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11月5日:英国の大規模乳児コホートの挫折(11月29日号Nature掲載レポート)

2015年11月5日
今日紹介するのは論文ではなく、Natureが提供する科学ニュースだ。11月29日号「Massive UK baby study canceled(英国の大規模乳児研究が中止された)」という大きな見出しで紹介された記事だ。  記事は、2011年に計画され、2015年にスタートにこぎつけた英国の乳児研究が登録者が少なく中止に追い込まれたというものだ。この記事はHelen Pearson記者によって書かれたが、彼女がこの問題が特に重要と思ったのは、10万人の乳児を対象に生涯を記録しようとした米国NIHの計画も同じく中止に追い込まれたところだったからだ。   
両方の研究が目指したのは、大規模かつ長期に個人の詳細な記録を残しデータベースを構築することだ。事実この研究では、出産前の両親をリクルートし、出産時に子供や親の置かれた社会的状況、妊娠中の生活に至るまで調査し、将来子供の身体や精神の成長に及ぼす要因を研究するための基盤にしようとする野心的計画だ。21世紀ゲノム時代に始まった個人に集まるあらゆる情報を統合し、その意味を探る研究を代表する点で意義は大きい。特に社会科学をより客観的に変革したいとする英国経済社会科学審議会(ESRC)が強く後押しし、なんと2019年まで日本円にして70億円の予算が認められた。   
 本年1月にまず16000人の登録を目指して研究がスタートしたが、ふたを開けると9月時点でようやく249人が登録したという有様で、これを見たESRCが即座に中止を決定したというものだ。1年も経たないうちに中止を決定することは我が国ではほとんどありえないと思うが、英国でも早すぎるのではという批判が渦巻いているようだ。おそらくこの背景には同じ目的で始まり、2014年12月に中止が決まった米国子供研究の影響があるのだろう。   
この二つの例が示しているのは、個人を記録するというプロジェクトを国や研究者主導でトップダウンに行うことが今後ますます難しくなるということだ。我が国と比べた時、英国はコホート研究大国で、いじめや語学教育の意義にいたるまで、様々なコホート研究が発表され、観察期間が50年を越すのはざらだ。これららのコホート研究はすべて、科学者ができるだけ科学性を担保できる計画を立案し、長期にわたってデータを取り続ける手法だ。ただこれを21世紀型に拡大しようとすると、ゲノム、エピゲノム、脳活動、身体(医療)記録、教育記録、個人で残すライフログまで調べられる項目の数がきわめて多くなり、当然コストも多くかかる。この時、国や研究者が用意したデータベースがライフログの置き場所として提供されるが、問題はそれが信用されるかどうかだ。おそらくNOだろう。多くの国民は、国家や権力は情報を集めても、それをそのまま公開することはなく、そこから発信される歴史が都合よく書き換えられていることを知っており、信用しない。本当に21世紀型のコホート研究が必要なら、まず国家の影を消すことから始める必要がある。個人が自由に自分の好きな項目についてだけライフログをのこし、そこにゲノムを含む身体記録も合わせ、自分で管理する個別の記録から始めるコホート研究を考えることだ。すぐ科学性がないという批判が聞こえてくるが、そのようなデータからどう科学性を担保すればいいかの学問を確立すればいい。また自分の記録を公的に利用させるかどうかは個人の自由だ。しかしせっかく集めた自分のデータだ。これまでは死ねば跡形もなく消えていた記録だが、ゲノムも含めて情報として残せる新しい時代が来たことを賢い個人はわかるはずだ。  
 例えば我が国では、子供のゲノムは公的に管理する目的でなら調べてもいいが、自分や子供のために調べて、自分で情報を維持することはほぼ禁止されていると言っていい。これは、21世紀のトレンドから見ると全く逆行しており、役所も学者もこれまでの中央集権的発想から抜け出せていない。来年には個人の全ゲノム配列を信頼できる程度まで読むためのコストが5万円を切るという。英国と米国の二つのプロジェクトの中止決定は、中央集権的思考を捨て、個人ネットワークを基礎に考え始めるいい機会だ。

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