたDNAと区別は難しいが、その点についての議論がない。食物で大きな差が見つかったことを信頼性の根拠としてミスリードしている様に感じる。
   信頼させた上で、さらに大きな膿瘍の跡がある骨から、アスピリンを含む植物やペニシリンを含むカビが見つかったことまで言及されると、ちょっとはしゃぎすぎではと懸念する。
   一方DNAのほとんどを占めるバクテリアについては、食物に合わせて細菌叢が形成されていることを強調している。すなわち肉食のネアンデルタールは狩猟民族の細菌叢に近く、草食のネアンデルタールはチンパンジーに近い。これもなんとなく納得しやすい結果だ。あとはやはりDNAが壊れていて、明確な結論は導きにくそうだ。
   最後にほぼ完全な配列を決定できた口内細菌の配列を他のソースからの同じ種と比べ系統樹を書いている。現代人の細菌と、ネアンデルタールの細菌が分離したのが12−14万年前、すなわち現代人とネアンデルタール人とが別れたずっと後なので、ゲノムからわかる様に口内細菌も身体接触を通して交換されていたと結論している。
   ネアンデルタール研究には注目してきたが、この論文は慎重さが足りない様に思える。当時のスペインとベルギーの気候の差、歯石の形成プロセス、火の使用など、考慮すべき項目は多い。その点もしっかり議論して欲しいと感じた論文だ。信頼性はどうなのかぜひ専門家の意見を聞いてみたい。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月9日:世界初の補聴器の二重盲検無作為化試験(3月2日号American Journal of Audiology掲載論文)

2017年3月9日
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    40代半ばから特に右耳の聴力障害が始まって、人の話をキャッチしにくいためいろいろ迷惑をかけてきたと思うが、現役をやめた頃に補聴器を買った。結構高価なもので、オーディオグラム検査を繰り返して自分に合う様細かく調整してもらったおかげで、だいぶ人の声はキャッチできる様になった。
   自分が難聴になったせいか、新聞などの補聴器の宣伝にも目がとまる。専門店で買うより結構安価で、現代の技術水準からすれば通販で買うのもありかなとも思う。
   考えてみると、補聴器はどう選べばいいのか、医療の側からテストされたことはないのではなどと考えていたら、世界初の補聴器の二重盲検無作為化試験であることを強調する論文がインディアナ大学から3月2日号のAmerican Journal of Audiologyに発表された。タイトルは「The effect of service-delivery model and purchase price on hearing aid outcomes in older adults: randomized double blind placebo controlled clinical trial(相談しながら提供する補聴器の販売方法とその値段が高齢者の聴力改善に及ぼす影響:プラシーボを対照に置いた二重盲検無作為化臨床試験)」だ。
   27ページで、図が17、表が11もある長い論文で、この分野に慣れていないので、きわめて読みにくかった。しかし、随所に世界初の補聴器の二重盲検試験であることが強調されている。
   この研究ではマルチチャンネルで調整可能な3600ドルの補聴器を、トライアルに参加した全員に配る。ただ、その時対象を無作為化して、1群には面談しながら個人の聴力に合わせた補聴器を、2群には面談と補聴器は同じだが、最後は全く調整しないで、そして3群には同じ補聴器を面談なしで、自分で3種類の特性から一つを選ばせる方法で提供している。3群はさらに、値段が3600ドルと告げられた群と600ドルと告げるグループを作って、値段によって聞こえ方が変わるかまで調べている。
   現在補聴器を買う時の行動をよく理解して、よく設計した治験と言えるだろう。6週目に補聴器の自覚的効果を聞き、このまま買うか、返却するかを尋ねて、満足度を調べている。結果は以下の様にまとめられる。
1) オーディオグラム検査では、相談しながら調整すると個人の聴力に適合した補正が出来ている。3種類の調整から自分で選ばせると、強い音が出る調整が選ばれ、騒音に対する問題が出る。したがって、もちろん相談しながら調整してもらったほうがいい。
2) 満足度だが、相談して調整した人のほとんどはほぼ満足し、6週間経った後、補聴器をそのまま買うという決断をしている。全く調整しなかった対照群だけでなく、自分で調整する群も満足度は低くほとんどが、補聴器を買わなかった。
3) 3群で3600ドルと告げられた人も、600ドルと告げられた人も、自覚的な改善度は変わらず、ほとんどが買わなかった。
    予想通り検査を受け、それに合わせた補聴器を調整してもらうべきという結論だが、これを確認するためここまで綿密な治験をよくやったと感心する。
   高齢化社会では間違いなく補聴器の需要は大きい。対面サービスが必要だと、どうしても高価になる。もし普及させたいなら、次は自動で対面サービスと同じ調整が可能な、安価な補聴器の開発が必要だと思う。そして是非その機械も同じ様な治験で効果を確かめてほしいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月8日:試験管内での胚発生再現(Scienceオンライン掲載論文)

2017年3月8日
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    マウスや人の受精卵は、自分の力で分裂し、胚と胚外組織に分化した胚盤胞と呼ばれる段階まで進むことができる。この段階で胚を壊して培養すると、全ての組織へと分化できるES細胞が樹立できる。しかし、このES細胞は胚外組織の元になるトロフォブラストに分化できないことが多い。代わりに同じ段階の胚からトロフォブラストに分化が限定された細胞株(TS細胞)を樹立することができる。
   実際の胚発生では、胚盤胞内の細胞が増殖しながら、内部細胞塊がエピブラストと原始内胚葉の2層上皮を形成するegg cylinderが形成するとともに、胚と接しているトロフォブラストは胚体外外胚葉と呼ばれる上皮構造を形成する。
   この初期胚分化をES細胞から再現しようと様々な試みが行われてきたが、ES細胞からトロフォブラストが形成されないため、embryoid bodyと呼ばれる球状構造を作らせるのが精一杯だった。
   今日紹介するケンブリッジ大学からの論文は早い段階でES細胞をTS細胞と結合させることで実際の胚発生により近い胚を試験管内で作れないか調べた研究でScienceオンライン版に掲載された(Harrison et al, Science 10.1126/science.aal1810 )。タイトルは「Assembly of embryonic extra-embryonic stem cells to mimic embryogenesis in vitro(胚性幹細胞と胚外幹細胞を合わせると試験管内で胚発生を再現する)」だ。
   ES細胞もTS細胞もずいぶん前に樹立されているのに、なぜこのような実験が行われなかったのが不思議だ。おそらく、この分野の研究者は、胚外細胞と胚細胞を合わせて、子宮内に移植して完全に細胞株からマウスを作ることを目的に実験を進めていたのだろう。この研究はそこまで高望みせず、ESとTSを結合させた後、マトリジェルと呼ばれる3次元マトリックス内で発生させ、TSを組み合わせることと、できないことを整理している堅実な研究だ。
   結果だが、思いの外実際の胚発生に近い過程を試験管内で再現できている。順を追って見ていくと、
1) 自己組織化で、胚と胚外の分離が起こり、それぞれの細胞塊は上皮化することで、まず胚内、そして胚外に空洞が形成される。これにより、胚内ではegg cylinder様の構造、胚外では羊膜様の構造へ発展する。
2) Nodal分子を介する胚内組織、胚外組織の相互作用が、上記の構造形成に必要。Nodal分子を阻害すると空洞ができない。
3) 中胚葉誘導の最初の分子brachurryの発現が胚内上皮で出来たシリンダーの片方にのみ見られる様になる。すなわち、胚の不均等性が生まれる。
4) 胚外、胚内の境に始原生殖細胞が発生する。
    という過程が、再現できている。しかし、最も肝心の原始内胚葉を持ったシリンダー形成が出来ていない。このためか、brachurry発現の非対称性は再現できても、原条のようなしっかりした構造はまだできておらず、また原腸陥入の再現も出来ていないと言える。
   とは言え、できないことが整理されることで、目標が明確になる。もちろん原始内胚葉とエピブラストを持ったシリンダー構造をどう形成させるかが次の課題になる。そろそろ、細胞だけから個体が生まれる可能性を意識しておいても良さそうだ。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月7日RAS阻害剤を設計する(2月23日号Cell掲載論文)

2017年3月7日
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    将来のがん化学療法が成功する鍵はRAS阻害剤が開発できるかどうかにかかっている。これまで何度も紹介したように、半分以上のガンでRAS分子の突然変異がドライバーになっている。このことがわかっていながら、RASの機能部位が凸凹のないのっぺりとした表面を持っているため、機能を阻害する分子を探索するのは難しかった。
   今日紹介するコロンビア大学からの論文はこの厄介な変異RASに対して一定の阻害効果がある化合物を設計することができることを示した研究で2月23日号のCellに掲載された(http://dx.doi.org/10.1016/j.cell.2017.02.006)。タイトルは「Multivalent small-molecule pan-ras inhibitor(RASの複数の部位に結合する全RAS阻害剤)」だ。
   著者らは、一箇所のRASの活性部位を標的に化合物を探索する今までの方法では実用的な化合物は発見できないと考え、代わりにRASの構造解析に基づき、RASが活性化されると構造が変化する複数の部位に同時に結合する化合物を設計することを試みた。詳細は調べていないが、おそらく各部位に結合できる小さな化合物をデータベースから抽出し、それらを一つの分子に設計し直して合成する、完全にコンピュータだけで化合物を設計している。
   もちろん論文として発表しているわけで、あとはこの化合物(3144)が期待通りの効果を発揮したことを示す実験が続いている。
   まずRASタンパク質と3144が試験管内で、比較的高い結合力で結合することを確かめた後、RASが活性化している様々な細胞株の増殖を抑制するとともに、確かに活性化RASを特異的に阻害していることを生化学的に示している。
   最後に、3144が経口を含む全てのルートの投与で血中濃度が上昇し、移植したガンの増殖を抑制できることを示している。
   以上の結果から、コンピュータによる分子設計を用いればRASに対する阻害剤を設計することができ、得られた阻害剤3144は全ての活性化RASを阻害し、実際のガン細胞の増殖を抑制できる。また、この化合物は薬剤として利用するための十分な体内動態を示すと結論されている。
   実際のデータを見ると、副作用はともかくとして、実際のガンモデルに対する効果はまだまだ限界があるように思える。従って、さらに化合物の特性を至適化する作業が必要だが、もしうまくいけば大ヒット商品というだけでなく、多くの患者さんの期待に応えられるだろう。
   最近、化合物を直接スクリーニングする代わりに、小さな分子と標的分子との結合を調べた上で、大きな分子に設計し直す手法で成果が生まれ始めた印象を持つ。ひょっとしたら、今後の創薬のあり方を変えるかもしれないという予感がする。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月6日:副作用のない痛み止めを設計する(3月3日Science掲載論文)

2017年3月6日
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   痛みをどう止めるかは、現在なお医学の重要な課題だ。この時、痛みを抑えてくれるオピオイドは切り札になるが、オピオイド受容体刺激は、鎮静作用とともに、呼吸抑制、吐き気、便秘などの重大な副作用を示し、さらに精神作用に由来する中毒という重大な副作用があった。
   今日紹介するベルリン・シャリテ病院麻酔科からの論文は炎症組織にある末梢神経のオピオイド受容体だけを標的にしたオピオイド受容体刺激剤の開発研究で3月3日号のScienceに掲載された。タイトルは「A nontoxic pain killer designed by modeling of pathologyical receptor conformations(病的な受容体構造モデルからデザインした副作用のない痛み止め)」だ。
   私たちの組織はだいたいpH7.4の中性領域に保たれている。ところが、炎症が起こったり、組織障害が進むと、組織は酸性に偏る。このグループは、モルフィン受容体の構造解析と、その刺激剤フェンタニルの結合を様々なpHで解析し、フェンタニルは広いpH領域で受容体に結合できるため、炎症組織で痛みを鎮静するとともに、正常組織で副作用が出ることを確認している。
   この解析を基盤に、酸性組織でのみ働く刺激剤をデザインし、フェンタニルを出発点に主にフッ素を添加する手法でNFEPPと呼ばれる化合物を合成している。
   あとは試験管内で、NFEPPがpH6.5ではオピオイド受容体を刺激し、pH7.4では活性が低下することを確認し、ラットを用いた動物実験へ移っている。
   動物実験は片足に強い炎症を誘導したり、切開して痛みを誘導する実験で、NFEPPが痛みのある組織でだけ鎮痛作用があり、正常組織には何の影響もないこと、また大量に投与しても呼吸抑制や便秘などの副作用が起こらないことを確認している。
   この結果がそのまま人間にも適用できるのか、これから治験が必要だろう。また、がんの痛み抑制のように、麻薬の脳内での作用を期待するケースについては使えないだろう。しかし、外傷、炎症による局所痛は医療上の最大の課題で、患者さんの生活の質を大きく損なう。その意味で、アスピリンを開発したドイツから生まれた鎮痛剤に期待している。
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3月5日 生命誕生の痕跡を求めて:II 最古の生物を計算する(3月9日号Cell掲載論文)

2017年3月5日
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  今日紹介するボストン大学からの論文は、昨日と打って変わって、最古の生物誕生の基礎となった代謝経路をコンピュータを使って計算するという研究だ。
  これまで知られている地球上の生物はリンなしには存在できない。まずATPのようなエネルギー交換のための通貨として、DNAやRNAのような情報として、あるいはサイクリックAMPのようなシグナル分子として、あらゆる生物反応に登場する。しかし、熱水噴出孔も含め地球上にリン元素はほんのわずかしかなく、産業的にもリン鉱山の多くは生物由来のリンを掘り出して使っている。すなわち、DNAを情報媒体とする生物の誕生にはリンを調達し、利用する仕組みが必要だった。しかし、この仕組みを考えるには、まずリンなしに生物の代謝経路がどこまで可能か調べる必要がある。
   事実、生物誕生前に有機物を合成する経路はこれまでも研究されてきたが、主にオートトロフと呼ばれる独立したバクテリアの代謝経路が参考にされてきた(生命誌研究館HPの拙文参照:http://www.brh.co.jp/communication/shinka/2015/post_000022.html)。
一方今日紹介する研究は、これまで知られている膨大な代謝経路のインプットとアウトプットを、コンピュータ計算でつないで最終的に大きな代謝回路を描こうとした研究だ。この時、サーマルベントには豊富に存在する無機物H2O,CO2,H2S,NH3,N2と、オートトロフも合成できる酢酸、蟻酸などの単純な有機物を最初のインプットにしてネットワークを書いている。最初のインプットにリンは存在せず、従って描かれる回路にリンは存在しない。
   具体的には、まず7種類の物質をインプット、アウトプットとする現存の代謝経路を当てはめて、どれだけこれ以外の新しい分子が生まれるか計算する。次に、回路の産物として新たに加わった分子も入れて同じように計算し直し、アウトプットとして得られるさらに新しい分子がアウトプットされるか調べる。この計算過程を、もう新しい分子が出てこないところまで繰り返して、最終的に描かれる代謝経路を原始に近いと主張している。最初のインプットにリンが存在しないため、この回路図には全くリンは存在しない。私はコンピュータに全く無知だが、論文は素人にも理解出来るよう書かれている
   驚くことに、この回路だけでかなりの数のアミノ酸など複雑な有機物が形成できる。生物なしに多くの有機物が形成される可能性は高い。また、私たちが高校、大学で習うTCAサイクルを含む重要な代謝経路もそろっている。
   研究では、
1) ここで描いた回路に現在かかわっている酵素が、LUCAの酵素として想像されている始原的な酵素に近いこと、
2) この回路から生まれる硫酸エステルによって、リンなしにエネルギーのやり取りが可能なこと、
3) こうして描き出した中核回路に現在使われている補酵素は、硫化鉄や亜鉛のような遷移金属が多く、リンを使っていないこと、
など、この経路が原始回路として十分資格を持っていることを主張している。
   今後、この回路がどのようにリンと出会っていくのか、あるいは複製できる生物誕生前にこの回路がどのように維持できたのか、新しいフェーズの計算が必要だろう。是非計算による予言をして欲しいと思う。
   もともと40億年以上前のプロセスは再現することは難しい。これからますますコンピュータの出番が出てくる。この研究は、誰もが理解出来るアイデアを用いている点、コンピュータに弱くとも十分理解出来るよううまく描かれている点など、楽しんで読める論文だ。是非一読を進める。
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3月4日:生命誕生の痕跡を求めて1:熱水噴出孔の痕跡(3月2日号Nature掲載論文)

2017年3月4日
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   以前ロンドンの自然史博物館を訪れた時、特に感心したのが、実際の化石と化石もどきの展示や、物理力による模様と、生命活動による模様を比較した展示で、生命活動とは何かを教えることに力を入れていた点だった。子供たちに、生物活動と物理活動の違いを考えさせる入り口になると思う。
   しかし、パストゥールの「生命は生命から」のドグマが確立して以来、生命にしかできない過程があることは当たり前だと思っている。ところが、地球上に生命がなかった時代があると考えると、どこかで物理法則だけが支配する地球に、生命が誕生したことになる。
    このギャップは、創造主のような超自然的力を持ち出して説明されることが多かったが、科学はいまこの問題に果敢に挑戦している。そのための一つの方向が、現存の生物の共通祖先(last universal common ancestor: LUCA)の姿を描こうとする研究だ。幸い先週NatureとCellにLUCAを探す研究が掲載されていたので、それを順番に紹介する。
   今日紹介するロンドン・ナノテクノロジーセンターからの論文は、多くの人が最初の生命誕生の場だったサーマルベント(熱水噴出孔)のあった場所に生命の痕跡を求めた論文で3月2日号Natureに掲載された(doi:10.1038/nature21377)。タイトルは「Evidence for early life in earth’s oldest hydrothermall vent precipitates(地球最古の熱水噴出孔の沈殿物に存在する初期の生命の痕跡)」だ。
   生命誕生は40億年前後と考えられているが、この時代の地層が表面に隆起してきている場所が存在する。最も有名なのが37億年前の地層が剥き出ているグリーンランドのイシュアで、この地層に生命の痕跡を求めた論文を昨年紹介した(http://aasj.jp/news/watch/5757)。ただこの研究では、細胞のような形態ではなく、炭素同位元素の選択制から生命活動を推察した研究だった。
   この研究はより古い38億年前から42億年前に、熱水噴出により形成された、鉄を多く含むカナダのNuvvuagittuq supracrustal belt(NSB)の地層に生物の痕跡がないか調べている。
   この時生命の指標にしたのが、
1) hematite filamentと呼ばれる水酸化鉄から出来たフィラメント。活動中の熱水噴出孔でバクテリアを含む細菌叢が噴出物で閉じ込められるとこの構造を取ることが知られている。
2) このヘマタイトの中に鉄を酸化するバクテリアが含まれると作られるチューブ様の均一な構造が数多く見られる。これは、単純な化学反応で説明するには複雑すぎる構造。他にも自立性のバクテリア(オートトロフ)などの痕跡も見られる。
3) 詳しくは説明しないが、ヘマタイト中にほとんど炭酸塩の存在しない鉄が存在できているのも生物作用を想定してしか説明できない。
4) ヘマタイトの中に、バクテリアの沈殿物が酸化した結果としてしか説明できない炭酸塩で出来たロゼット構造が存在する。同じような構造は、他の熱水噴出孔でも見られる。
5) やはり他の熱水噴出孔に見られる、磁鉄鉱の壁で出来た粒子状の構造物(Granuleと呼んでいる)が存在する。
など、鉱物学的結果を合わせると、NBSのヘマタイトは37−42億年前の生物の証拠だと結論している。
   柔道の「一本」は難しいので、「合わせ技」で一本にしているという印象だが、このような探索は、生物誕生に要した時間を考える上で重要なヒントを与えてくれる。37-42億年前、十分な量のバイオマスがすでに存在していたとすると、生命誕生はいつと算定すればいいのだろう。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月3日:遺伝子内のメチル化の機能(Natureオンライン版掲載論文)

2017年3月3日
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     私が現役の頃は、DNAのメチル化というと、もっぱら転写調節や染色体構造を変化させるためのメカニズムとして考えてきた。また、新しい場所をメチル化する酵素Dnmt3aとDnmt3bは同じようにDNAメチル化に関わると考えていた。しかし最近になってこの考えは変わりつつある。一昨年1月、Dnmt3bは転写が活発に起こっているH3K36me3型の修飾を受けたヒストンが結合する遺伝子内の領域に特異的に結合することが、スイス・ミーシャー研究所のグループによりNatureに報告され、このホームページでも紹介した(http://aasj.jp/news/watch/2787)。
   今日紹介するイタリア・トリノ大学からの論文は、Dnmt3bによるメチル化の機能の一端を明らかにした研究でNatureオンライン版に掲載された(doi:10.1038/nature21373)。タイトルは「Intragenic DNA methylation prevents supurious transcription initiation(遺伝子内のDNAメチル化は誤った転写開始を回避する)」だ。
   環状DNAを持つバクテリアもDNAメチル化が維持される。ただ、バクレリアを含め遺伝子内のメチル化は機能が明確でなく、複製の調節など様々な可能性が示唆されていた。このグループは、Dnmt3bが遺伝子内のメチル化に関わること、転写が活発な領域に関わることから、本来の転写開始点とは異なる場所からの転写を抑制するのではないかとあたりをつけていたようだ。
   まずこれまでの結果を確認する意味で、Dnmt3bノックアウトES細胞を用いて遺伝子内のメチル化が特異的に低下しているのを確認した後、実際の転写産物を詳しく解析すると、Dnmt3bノックアウトES細胞では多くのmRNAが遺伝子内から転写される異常RNAであることを発見する。
   次にこれがRNAポリメラーゼが誤った開始点に結合する結果であることを知るため、クロマチン沈降法でRNAポリメラーゼ結合部位を調べ、予想通り遺伝子内にポリメラーゼが結合していることを示し、この開始が通常の塩基配列ルールに従わないことも明らかにした。すなわち、遺伝子内メチル化により、RNAポリメラーゼが間違った場所に結合しないようにするのがDnmt3bのメチル化の機能になる。
   次に以前遺伝子内メチル化との関係が示されたH3K36me3型ヒストンと遺伝子内転写開始との関係を調べるたヒストンメチル化に関わるSetD2をノックダウンすると、H3K36me3が低下するとともに、Dnmt3bの遺伝子内結合も消失し、遺伝子内からの転写が上昇することを明らかにしている。
   後は詳細を詰めるため、Dnmt3bの酵素活性との関係、異常RNAの運命、翻訳の可能性などを調べているが、紹介は省いていいだろう。
   これらの結果から、遺伝子内メチル化は転写の正確性を保証する重要な機能であることが明らかにした。実際、これがうまくいかないと、当然異常たんぱく質が増える。またH3K36me3型ヒストンの役割、及びこの異常がガンで見られることなどについての頭の整理がしっかりついた。
   現役をやめる前後、エピジェネティックスに関するさきがけ研究のアドバイサーを務めたが、当時から3−4年でこの分野の理解度は急速に高まっている。着実にエピジェネティックスの詳細が一枚一枚衣を剥ぐように明らかにされていくのが実感される今、あの時のメンバーたちは何をしているのか、一度同窓会ででも話を聞きたいと思った。
カテゴリ:論文ウォッチ

3月2日I型糖尿病の新しい発症メカニズム(Nature Medicine オンライン版掲載論文)

2017年3月2日
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     I型糖尿病はインシュリンを作る膵臓β細胞に対して自己のT細胞が反応し障害するため、β細胞が急速に失われ、インシュリンが作られなくなり、糖尿病を発症する。すなわち、糖尿病と言っても自己免疫病だ。β細胞が失われた人には当然、β細胞を移植することが根治になるが、発症初期に免疫系を抑えて病気の進行を止めることも治療のための重要な方向性だ。
   β細胞は大量にインシュリンを作り、それを分泌するように作られた特殊な細胞と言える。この病気はβ細胞以外はほとんど障害されることがないため、一部の患者さんではインシュリン自体が自己抗原として働いている可能性が指摘され、診断にも使われてきた。
   今日紹介するライデン大学からの論文は正常のインシュリン以外に、インシュリンmRNAの翻訳が間違ったところから始まる異常インシュリンペプチドが抗原として働いていることを示した研究で3月2日Nature Medicineにオンライン掲載された(doi:10.1038/nm.4289)。タイトルは「Autoimmunity against a defective ribosomal insulin gene product in type I diabetes(I型糖尿病での異常なインシュリン遺伝子翻訳産物に対する自己免疫)」だ。
   実はI型糖尿病の発症に強く相関した一塩基多型(SNP)がインシュリン上に存在することが知られていたが、タンパク質に翻訳される領域より下流に存在することから、意味がないとされていた。このグループは、このSNPが、異なる翻訳開始点から翻訳されたペプチドが抗原になっていると目星をつけ、研究を始めている。
   遺伝子配列を調べると、開始点として働けるATGが4箇所存在するが、そのうちの341番目の塩基から始まる翻訳では長い異常ペプチドができることがわかった。次にこの開始点が使われているかどうか、下流に蛍光タンパク遺伝子をつないで調べたところ、正常インシュリンとともに、蛍光タンパクも作られること、また細胞にストレスがかかると異常ペプチドの量が上昇することを明らかにした。
   以上の結果から、I型糖尿病の患者さんではβ細胞がストレスにさらされたとき、この異常ペプチドが作られ、自己抗原として働くことを示している。これを確認するため、I型糖尿病患者さんのリンパ球で反応を調べると、リスクの高いSNPを持つ患者さんほど、異常ペプチドに対して反応する。また、これまでリスク因子として知られていたHLAを持っている患者さんほど高い反応を示すことが明らかになった。以上、インシュリン遺伝子上のI型糖尿病リスクSNPはおそらく特定のHLAと結合するときの強さを反映しており、その結果β細胞により強く免疫原性のあるペプチドが発現し、細胞が障害されるというシナリオが示された。
   この研究ではこのペプチドに特異的なT細胞が確かにβ細胞を障害することを示して、このシナリオが実際に起こっていることを示している。また、異常ペプチドは誰でも作っていると考えられるので、今後全てのI型糖尿病患者さんの免疫反応を調べることで、このシナリオがどの程度当てはまるのかわかるだろう。
   抗原が明らかになった後は、ぜひ抑制性T細胞やトレランス誘導などを通じて、免疫反応を抑制し、病気にしない方法も開発して欲しいと思う。
カテゴリ:論文ウォッチ
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