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11月26日:パリ多発テロに対する緊急医療対応(11月25日号Lancet掲載緊急レポート

2015年11月26日
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パリで同時多発テロが起こったのは11月13日の夜だった。それから2週間も経たない11月25日、イギリスの医学雑誌「The Lancet」に、テロ当夜300人を越す負傷者の治療に関わったAPHP(Assistance Publique- Hopitaux de Paris)の危機対応ユニットと、SAMU(Service d’Aide Medicale Urgente)メンバーの手記を含む、当時の救急医療対応についてのレポートが掲載された(Hirsch et al, The medical response to multisite terrorist attacks in Paris, The Lancet, http://dx.doi.org/10.1016/S0140-6736(15)01063-6)。緊迫感の伝わるレポートで是非一読を勧めるが、一般の人が雑誌にアクセスするのは難しいと思い紹介することにした。これほど迅速にレポートが医学誌に掲載されたのは、明日またテロが繰り返えされてもおかしくない多発テロの危険にさらされている各国の救急医療体制に対して、経験に基づくアドバイスをいち早く世界に提供するためだ。このレポートを、順を追って紹介しよう。
イントロダクション
最初にAPHPとSAMUについて説明している。APHPはパリ市にある44の病院を組織する世界最大の病院システムで、その中に危機対応部門が設けられている。大規模災害や同時多発テロのような緊急事態発生時にAPHP危機対応部門が招集され、APHP傘下の40病院の人員と施設、設備を一つの組織として、最大10万人の医療従事者、22,000の病床、200の手術室を指揮下において統一運用できるよう組織されている。一方、SAMUはフランス全土に救急医療サービスを提供する組織で、その高い能力、的確性、迅速性は、世界的に有名だ。緊急時には、救急車両や医療チームを現場に手配、派遣し、現場でのトリアージとともに負傷者(患者)の生の声を聞き、搬送先の医療機関を決定する任務を担っている。 今回の同時多発テロで最初の爆発が起こったのは、フランス対ドイツの男子サッカー試合中の会場である「スタッド・ド・フランス」(フランス サン=ドニにあるスタジアム)で午後9時頃だったが、午後10時34分にはすでにAPHPの危機対応部門が招集され活動を始めている。そしてすぐに、APHP設立後、初めてとなる、重大事態への最高レベル対応である「ホワイトプラン」を発令する。この迅速な対応により、治療を受けた負傷者302名のうち298名の命を救う(しかし、4名の尊い命は、失ってしまった。)ことができている。今回のテロ事件では、テロの標的となったバタクラン劇場(フランス、パリ11区の劇場で、コンサートが開催されていた。)の犠牲者が増えるに従い、APHP傘下の病院だけでなく、予備施設として大学の病院も組織に組み込む準備をしたことも述べられており、APHPに広範囲の機関や組織にわたる一元的で強い権限を与えられていることが理解できる。また対応マニュアルも詳細に規定されているようで、今回、精神科を中心とした心のケアチームまで組織されていることには驚くばかりである。 イントロダクションの後、現場で対応に当たったメンバーの手記が続く。 SAMU救急隊の医師の手記
SAMUは、「スタッド・ド・フランス」(サッカー会場)での自爆テロ発生の一報を受けた後、即座に医療チームを現場に派遣している。SAMUの指揮を担当する危機管理チームは通常15人の電話対応要員と5人の医師から構成され、現場からのトリアージ結果の報告を受けるとともに、その報告に基づいてどの現場にどれだけの救急車両を手配し、負傷者をどの病院に搬送するかを指示命令する。今回、「ホワイトプラン」が発令された後、SAMUではそれぞれの現場に医療救急隊チームを45に分けて派遣するとともに、15の予備チームを待機させている。予備チームを設けることで、当初の現場にすべてのチームが集中することを避け、次のテロ行為が発生等の不測の事態を想定した重厚な布陣であると言える。この指揮系統の一元化のおかげで、自力での移動が困難な256人の負傷者は救急車両で搬送され、自力で移動が可能な残りの負傷者は指示された病院に迅速に移動し治療を開始することができた。また、今回の負傷は、ほとんどが銃創であるため、病院に到着するまでの搬送前、搬送中における医師による止血等の適切な外科的処置が生死や予後に大きく影響することから重要となる。今回は、35の外科チームが組織されて重症者の処置に活動していたようだ。治療のためのマニュアルは記載内容が徹底しており、まず止血帯を用いて出血を止めることを最優先にしており、今回、救急車両等に搭載している止血帯がすぐ底をつくほどの使用量されたようだ。止血の後には、体温を保持するとともに、意識を維持しながらも血圧をなるべく低く保って、輸液を抑えるという処置が行われている。また、マニュアルを改善するために、一つひとつのテロ対応の経験を学術論文として素早く発表し社会で共有することの重要性も強調している。今回は、SAMUにとっても前例のない規模の事件対応になったが、結果としてSAMUの大規模テロ対応能力の高さが示されることとなった。これも全て日頃の訓練の賜物で、嘘のような話だが、事件当日もテロ対応を想定した訓練が行われていたようで、実際の招集がかかった時、訓練の続きかと勘違いした隊員もいたようだ。 麻酔医の手記
次に、パリに5箇所設けられている最高レベルの外傷治療センターの一つであるピティエ=サルペトゥリエール慈善病院(フランス、パリ13区)で事件に対応した麻酔医の手記が掲載されている。やはり日頃の訓練が徹底しており、召集される前から事件を聞いてAPHPのスタッフの多くが、自発的に病院に駆けつけ、この病院だけで即座に10室の手術室を準備できている。それでも予想を超える負傷者が運び込まれる事態となってしまったが、手当に必要な医療品のストックは十分確保されており、日頃の準備が完璧であったことを示している。また、銃創治療の訓練も繰り返して行われており、これらの経験に基づいて負傷の重症度を的確に判断し、処置ができたようだ。病院側の体制として重要なのは、手術後の患者を収容するベッドの確保で、このベッドの確保を適切に行うことにより手術室やICU(Intensive Care Unit:集中治療室)が塞がることなく、多くの負傷者に対応できている。多数の負傷者等の受け入れでは、治療を一方向に進むベルトコンベア方式で行う体制が重要であることが強調されている。さらに重要なのは、病院入り口での負傷者のトリアージで、X線検査、CT検査などの必要性、手術室の選択を一元的に決定し、全体がその判断に従う体制だ。この病院では、これを可能にするため、入り口と処置室の状況を把握して患者の搬送先を指揮する医師を、病院入り口と病院内の各所に配置し、トリアージを行っている。この結果、24時間で全ての手術が終わり、なんと次に起こるかもしれないテロリストの襲撃に備えたという。最後に、組織と訓練だけでなく、「各人がベスト以上のことをやろうという強い意志を持つこと」の重要性も述べて手記は終わっている。 外科医の手記
これを書いた外科医はAPHP傘下のラリボアジエール病院(フランス パリ10区)の整形外科医で、事件発生後2時間で病院に駆けつけている。そのときにはすでに6~7人のスタッフが、手術室の準備を自発的に行っていたようで、この外科医も病院スタッフの日頃からの訓練に裏付けられた自発性と専門性が危機対応時の成功の鍵となることが強調している。また、多くの予備の看護婦も自発的に治療を手伝い、全員が心を一つにして一人でも多くの命を助けようとしたことが述べられている。この病院では、経験のある2人の医師が、重症度の高い患者の手術室と、重症度のそれほど高くない患者の処置室に配置され、連絡を取り合いながらトリアージを行っている。このおかげでやはり24時間ですべての負傷者の処置を終えることができている。整形外科医なので、足や腕の銃創と銃弾により破壊された骨の手術を行っているが、処置したすべての患者は全く血管が傷ついていなかったことに驚いている。すなわち現場のトリアージが十分機能したことによって、血管の損傷した患者は、的確に血管専門外科を有する他の病院に搬送されていたようだ。最後にこの外科医は、スタッフ全体の信頼の醸成と、コミュニケーションがスムースに行われたことによって、大きな仕事を成し遂げたという満足感を述べている。
以上の記事は、断片的だが、今回のパリ同時多発テロ事件の対応を今後の遺産として残し後世で役立たすために、この緊急レポートが書かれている。私の文章でこの緊迫感が伝わったかどうかわからないが、当時の様子がよく分かるレポートだと思う。全体の結論としては、死者を負傷者の1%に抑え込むことができたという報告になっているが、今回の同時多発テロ事件がもし平日の昼間に起これば、ここまでの結果が得られたかどうかわからないとの反省も表明している。 繰り返すが2週間以内にこのレポートを発表するAPHPのリーダーシップには舌をまく。フランスは、ドゴール時代からテロにさらされてきた、いわば戦時下等の非常事態発生時の人的、物的、制度的準備の整った国であることがよく理解できる。我が国ではフランス政府に匹敵する実戦で対応できる非常事態発生時の体制や準備はできていないだろう。ではフランスを見習えと単純に言うのは簡単なことだが、平和ボケのせいかもしれないが、私には憚られる。 しかし、我が国でも、地下鉄サリン事件における、聖路加国際病院の石松伸一救急部長や関係者の現場での事態対応や、信州大学医学部付属病院の柳沢信夫病院長からの経験と知識に基づく支援対応を大規模緊急事態時に実践してきた経験と実績もあることから、共有すべき過去の経験は存在しているはずではある。これらの経験を過去に埋没させるのではなく、きちんと後世のために生かしていける社会となることを切に願わずにはいなられない。

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