青銅器時代に始まるユーラシア大陸全体にまたがる民族大移動は、人種と文化の混合を促進し、ユーラシアの文化を形作ってきた。この過程は、遺物や記録だけでなく、発掘される人骨から得られるゲノム解析により、詳しく追跡できる。例えば、ウクライナのステップで始まったヤムナ民族のヨーロッパやインド、シベリアへの移動は、文化とともにインドヨーロッパ語をユーラシアの主要言語とした(https://aasj.jp/news/watch/11355)。
このように東アジアと、ヨーロッパでは常に民族の行き来があったが、この過程については、2018年コペンハーゲン大学を中心にする研究グループによりNature に論文が発表され(Nature 557,369,2018)、ユーラシア全体から得られた137体の古代人ゲノム解析により、ユーラシア全体にわたる民族の交流が明らかにされている。有名どころでは、中国本土を常に悩ませた匈奴は、ヨーロッパのゲノムの量で、2種類のグループに分かれることや、民族移動で有名なフン族は、匈奴に占領された時に流入した匈奴の男系ゲノムがスキタイ人に流れ込んで形成されたことなどが示されている。
今日紹介するドイツ・ライプチヒのマックスプランク進化人類学研究所からの論文は、西暦300〜500にかけてモンゴルを支配したRouran(柔然)と、600年より少し前から800年まで、カルパチア盆地を支配したアバール王国が同じ民族によることを示した論文で、何千キロにもわたる民族の流入を見事に示せる古代ゲノム研究のパワーを見せつけている。タイトルは「Ancient genomes reveal origin and rapid trans-Eurasian migration of 7 th century Avar elites(古代ゲノム研究により、7世紀アバール王国貴族達の起源とユーラシアをまたいだ急速な移動を明らかにした)」だ。
モンゴルは匈奴、鮮卑に続いて柔然が支配するが、500年後半にチュルク民族に滅ぼされる。この時、柔然からカルパチア盆地へ移動して出来たのがアバール帝国だとされてきた。
この研究ではアバール帝国とその前後の古代ゲノムと、モンゴル地域で柔然時代を含む様々な時代のゲノムを採取、これらを比較することで両者の関係を調べている。
結果は単純明快で、アバール王国貴族のゲノムは、ほぼ完璧にモンゴル地区のゲノムに一致し、勿論柔然時代のゲノムと一致する。
柔然時代のゲノムサンプルが少ないため、100%柔然由来と言うわけにはいかないとは思うが、特にアバール王国前期のゲノムは、ヨーロッパのゲノムとの交雑がほとんどないため、アバール王国がモンゴルに存在していた民族の移動により形成されたことは明らかになった。
面白いのは、アバール王国前期から後期にかけて貴族のゲノムを比べると、少しづつは現地の民族との交雑が進むが、小数の例外を除くと柔然ゲノムが保たれている。おそらく貴族については、現地との交雑を進めず、モンゴルから同族をリクルートして血筋を優先していた可能性があると結論している。
同じことはインドに移動したヤムナ民族が、言語と血筋をカースト制度で守った例もあるので、貴族や王族の血筋がどう守られたにかを知ることも、歴史理解にいかに重要かがわかる。
一方アバール王国周辺では、柔然の移動によりゲノムが多様化しており、アバールの征服による、基本的には男からの一方的なゲノム流入が見られることも示している。
結果は以上で、あまり知らなかったモンゴルや、ハンガリー地域の歴史に私たちを惹きつける論文だと思う。
アバール王国貴族のゲノムは、ほぼ完璧にモンゴル地区のゲノムに一致し、勿論柔然時代のゲノムと一致する。
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文献的歴史研究と物的証拠研究。
歴史研究の両輪ですね。