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5月17日:ソーシャルネットの写真「Dress」とクオリア (Current Biology 6月29日掲載予定論文)

2015年5月17日
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「私たちの感覚に絶対的な基準はない」と断じたイギリス経験論の頂点、デビッド・ヒューム以来、「自分と同じ感覚を他人も共有できるのか?」という問題についての議論が現在まで続いている。現代の大勢としては、「同じなはずがない」という捉え方が優勢で、この「私の感覚・主観的感覚」は定義できないという考えから、クオリアという言葉が生まれた。しかし、ソーシャルネットワークのつながりが、この問題をもう一度科学の俎上に乗せられるのではと私は密かに考えている。これについては、今本にしようと苦労しているので詳しくは述べないが、この密かな思いが現実になるかもしれないと期待させる論文が6月に発行予定のCurrent Biologyに、ボストンMIT、ドイツギーセン大学、そして最後はネバダ大学から3報も発表されていた。   私は全く気づかなかったのだが、今年の2月、一枚の縞のドレスを示してドレスの色は「白と金」なのか、「青と黒」なのかを問う写真がソーシャルネットに掲載され(http://swiked.tumblr.com/post/112073818575/guys-please-help-me-is-this-dress-white-and)大きな反響を呼んだらしい。この騒ぎは科学者の耳にも届いたようで、その中の何人かはネットで思いつきの意見を述べて終わるのではなく、主観感覚に直結する重要な問題として研究を行っていたようだ。その結果の一部がこの3編の論文で、どれも速報の形をとっている。ただ、もともと難しい問題なので、アプローチの手法も異なり、推察の多い結論だ。まずMITのグループは、行動学の問題として捉え、1400人の被験者の答えの分析を中心に行っている。例えば、女性や高齢者ほど「白と金」に見えるなどの分析を示しているが、結論としては私たちが生活の中で最も使っている光の影響下で形成された内部イメージがこの差を生み出すのだろうと結論している。まさに経験論そのものだ。一方、ギーセン大学のグループは、15人の被験者に写真と同じ色を選ばせる実験を行い、客観的に見たときそれぞれの被験者の感覚は決して2分されておらず、連続的な差を反映しており、この青vs白という見え方の差は、色ではなく、明るさに対する感じ方の差であることを示している。その上で、最終的にどちらと判断するかどうかは、日常生活で最も影響されている光(例えば自然光か人工光)の下に形成された脳のバイアスによるのではと推察している。一種経験論と普遍論の折衷だ。最後のネバダ大学は、青という色は、色彩としてより色の強さとして感じられる色で、これを黄色に変えると差はなくなることを示している。すなわち、もともと色彩としての判断がしづらい問題なので、このような差が生まれるという考えで、普遍論に近い。  研究としてはまだまだだ。しかし3編の論文を呼んで感心するのは、ネットでの炎上騒ぎから問題を抽出してくる科学者魂だ。おそらく論文としてまとまっていないが、同じような分析をしているグループは他にもあるだろう。ソーシャルネットにより容易になった、一般の人が自発的に科学研究に参加するというコレクティブインテリジェンスは、おそらく21世紀の重要な方向だ。特に主観と客観のように、自分と他人についての客観分析が同時に進む必要のあるテーマはこの手法が必須だ。おそらく今回研究に踏み切ったグループも、直感的にこの重要性を嗅ぎ取ったのだろう。頼もしい限りだと思う。是非わが国でも、炎上から新しい問題を嗅ぎ取る想像力を持った研究が生まれることを期待したい。

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