AASJホームページ > 新着情報 > 生命科学をわかりやすく > 限定戦争は難しい

限定戦争は難しい

2019年8月22日
SNSシェア

おそらく人類誕生以来、人間は戦争を繰り返してきた。確かに、未開民族の研究では、多くの戦争は相手を殲滅させる全面戦争というより、できるだけ生命の犠牲が少ない形で白黒をつける儀式と考えられているが、数千年前、帝国が誕生し国家間の戦争が始まると、全面戦争が普通になっていったことは、多くの資料が物語っている。

この生存を重視する自制に基づく限定戦争から、全面戦争への転換がいつ起こったのか、それぞれの文化や民族が持つ国家観によるところが大きいが、マヤ文化では9−10世紀の古典時代の終期以前には、集団の間で争っても、全面戦争を防ぐ合意が存在していたと考えられてきた。

ところが最近米国地質学研究所のグループは、マヤ文明でも7世紀にはすでに相手を殲滅する目的の全面戦争が行われていたことを碑文と発掘資料から明らかにしNature Human Behaviourに発表した (Wahl et al, Palaeoenvironmental, epigraphic and archaeological evidence of total warfare among the Classic Maya , Nature Human Behaviour :https://doi.org/10.1038/s41562-019-0671-x)。

全て詳細は省くが、この研究では碑文に書かれた「(西暦に換算して)696年5月21日にがWitznaがPuluuy(燃え尽きた)」という表現が、どの程度の破壊であったのかを、Witzna近くの湖の炭素沈殿物から推察している。

結果は碑文と一致して、400年から650年まで何回か大きな火事が起こったこと、650年に最大の火事が起こって、その後人間の活動がこの地域からほとんど消滅したことを発見している。

この結果は、Puluuyという単語が、単純な火事を指すのではなく、全面戦争という意味を持っており、650年の戦争で、その地域は人間が生活できないところまで完全に破壊されたことを物語っている。

これまでマヤ古代文明では、わが国と同じでその地域の支配者やその一族が犠牲になることで、戦争は終わると考えられてきたが、そうではなかったという結論だ。

これと比較すると、わが国で多くの争いを終わらせた切腹という儀式がいかに人道的なものであったのかよく理解できるが、ひょっとしたらこの背景には、天皇という、独立した国家観が君臨していたおかげかも知れない。


  1. okazaki yoshihisa より:

    西暦650年に最大の火事が起こり、その後人間の活動がこの地域からほとんど消滅した。

    Imp:
    古代全面戦争の形跡?
    繁栄した文明が忽然と消滅する現象ですね。
    モヘンジョダロ遺跡では広範囲の砂が溶けてガラス化する現象が見つかっているとか。同様の現象は、地表核実験場でしか見つかってないとか。。。???
    ミステリーです。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

*


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。