1月1月1日:精神科医は「トランプが精神疾患にかかっている」と意見を述べていいのか?(The New England Journal of Medicine掲載コメンタリー)
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1月1月1日:精神科医は「トランプが精神疾患にかかっている」と意見を述べていいのか?(The New England Journal of Medicine掲載コメンタリー)

2018年1月1日
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1日から3日間今年議論が続きそうな話題に関する総説やコメンタリーを紹介する。

元旦の今日はトランプに関する話題だ。いうまでもなく、トランプは世界中で一番力を持つ米国大統領で、核戦争開始のボタンを手にする人物だ。また、選挙中からはしかワクチンと自閉症の関係を捏造した有名な論文の著者Wakefield率いるワクチン反対運動と手を結ぶなど、反科学的立場を鮮明にして米国科学界と敵対している。その意味で、米国だけでなく、世界の科学界にとって、今年予定されている中間選挙の結果は、今後の方向を占う意味で重要な問題だ。

このような状況で、もし多くの精神科医や臨床心理士が「トランプは深刻な精神疾患にかかっており、彼は大統領の資格がない」という本を出版したらどうなるのか?実際、ネット上にはそんな意見はごまんと溢れているので、私はあまり影響はないように思うが、専門家の意見となると説得力が上がり、トランプ支持者は黙っていないはずだ。

我が国では、医師が集まって首相の病気について意見を集めた本を出すことなど到底考えられないが、米国ではそんな本が出版されてしまった。タイトルはそのものズバリ「The dangerous case of Donald Trump(ドナルド・トランプの危険な症例)」だ。

計画者の一人Yale大学の精神科医Lee博士が前書きに書いた本の出版までの経緯は次のようなものだ。大統領選挙中からその後のトランプの言動に、深刻な精神的問題を見て取ったLee博士を含む数人が、まずトランプの精神問題について懸念を示すNew York Times宛の手紙を回し、署名集めを行った(現在では5万5千人の署名が集まったようだ)。

次に昨年の4月20日タウンミーティングが行われたが、そこには報復を恐れてか24人の専門家しか集まらなかったが、参加者が100日で原稿を書いて緊急出版したのがこの本になる、

この本が出版されると、専門家は診察してもいない人の病気について意見を述べてはならない」とする米国精神科学会のGoldwaterルール違反であると、厳しい批判が行われる。結果「専門家は政治に影響する発言をしてはならない」と言う意見から、「米国大統領の権力を考えると、自分の意見を述べるのは当然だ」と言う意見まで、現在も米国医学会では白熱した議論が続いているようだ。

私自身がこの議論を知ったのは、12月27日号のThe New England Journal of Medicineにフィラデルフィアの精神科医Claire Pouncy発表した「President Trump’s mental health – Is it morally permissible for psychiatrists to comm.ent?(トランプ大統領の精神状態 — 精神科医がコメントするのは倫理的に許されるか?)」という意見論文を読んだからだ(DOI:10.1056/NEJMp1714828: オープンアクセスで誰もが読むことができる)。

この意見論文でPouncy博士は、米国精神医学学界元会長のLiebermanがこの本について、「真面目な学術的な本ではなく、安っぽい、勝手で愚かなタブロイド判精神医学」と批判し、さらに精神科学会も「診察せずに政治家の精神疾患に関する意見を述べることを自粛する」Goldwater ruleを盾に、この本の著者らを反倫理的と糾弾する構えを見せていることに対し、専門家が黙ってしまっていいのかと、全面的にこの本の著者らを支持する意見を述べている。

またThe New England Journal of MedicineもおそらくPouncy博士を支持する意味でこの意見を掲載したのだと思う。

この意見を読んで、私も早速本を購入し、斜め読みしてみた。300ページを超す本で、全部読む時間がないという人のために、それぞれの意見を解説してくれる要約本まで出版する念の入れようだ(写真)。 全員反トランプとはいえ、27人もの専門家の意見が集まった本なので一言でまとめるのは難しいが、ビデオ、ツィートなどに残された文章を手掛かりに彼を分析する限り、トランプは間違いなく「悪性ナルシズム」「反社会的性格障害」「偏執狂的性格障害」「妄想性障害」などの診断名が与えられるべきで、これには十分医学的根拠があることを専門家の視点から分析している。他にも、精神科医として、トランプの言動が多くの市民の精神状態まで変化させている実感についても書かれている。

詳しくは要約本でもいいので読んでほしいと思うが、ベトナム戦争時。兵役逃れを繰り返した張本人でありながら、政権を軍人で固め、しかも「スタッフには最も優秀な人間を雇うが、優秀な人間は決して信用してはならない」などとうそぶいている話が出てくると、この本の指摘も納得でき、トランプに北朝鮮対応を任せている我が国としても心配になってくる。

学会内でも意見が分かれているとはいえ、確かに、精神科医がメディアを通して意見を公にし、こんな本まで出ると、ネットで「トランプはクレージー」とツィートするのとはわけが違う。実際この本の主題も、トランプの精神状態だけではなく、精神科医は政治家の精神状態にコメントしてはならないのか、あるいは、核戦争のボタンまで持っている人物となると、専門家として意見を述べるべきなのか、世の中に問いかけるものだと思う。この本で繰り広げられた主張が、今年一年どう広がり、中間選挙に影響を持ちうるのか、個人的には今年の注目ポイントになる。 個人的には、トランプ支持者は、知識人や専門家の意見にまったく耳を貸すことはないと思うが、専門家が公に向けて意見をどう述べていくのか、米国だけでなく我が国でも議論すべきだろうと思う。特に我が国では、例えば小保方事件でも専門家が集められた番組が組まれたように、専門家の意見をメディアも重要することが多い。しかし、おそらく政治的問題について、この本で示された専門家が公に話し始めるガッツは、我が国の専門家にはないだろう。実際我が国の専門家の意見は、メディアが決めた意見を支持する発言をするのが関の山だ。

その意味で、この本を肯定するのか、否定するのかというテーマに絞って我が国の専門家も議論してみればいいと思う。

実際、Goldwaterルールとは、核戦争も辞さないと大見得を切ったGoldwaterを精神科医が大統領不適格と意見を集めたことが裁判沙汰になり、Goldwaterが勝利した結果、精神科学会が作ったルールだ。しかし、同じことはどんな民主主義国でも起こりうることで、今議論を始めないと手遅れになるだろう。

この本で、私が一番心に残ったのは、トランプに頼まれ、長期間彼と行動を共にして「The Art of Deal」というタイトルの本を書き上げたTony Schwartzが述べた一節だ。彼は「トランプが参加するビジネス会議に数多く参加したが、会議で誰かがトランプに反対するのを見たことがなかった」と書いている。もちろんトランプはそれがリーダーシップで、まさに「The art of deal」だと自慢していると思うが、国家で同じことが起こると、歯止めの効かない最大の危険を抱えることになるのは歴史を見れば自明のことだ。昨年の森友・加計と続く報道を見ていると、同じ危機は我が国にも起こっているように思う。もちろんトランプと違って、精神科の医師が声を上げる問題ではないだろうが、様々な分野で専門家の行動に注目が集まる2018年だと改めて思う。
カテゴリ:論文ウォッチ