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12月30日 自閉症スペクトラムの学童とバイリンガル環境(Autism Research 12月号掲載論文)

2018年12月30日
今年も自閉症スペクトラムについては重点をおいて研究を紹介してきた。しかし、その研究領域は多様で、思いがけない研究に出会うこともある。今日はそんな一例を紹介する。

自閉症スペクトラム(ASD)の症状は多様で、個人差も大変大きいが、社会性の障害、反復行動とともに、言語障害の3つの症状が最も特徴的だ。個人的には、社会性、あるいは他の人とのコミュニケーションの難しさが、全ての症状の原点にあるように思う。実際、社会性の問題に比して、言語障害の程度や内容は結構多様で、多くのASDではほとんど認められない場合もある。さらに、重度の言語障害があると診断されても、多くの著書を発表している東田直樹さんや、米国のIdoさんのように、文章を書かせたら普通の人よりはるかに高い言語能力を発揮する人もいる。すなわち、ASDは言語に問題があると単純に決めてしまうことは極めて危険で、柔軟に状況を判断し、エビデンスに基づいて対応することが重要になる。

この単純な思い込みの例として、バイリンガルの環境は、それでなくても言語学習に苦労しているASDの学童には負担になるので、なるべく一つの言語に絞るべきだとする考えがあったようだ。確かに言われてみると、一理あるような気がする考えだ。この思い込みに対して、社会や学校の環境がフランス語と英語が並立するモントリオールの公立学校に通うASDの学童について、バイリンガル環境に問題があるかどうかを調べたのが今日紹介する、モントリオールのマクギル大学の論文で、12月号のAutism Researchに掲載された。タイトルは「Bilingual Children with Autism Spectrum Disorders: The Impact of Amount of Language Exposure on Vocabulary and Morphological Skills at School Age (バイリンガルなASDの子供:学童期での言語への暴露量が語彙や言語構築力に及ぼす影響)」だ。

確かにバイリンガル環境でのASDの子供達を普通の環境のASDと比べてみるというのは着想が面白い。ただ、残念ながらこの研究では、バイリンガルと、モノリンガルのASDを科学的に比べるという研究は全く行っておからず、モントリオールの公立学校というバイリンガルの環境に通う子どもについて、言語能力を決めている要因をASD児童と典型的児童で調べただけの研究だ。従って、モントリオールの子どもについての調査を示すので、あとは自分で考えてと言った、ちょっと突き放した論文になっている。

では何がこの研究から明らかになったのだろう?結論は単純で、モントリオールの学童でボキャブラリーを決めているのは、典型児もASD児も、言語に触れている時間が最も重要で、あとは年齢、IQ、そして作業記憶と続くという結果になっている。また、言語構築の能力については、作業記憶が最も重要だという結果だ。

そして、ASD児では典型児と比べた時、同じボキャブラリーを獲得するためには、より長い時間言語に触れる必要があるが、すでに言語障害がはっきりしていても、言語に触れれば触れただけ、ボキャブラリーは増えることが明らかになっている。ただ、言語構築力については、言語障害と診断されている児童の場合、言語に触れる時間が長くてもあまり改善しないという結果になっている。

以上のことから、少なくとも社会性の問題だけで、言語障害が強くない児童では、量的には典型児と比べて少し落ちてはいるが、それ以外に違いはないことから、まずバイリンガル環境が言語学習を妨げることはないと結論している。また、バイリンガル能力を身につける可能性もASDで十分あるので、将来のキャリアを考えると、バイリンガル環境を避ける理由は全くないとも結論している。

ただ最終的な結論は、やはりパリの児童とモントリオールの児童を同じ条件で比べるなどが必要だと思う。個人的感想を述べると、ASDの児童は、人付き合いが苦手でも、決して言葉を嫌っているわけではないことはこの研究でも明らかだ。東田さんなどの文章力をみると、実際には言語にできるだけ触れた方がいいように思う。ただ、このような感想も本当は全て科学的に確かめられるべきで、真剣に取り合わないで欲しい。その意味で、バイリンガル環境とASDを結びつけた着想には感心させられたし、今後も研究を進めてほしいと思う。

  1. 山岸徹 より:

    記事中に東田直樹の事に触れていたが、残念ながら東田君の本はお母さんに依るモノ。受動型である東田君は密着し体に手を触れている母親の微妙な雰囲気を察しその意に沿ってタイプしているだけ。
    自閉症の医学的根拠心の理論を尊重するなら、東田君のマインド溢れ、概念が綴られた文章を本人のモノとすることは出来ないし、もし東田君のマインドだとすれば、東田君は自閉症では無いという事になってしまう。研究者は可哀想だから敢えて真実を暴かないだけだろう。

    1. nishikawa より:

      東田さんの話は初耳ですが、Ido君の本は、自閉症としての病歴や、お母さんとのコミュニケーションが取れた時についての記述もあり、英語の文章ですが素晴らしい力量だと思います。したがって、文字を通してのコミュニケーション能力については、是非調べていくべきと思っています。

  2. 山岸徹 より:

    これは西川先生もコミュニケーションについて当たり前に持っているが故に認識不足。
    例えば、ウイリアムズ症候群の子の場合、表面上は社交的で素晴らしいのに、そのやり取りに応じた内容は理解しない。
    コミュニケーションとは、言語だけ、意味だけでは無く、さらにそれに付随するメタ表象メタ言語を含んだ全てを理解していなければ成り立たない。
    一方、外国語の場合、多くは表面上の言語の意味を重要視するから、日本人の自閉症なら、外国語を理解するのも日常の日本語のやりとりを理解するのもさほど違いが無いため、一般人よりも外国語に対しては親和性がある。
    しかし、それはあくまで自動翻訳機止まりであり、
    コミュニケーションを本質的に理解していないから、外国語をいくら勉強しても真のコミュニケーションを獲得する事は出来ない。

    バイリンガル環境は自閉症にとって、子供のうちはアドバンテージになり得るが、成長と共に自我の発達と共に置き去りにされるのはなんら変わりは無い。

    1. nishikawa より:

      外国語やウイリアムう症候群も含めて、全面的に意見が違います。是非一度面と向かって議論したいですね。言語については、JT生命誌研究館の「進化研究を覗く」に2017ー2018まで私の理解をまとめてあるので是非お読みください

  3. 山岸徹 より:

    私は、ある程度の知能を持った自閉症であれば、
    バイリンガルでもトリリンガルでも全く問題無いと感じている。

    記事にまとめたのでよろしければ。
    https://mindblindness2.blog.so-net.ne.jp/2019-01-10

  4. 山岸徹 より:

    IDO君とは恐らくインドの生化学者を母親に持つギド君の事でしょうか。
    内容は知らないので語れませんが、自閉症の子供の記述方法としてFCと言う手法があります。
    私が知っている例で、ビルガーゼリーンという子が
    お母さんの手を借りてやはり書籍を出版して日本でも翻訳されていますが、非常に素晴らしい文章です。

    詳細は避けますが、自閉症のさらに受動型の特異な性質を考えると、FCの場合、その介助者の意想に沿って書いていると私は考えています。
    ただ、ここが重要なのですが、自閉症の子供を持つ親が実は自閉症(アスペルガー症候群)である確率は高く、その場合、FCによる記述も、別の意味で自閉症者の文章である事は、あり得るのです。

    そうであるから殊更混乱を引き起こすと思います。

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