2025年6月18日
間葉系幹細胞や細胞由来のエクソゾームを用いた抗老化治療をうたった美容診療医院を神戸でも見かける。間葉系幹細胞が骨髄移植時の GvH 抑制や、関節疾患の治療に使われ、認可された製品があることはよく理解しても、抗老化となるとなんとなくうさんくさい印象を持っていた。
今日紹介する北京大学からの論文は、このうさんくささを解消すべく、しかもアカゲザルを用いてヒトES細胞由来間葉系幹細胞に抗老化作用があることを、老化研究で用いられる最新の実験方法を用いて示した研究で、本当なら大騒ぎになっても良さそうな論文で、5月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Senescence-resistant human mesenchymal progenitor cells counter aging in primates(老化が起こりにくく操作したヒト間葉系前駆細胞はサルの老化を防ぐ)」だ。
Foxo3 は抗酸化反応を調節するなど、様々な抗老化作用に関する転写を調整する転写因子で、老化研究の一つの鍵と言える。この研究グループは、Foxo3 のアミノ酸の一部を操作することで、例えば血管の老化を防げることを発表していたが、この論文ではヒトES細胞でまず Foxo3 に老化を防ぐ変異を導入し、間葉系幹細胞を試験管内で誘導すると、試験管内で老化なしに増殖し続ける細胞が樹立できることを示している。そして、この老化しない間葉系幹細胞 (senescence resistance cell:SRCと呼んでいる) を注射することで、全身の老化細胞を活性化できるのではと着想し、ヒトで言えば60-70歳にあたる年齢を含む様々な年齢のアカゲザルの静脈に注入して、様々な老化指標を調べている。細胞は2週間に1回、1キログラムあたり2200万個を注入し続け、しかも44週間という長期に観察を続けている。
結果は驚くべきもので、コントロールに使った Foxo3 を改変していない間葉系細胞 (WTC) でも一定の抗老化効果が見られるが、ARC を注射したグループはあらゆる指標で大きな抗老化作用が認められる。実際ここまでやるかと言うほど、様々な方法で若返ったことを確認している。
例えば、脳では老化による皮質の縮小を抑えることができ、組織学的には老化で切れ切れになっているミエリンの構造が元通りになる。さらには、アミロイドや Tau の沈着も抑えられ、その結果として様々な認知試験が正常化するとともに、CT で調べた脳の構造も正常化している。
老化の伴い炎症性サイトカインの上昇が認められるが、これも正常化し、血液細胞レベルでみると、p21の発現による細胞老化が強く抑えられ、酸化ストレスによる DNA 障害が低下、自然炎症性サイトカインの合成が抑えられる。
他にも生殖臓器を含む様々な臓器について、組織学的アッセイ、転写アッセイ、そして single cell RNA sequencing を駆使して老化が抑えられていることを示している。また、最近老化時計の指標として使われる、遺伝子発現やDNAメチル化指標を用い、その結果を機械学習を用いて数値化して、若返り度を年齢に換算して示している。メチル化指標を用いるとアカゲザルでなんと5歳、人間で言えば15歳も若返ることを示している。
これ以外にも、生殖機能も含めほとんどの組織で老化指標が軒並み低下することを、最新のテクノロジーを用いて示しているが、紹介は割愛する。要するに、私の目で見てレベルの高い最新の方法とインフォーマティックスを用いて調べており、しかもアカゲザルを長期に観察するという極めて手間のかかる研究が行われている。
以上が結果だが、ではこのまま臨床に進むのかを考えてみると、一つ大きな問題がある。それはヒトに近いサルを用いたのはいいが、ARC はすべてヒト由来の細胞で、これをサルに注射しても当然ガンはできないだろうし、効果が完全に ARC だけによるかは疑問だ。というのも若返り効果はWTCにも少し見られるので、異種細胞を繰り返し注射する効果と言えなくもない。私がレフリーなら、アカゲザルのES細胞由来 ARC を用いた実験を要求したと思う。この実験でガンの心配が無く、若返り効果が確認されたら、大騒ぎになると思う。
もう一つの問題は、Foxo3 の変異は ARC にだけ導入されていることを考えると、なぜ若い間葉系幹細胞が細胞の老化を抑えるのかについてのメカニズムが全くわかっていない点だ。この問題を回避するため、著者らは ARC の効果が ARC 由来エクソゾームで得られることも最後に示しているが、マウスや試験管内実験が減少として示されているだけでそのまま鵜呑みにしにくいと思う。
とはいえ著者らはかなり自信がありそうで、論文の書きようも高揚感に満ちあふれており、ついに抗老化治療の切り札を手にしたと宣言している。おそらく、間葉系細胞を用いている多くの美容診療医院にとっては追い風になりそうだ。
2025年6月17日
これまでの細菌叢研究は、細菌叢のゲノムから健康との相関を割り出し、そのあとで細菌が合成する様々な分子と健康状態との因果性を確かめる一種のリバースジェネティックスが用いられてきた。ただ、遺伝子とプロダクトの相関についてのデータが不足しているため、健康と細菌叢の因果性を明らかにするのは簡単ではないが、短鎖脂肪酸と免疫や代謝疾患の相関などはこの方向から生まれた研究と言える。
これに対し、今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、体内に存在するアミノ酸と脂質が結合した N-acyl-lipid を網羅的に調べ、この変化を細菌叢、そして特定の細菌へと追求する形質から初めて遺伝子に至るフォワードジェネティックスを用いたユニークな研究で、5月16日 Natureにオンライン掲載された。タイトルは「The microbiome diversifies long- to short-chain fatty acid-derived N-acyl lipids(短鎖及び長鎖脂肪酸由来N-acyl-脂肪酸は細菌叢により多様化する)」だ。
すでに述べたように、この研究では体内に存在する様々な代謝物から、その由来とともに病気との相関を探ることで、その代謝物を合成している細菌を特定できるかという課題にチャレンジしている。ただ、無数の代謝物のなかからアミノ酸と脂肪鎖が結合した N-acyl-lipid (NAL) に着目して研究を行っている。というのも、NAL の中には免疫や神経機能を変化させる化合物が知られており、ガンやアルツハイマー病の診断に利用できないか研究されている。
質量分析データを解析し直して、血液や臓器のNALを探索すると、結合しているアミノ酸と炭素鎖の長さが異なる脂質が結合したNALを815種類特定することができる。これらの中から、実験が可能なマウスと人間で共通に検出できる205種類のNALに絞りさらに検討を進めている。
まず、無菌マウスを用いて細菌叢の関与を調べると、短鎖脂肪酸とアミノ酸が結合したNALのほとんどが細菌叢により合成されることがわかる。一方長鎖脂肪酸と結合したNALは細菌叢が存在すると低下するので、ほとんどが食べ物の中の植物成分に由来することがわかった。元々細菌叢により植物成分が短鎖脂肪酸へと転換されることは知られているが、これに様々なアミノ酸を結合させる作用が細菌叢に存在し、NALが合成され、高い濃度で体内に吸収されることがわかった。
次に病気との関係を調べる目的で、エイズ患者さんと健常人を比較し、エイズ患者さんではヒスタミンおよびカダベリンと短鎖脂肪酸が結合したNALが増加していることを発見する。他のエイズ検査と相関させると、このNALはCD4T細胞数と逆相関し、HIVウイルス量と相関する。
次に、このNAL上の変化の原因となる細菌を特定するため、患者さんで増加する細菌を選び出し、さらにそれぞれの細菌を培養して同じNALの合成が観察できるか調べている。その結果、Prevotella buccae などいくつかの菌ががエイズの腸管で増加しており、これらの細菌にヒスタミンと短鎖脂肪酸が結合したNALを合成する能力があることが突き止めている。
最後にカダベリン結合短鎖脂肪酸、及びヒスタミン結合短鎖脂肪酸を試験管内でT細胞に加える実験を行い、NALがそれぞれのT細胞に複雑な作用を持つことを示している。
以上が結果で、実際に細菌叢由来のNALが病気とどう関わっているのかについて結論するのは早いと思うが、まず代謝物の違いから初めて、細菌叢の違い、そして細菌叢のゲノムの違いへと遡るフォワードジェネティックスが可能であることを見事に示した研究で面白い。
2025年6月16日
このブログでもすでに4回紹介するとともに、YouTube 配信も行った「胸腺上皮細胞が体内に存在する様々な細胞の転写」を再現することで発生途中のT細胞に自己抗原を提示し、トレランスを誘導するという巧妙なメカニズムが存在する。マウスの場合、胸腺上皮の発生過程から生後1ヶ月まで、上皮は身体の組織を真似た転写を行う真似細胞として胸腺細胞を教育するのだが、それぞれの身体の真似細胞が発生する詳しい過程はまだわかっていないことが多い。
今日紹介するドイツフライブルグにあるマックスプランク免疫学・エピジェネティックス研究所からの論文は、胸腺発生に重要な Foxn1 の真似細胞の発生での役割を調べることで、真似細胞が必ずしも正常胸腺発生に依存しないことを示すとともに、胸腺が無いとされているヤツメウナギでも体内組織の真似細胞を形成してセントラルトレランスを誘導する仕組みがある可能性を示した研究で、6月11日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Developmental trajectory and evolutionary origin of thymic mimetic cells(胸腺の真似細胞の発生過程と進化起原)」だ。
この研究は Foxn1 がヌードマウスの原因遺伝子であることを明らかにしたトマス・ベーム研究室からで、お得意の胸腺発生過程での様々な組織を代表する真似細胞の出現を詳しく調べている。その結果、筋肉や繊毛細胞,浸透圧調節細胞のように進化の早くから存在する細胞については発生の初期から、そして皮膚や肝臓細胞のような脊椎動物以降の組織では生後に真似細胞が現れることをまず発見する。
即ち発生は進化を繰り返すというドグマにまさに合致しているので、今度は Foxn1 をノックアウトしたマウスで真似細胞を調べると、繊毛細胞などの進化的に古い細胞に対応する真似細胞は Foxn1 非依存的に発生することを発見する。
以前も紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/2083 )、顎や胸腺が存在しないヤツメウナギにも Foxn1 のパラログ Foxn4 が存在し、マウスの Foxn1 を Foxn4 に置き換える実験を発表しているが、真似細胞の観点からもう一度 Foxn1 が Foxn4 に置き換わったマウスを調べると、なんと進化の後期に現れる肝臓や膵臓、皮膚に対応する真似細胞が強く抑制されることを発見した。
ヤツメウナギからサメへの進化過程で、魚は Foxn1 と Foxn4 を発現するようになると同時に、肝臓や膵臓といった臓器が発生してくるが、これらに対応する真似細胞を効率よく発生させるために Foxn1 が進化してきた可能性を示唆している。
とすると、胸腺が存在しないナメクジウオでもT細胞が集まる胸腺様原基に同じような真似細胞の発生が起こっている可能性があり、調べるとミオシンや肝臓の TTR 遺伝子が原基に限局して発現しているのを明らかにしている。
さらに、Foxn1 と Foxn4 を両方発現するゼブラフィッシュから Foxn1 をノックアウトすると、筋肉や浸透圧調節細胞といった進化の古い細胞に対応する真似細胞が多くなることを示している。
以上が結果で、実際には完全にシャープに分かれるわけではないが、我々とは全く異なる免疫系を持つナメクジウオでも、同じように真似細胞が必要で、胸腺発生以前からセントラルトレランスメカニズムが存在したことを示す、トマス・ベームらしい研究だと感心した。
2025年6月15日
美術館だけでなく、教会でも多くの絵画を見ることができるが、古い絵画になると教会に飾ってある絵画は痛みが激しいように感じる。見るときの光のせいもあるのだろうが、ほとんどの教会では財政的にも修復が簡単ではないのだろうと個人的には思っていた。光に晒され、また大きな温度変化に晒されてきた絵画はオリジナルな光彩を保つことはできない。従って、古くから修復が行われ、その技術が伝わってきた。しかしながら、修復と障害が紙一重の修復作業に熟練した人材は乏しく、結果多くの美術館では修復できずに展示できない絵画が数多く存在する。
この問題に対し、ニスでカバーされている油彩の修復であれば、修復箇所だけをプリンターで印刷したラミネートフィルムを貼ることで、ほとんど満足のいくしかも何度でもやり直せる修復が可能であることを示した研究が、5月11日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Physical restoration of a painting with a digitally constructed mask(デジタルに作成したマスクを用いて絵画の実際の修復を行う)」だ。
最近は様々な AI 写真修正アプリが存在し、ピンボケの写真もシャープな写真に変えてくれるが、基本的にはこれと同じ原理で、まず元の絵画をスキャンし、そこから修復すべき部位を探し出す。その上で、すでに存在する元の絵画を復元する AI を用いて修復後のイメージを再現する。
ここまでは写真修正ソフトとほとんど同じだが、全てがデジタル画像の写真と違ってこの修正を実際の絵画に加える必要がある。一つの方法は、納得できる修正後のデジタル画像の情報を元に、色や修正範囲を決めて、最終的には手で修復する、即ち修復者を助け効率を上げる方法が考えられるが、これだと修復熟練者の不足を解消するには至らない。
そこで、手での修復を諦め、修復箇所だけを透明のラミネートにインクジェットやレーザープリンターを組み合わせて印刷し、それを一気に元の絵画に貼り付ける方法を選んでいる。このとき、修復倫理として伝えられてきた匠の技、すなわち修復しすぎない、さらに人間の視覚感覚に合わせた色彩の選択、などをアプリに組み込んで、最終的に5600カ所の剥げ落ちた箇所について、57000色の異なる色彩を用いた修復箇所をラミネートに印刷している。
15世紀後半に描かれたキリスト誕生を祝いに来た3人の博士の絵画では、馬小屋に横たわるキリストの顔が完全に抜け落ちている。人間が修復する時にはどうしているのか知らないが、AI なのでこの画風に最も合致した画像を、当時の様々な絵画に描かれたキリストの顔を元に再構成し、これをさも修復画像に見えるように描き、ラミネートに印刷している。
あとは画面に張るだけだが、ニスで保護されている絵画の場合、このラミネートを簡単に剥がすことができ、必要ならニスを剥がして通常の修復を行うことができる。今回修復対象になった絵画に関しては全修復に人間が行うより66倍速く完成したとしている。実際には、修復倫理に合致させたりするためにかかったアプリの構築などを考えると、今後はさらにスピードが上がると思う。
普通、修復を考える時、材料もできるだけ当時の画材に近くと考え修復されていると思う。しかし、ともかくお蔵入りになっている絵画を一般の人が鑑賞できるようにするという目的に絞れば、現代のインクジェットやレーザープリンターで使われているインクを用いた画像を使うことも納得できる。実際、赤ちゃんとはいえ3人の博士の訪問の図にキリストが主役を演じていることを考えると、キリストの顔の欠落した絵画は展示しにくい。そして、これを全て人の手で完成させようとすると時間もかかるし、修復倫理にかなうかどうかもわからない。その意味で、この研究によりお蔵入りの絵画を鑑賞できるようになることは意義が大きい。何よりも文句が出れば剥がせばいい。
2025年6月14日
グリオブラストーマ (GBM) は現在も治療方法開発のための様々な努力をはねつけている超悪性の脳腫瘍だ。今日紹介する米国メイヨークリニックとスクリプス研究所からの論文は、これまで知られなかった GBM のアキレス腱を発見し、治療可能性を示した研究で、5月18日 Cell にオンライン発表された。タイトルは「MT-125 inhibits non-muscle myosin IIA and IIB and prolongs survival in glioblastoma(MT-125は非筋肉ミオシンIIAとIIBを阻害し、グリオブラストーマの生存を延長する)」だ。
骨格筋のミオシン以外にも細胞自体の運動などに関わるミオシンが存在する。GBM ではミオシンIIA とIIB の発現芽上昇しており、これが脳内での強い浸潤を支えるのではと考えられ、GBM の進展をこれらミオシンをノックアウトすることで抑える試みが進んだ。この過程で、浸潤性のみならず、GBM の増殖も抑制できるという結果が得られて、ミオシン機能を阻害する薬剤の開発が進められていた。
遺伝子ノックアウトの研究から、ミオシン阻害は IIA と IIB 同時に起こる必要があることがわかっていたので、この研究ではこれまでミオシン阻害剤として知られていた Blebbistatin をベースに、両方のミオシンの機能を抑制できる化合物MT-125を完成させる。
この薬剤は静脈注射が必要で、まず様々な用量を投与し続ける実験を行い、有効濃度ではほとんど目立った副作用がマウスには起こらないことを確認する。一番心配されたのは心臓のミオシンに反応することだが、この心配はなさそうなのでそのまま研究を続けている。この薬剤単独で、マウスに発生させた GBM の生存期間を2倍程度延長させることができる。
次にミオシンの抑制がどうして GBM の増殖を抑制するのかについて、様々なインヒビターを組み合わせた薬理実験を行っている。
まず、MT-125 を投与すると GBM 内の活性酸素が上昇し、それによる DNA損傷が起こることがわかった。そして、活性酸素の上昇はミオシン機能が抑制されたことで、ミトコンドリアの分裂が抑えられ、長い異常なミトコンドリアが増加することによる結果であることを確認している。この結果、GBM のフェロトーシスが誘導され、細胞が死ぬことになる。事実、フェロトーシス阻害剤を加えたり、活性酸素を抑えるとこの効果は無くなる。逆にこれまでほとんど効果が無い放射線照射の感受性が高まることから、フェロトーシス誘導経路と MT-125 を組み合わせることが今後の鍵になる。
このように活性酸素を介する過程ではガン増殖に抑制的に働くのだが、こうして発生した活性酸素は、ガン増殖に関わる重要なシグナルについては促進的に働くことも明らかになった。これは、活性酸素により増殖にかかわる PDGF 受容体の活性を抑える脱リン酸化酵素が抑えられ、PDGF 受容体の活性が維持される結果で、MT-125 がガンを助けるという矛盾する効果を持つことが考えられる。ただ、このシグナルが持続的に活性化されることは、ガンのシグナル依存性を高めることから、PDGF 受容体から下流のキナーゼカスケードを薬剤で抑えられる可能性が高まる。即ち、ガンをシグナル中毒に陥らせ、そのシグナルを遮断するという方法だ。
これを証明するため、GBM を発生させたマウスを MT-125 と PDGF 受容体阻害剤や、さらに下流のシグナル阻害剤と組み合わせると、単独の時以上の強い効果が得られたことが示されている。
結果は以上で、まず現象に基づいて薬剤を開発した上で、その作用機序を明らかにすることで臨床での使い方まで示唆したトランスレーショナル研究で、完治は難しくとも GBM 治療に光がさしてほしいと思う。
2025年6月13日
Gender gap(男女差)がいつ、どのように生じるのかは、社会学だけでなく脳科学の観点からも極めて重要な課題だ。特に学業における gender gap の原因を探ることは、社会学、行動学、心理学、脳科学といった分野を横断する総合的な研究課題と言える。
今日紹介するのは、フランス・パリ=サクレー大学からの論文で、フランス全土で実施されている学力テストのデータを解析した研究だ。算数における gender gap が、学校に通い始めることそのものによって生じるという驚くべき結果を示しており、6月11日付の Nature オンライン版に掲載された。タイトルは 「Rapid emergence of a maths gender gap in first grade”(算数の gender gap は小学一年生から急速に現れる) 」だ。
日本では全国学力テストが小学校6年生を対象に行われ、毎年どの県の学力が高いかが話題になるが、朝日新聞によると2022年のテストでは正答率に男女差はほとんど見られなかったようだ。それでも、理数系科目を「好き」と答える割合において男性の方が高いという gender gap は依然として問題視されている。
一方、フランスの学力テストでは、小学校入学時(9月)、第2学期開始時(1月)、さらに2年目の開始時(翌9月)という3回にわたって、言語能力(ここでは「国語」と捉えてよいだろう)と算数能力を多角的に評価する、非常に丁寧なテストが行われている。
点数のランキングをプロットすると、入学直後からトップ10%に占める男子の割合がやや高めではあるものの、統計的に有意な差とまでは言えない。しかし第2学期の開始頃から男子のトップ層への比率が高まり、1年の終わりには明確な算数における gender gap が出現していることが確認された。
このテストは2018年以降、年4回にわたって実施されており、全ての年度で同様の傾向が再現されている。さらに、学校の種類(私立、公立、特別支援学校)に関係なく、この傾向は一貫して観察された。予想通り、平均点そのものは私立校で高く、特別支援校で低いが、gender gap の出現パターンはどのタイプの学校でも変わらなかった。つまり、入学から1年以内に gender gap が明確に形成されている。
Gender gap は一般に社会環境の影響とされるが、女性差別の強いイスラム圏出身の移民が多いフランスでも、社会的ステータス(親の学歴・収入等)ごとに分析しても、学校に通い始めることで gender gap が形成される傾向は変わらなかった。日本とは異なり、フランスには海外県が存在するが、全く異なる社会環境にある海外県でも同様の傾向が見られた。さらに興味深いことに、社会階層が高い家庭の子どもの方が、このギャップはより大きくなる傾向も確認された。つまり、高学歴・高収入層の家庭が私立学校に子どもを通わせても、gender gap は避けられなかった。
入学時には gender gap が無かったこと、また同学年内でも12ヶ月もの年齢差があるにもかかわらず、このギャップが実年齢とは相関しないことから、gender gap は学校に通うプロセスの中で形成されていると結論づけざるを得ない。
以上が主な結果だが、次に問うべきは、この gender gap がなぜ生じるのか、その原因を突き止め、可能であれば解消する方策を見つけることだ。しかしこれは容易ではなさそうだ。
論文では gender gap の原因としていくつかの可能性を検討している。もちろん男女間に生得的な行動差や心理的特性差が存在することは知られている。例えば女性の方がテストに対する不安が強い傾向があり、これが同じ能力でもパフォーマンスに差を生じさせる可能性はある。ただし、入学初期には男女差が無かったことから、この要因だけでは説明できない。
様々な可能性を慎重に排除していった結果、論文は「学校に通い始めた後、教師や家族が性別による先入観を無意識のうちに子どもに伝えてしまう」ことが gender gap の形成に大きく寄与していると結論している。例えば「女の子は算数が苦手」といったステレオタイプ的な見方が、意図せず子どもの意欲や自己評価に影響を与えてしまうと考えられる。ただしこれは教師個人の問題ではなく、学校という場を媒介とした家庭での子どもへの接し方の変化も重要な要因だろう。
興味深いことに、コロナ禍で学校教育が正常に行われなかった年には gender gap の程度が低かったという事実は、学校という社会システムの影響力の大きさを改めて示唆している。
2025年6月12日
ガンの多くはゲノムが不安定で、小さな変異は言うに及ばず、Y染色体が全て失われる (LOY) 変化がしばしば観察される。一方、正常人でも高齢になると骨髄幹細胞でLOYが起こり、これが増えると寿命が短くなることも知られており、LOYはガンだけに特異的な話ではない。
今日紹介する UCLA からの論文は、LOYを示す上皮性のガンの周りにはLOYを示す血液細胞が多いというメカニズムが想像しがたい不思議な研究で、6月4日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Concurrent loss of the Y chromosome in cancer and T cells impacts outcome(ガンとT細胞で同時にY染色体が失われると予後に影響する)」だ。
この研究ではゲノムを直接調べるのではなく、Y染色体から転写される遺伝子の発現量を用いてLOYを推定する方法を開発し、これを用いてガンゲノムデータベースから、LOYの頻度を計算し、LOYのガンへの影響を調べている。これまでも示されていたように、LOYの多いガンでは予後が悪くなる。
LOYによる転写レベルの変化を調べると、細胞周期に関わる遺伝子は言うに及ばず、様々なガン遺伝子により誘導されることが知られる、ガンをガンたらしめる遺伝子の発現が上昇し、免疫から逃れられるために発現するチェックポイント分子が上昇、そして抗原提示など免疫刺激遺伝子は低下することがわかる。すなわち、LOYにより特定の遺伝子が変化するというより、大きなゲノムレベルのリプログラムが起こりこれが予後を悪くしている。
LOYと相関する患者さんの生活習慣を調べると、喫煙やヘルペスウイルス感染がリストされるので、LOY自体は遺伝的に決まるだけでなく、様々な発ガン要因の結果として誘導されていることがわかる。
さて、ここまでは納得するのだが、この研究ではガンのゲノムデータベースから、ガン周囲の血液細胞のLOYについて調べ、なんとLOYを示すガンの周りに浸潤する血液細胞でもLOYの頻度が高まっていることを発見する。一方、同じ患者さんの末梢血ではLOYの頻度は変わっていないので、ガン周囲組織特異的な現象であることがわかる。
この全く予想外の結果を動物実験レベルで確認するため、ガンをマウスに移植する系でガン周囲組織の血液を調べると、LOYを移植したガンの周囲組織でマウスの血液細胞のLOYが上昇していることを発見する。
残念ながら、なぜこのような現象が起こるのかについての実験はここまでで、あとはガンのLOYとともに、周囲組織のT細胞にLOYが同時に認められるときに、最もガンの進展が大きいことをデータベースから確認している。
以上が結果だが、このような不思議な現象が起こる可能性は、LOYによりケモカイン反応性が変わり、LOYのガンがLOYの血液を優先的に呼ぶのか、あるいはLOYのガンから分泌される例えばエクソゾームの中にゲノム不安定性を誘導する何かが含まれているのか、本当ならここまで調べて論文にしてほしかった。
2025年6月11日
現在では食欲調節に関わる神経回路については GLP-1 やグレリンなどいくつかの経路が関わる複雑な系であることがわかっているが、おそらく最初に明らかになったのは、レプチン欠損の obマウスの解析に始まったレプチンが調節する AgRP 、NPY を発現する二種類の神経、そしてそれぞれにより刺激、あるいは抑制されるメラノコルチン受容体4 (MCR4) を発現した食欲抑制神経が関わる回路だと思う。
最近になって肥満を示す様々な遺伝子変異の解析から、視床下部の脳室の壁に接して存在する神経の繊毛形成に関わる遺伝子が変異することで肥満が起こることが知られるようになり、MCR4 を発現する神経の刺激調節に繊毛形成が関わることが明らかになってきていた。
今日紹介するテキサス大学 Southwestern 医学センターからの論文は、繊毛内での MCR4 刺激に関わる新しいG共役型受容体の発見で、6月5日号 Science に掲載された。タイトルは「GPR45 modulates Gα s at primary cilia of the paraventricular hypothalamus to control food intake(視床下部室傍核の GPR45 は摂食を調節する)」だ。
我々の現役時代、ショウジョウバエやゼブラフィッシュで行われたように、マウスでも突然変異をランダムに誘導してその形質のライブラリーを作る大変なプロジェクトが世界で行われ、我が国でも一つプロジェクトが走っていたことがある。この研究は、この前向き遺伝学と呼ばれる方法で肥満に繋がる変異を探す過程で GPR45 変異が肥満を誘導するという発見から始まっている。GPR45 と肥満との関係がこれまで発見されていなかったということは、ゲノムが明らかになりクリスパーで遺伝子変異が容易になった今も、前向き遺伝学が重要であることを示しているのかもしれない。
GPR45 を改めてノックアウトして肥満の原因を調べると、基本的には食欲が抑えられずに食べ過ぎることによる肥満であることがわかる。
次に、GPR45 の発現を調べると室傍核神経に発現しており、MCR4 発現神経特異的に GPR45 を欠損させると肥満が生じることから、MCR45 刺激による食欲調節に関わることが明らかになった。
そこで GPR45 遺伝子に蛍光遺伝子を導入して室傍核神経内での局在を調べると、ほとんどが繊毛で発現しており、繊毛へ分子を輸送する TULP3 分子により繊毛膜上に局在していること、そしてこの局在によりGタンパク質共役型受容体に結合する Gαs 分子が GPR45 とともに繊毛内に濃縮されること、その結果繊毛内で Adenylcyclase3 が活性化して、cAMP の濃度が高まることを明らかにしている。
GPR45 と adenylcyclase3 との関係をさらに調べるため、肥満を示す adenylcyclase3 の点突然変異を組み合わせる実験を行い、両方の変異を合わせても単独の変異と同じレベルの変異でとどまることから、GPR45 は Gαs を介して繊毛内の adenylcyclase3 を活性化し、食欲調節に関わることを明らかにした。
とすると GPR45 を刺激する分子は新しい食欲調節分しかと思うが、この研究では GPR45 の役割は繊毛に分布している MC4R に Gαs を供給することが GPR45 の役割であることを様々な実験から結論している
主な結果は以上で、まとめてしまうと GPR45 は TULP3 によって繊毛に運ばれるとき、Gαs を一緒に運ぶことで繊毛内の Gαs 濃度を高め、MCR4 刺激による adenylcyclase 活性化の閾値を上げているという話になる。
発生では shh シグナルを受ける smo が繊毛内に局在することで、シグナルの感度を高めていることが示されているが、食欲中枢に関わる MCR4 も同じような仕組みで繊細な調節をしていることを明らかにした研究だ。しかし、前向き遺伝学が今も使われていたことになんと言っても驚いた。
2025年6月10日
インスリン抵抗性は2型糖尿病へとつながる最も重要な前段階で、同じ量のインスリンに対する身体の反応が低下するため、たとえばインスリンによって血中ブドウ糖が下がりにくくなったり、脂肪酸の放出が増えて肝臓に蓄積したりする状態を指す。インスリン抵抗性が生じると高血糖状態が続き、膵臓のインスリン分泌がさらに亢進するという悪循環が生じ、これが膵臓を疲弊させ、インスリン分泌能が低下した本格的な2型糖尿病へと発展する。
最近、GLP-1受容体作動薬やSGLT2阻害薬といった新しい糖尿病治療薬が登場し、糖尿病治療は大きく変化した。その結果、インスリン抵抗性そのものを治療する薬剤の開発が、次の大きな目標となりつつある。
今日紹介するコペンハーゲン大学からの論文は、インスリン抵抗性の鍵となる骨格筋での変化を、バイオプシーによって得られた筋組織のプロテオーム解析を通じて明らかにした研究で、5月27日付で Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Personalized Molecular Signatures of Insulin Resistance and Type 2 Diabetes(インスリン抵抗性と2型糖尿病の個人別分子レベルの特徴)」だ。
インスリン濃度が上昇すると血糖が低下するが、この反応の大部分は骨格筋におけるGLUT4の細胞膜への動員とそれに伴うグルコース取り込みによるものである。そのため、急性のグルコース応答において骨格筋の役割は非常に大きい。この研究では、2型糖尿病患者34名、健常者12名をリクルートし、インスリン抵抗性を精密に反映する M-value を算出したうえで、空腹時およびインスリンを一定濃度に保った状態(インスリンクランプ法)で骨格筋組織をバイオプシーし、質量分析を用いてリン酸化タンパク質を網羅的に解析した。これにより、インスリン抵抗性の進展に伴い骨格筋で生じる変化を追跡している。
インスリンシグナルはインスリン受容体から始まるリン酸化カスケードによって伝達されるため、プロテオーム解析の重要性は言うまでもない。さらに、試験管内実験ではなく、実際の体内の筋組織での反応を解析したことで、これまで見落とされていた新たな治療標的が見えてくる可能性がある。
結果は膨大であるが、特に興味深い点を以下に箇条書きする。
ミトコンドリア機能と糖尿病の関係は以前から議論されてきたが、本研究ではミトコンドリア機能の上昇と糖分解の低下がインスリン抵抗性と強く関連しており、インスリン分泌の低下という糖尿病診断とは切り離して考えるべきことが示された。
意外なことに、インスリン抵抗性が発生すると、インスリンに対する反応性だけでなく、空腹時の骨格筋においても様々なタンパク質のリン酸化状態が変化していた。なかでも、JNK/p38経路のリン酸化は、インスリン抵抗性に伴う自然炎症と強く相関していた。
今回の最大のハイライトは、この自然炎症にも関与する変化の上流に、筋肉特異的に発現するAMPKγ3が位置していることを特定した点である。さらに、この分子が活性化される際にリン酸化されるセリン65番目の部位はヒトにのみ存在し、チンパンジーなどの近縁種には存在しない。この点はヒト特有の糖代謝進化とも関係しており興味深い。加えて、筋肉特異的なリン酸化反応ということで、インスリン抵抗性を標的とする創薬において理想的な分子と考えられる。
当然ながら、糖尿病診断と直接相関するリン酸化タンパク質の変化も発見されている。ただし、インスリンシグナル伝達の中核とされるAKT分子のリン酸化レベルは、インスリン抵抗性が発生した後でも保持されていたという意外な結果が得られた。これは、体内ではさまざまな代償経路が働きシグナルが維持されていることを示唆しており、この代償メカニズム自体が治療標的になり得る。
最後に、男女差についても検討されており、脂肪代謝に関わるタンパク質の変化は女性と男性で大きく異なることが明らかとなった。ただし、これはホルモンや生活習慣の差に起因するものであり、遺伝的な差異によるものではないと考えられる。
以上が主な結果だが、このほかにもこれまでの知見と一致する多くの変化が詳細に記述されている。さすが糖尿病創薬に特化したノボノルディスク社を擁するデンマークならではの、大規模かつ徹底した研究であり、この研究を成し遂げたこと自体に脱帽である。インスリン抵抗性改善に向けた多様な取り組みが進展していることを強く実感させる論文である。
2025年6月9日
ゴリラも含めてほとんどの大型野生動物は見ているが、サイだけは近くで見たことがない。写真は神戸理研時代のスタッフの一人Tim Schroederが撮影したものだが、いつもこの写真を見ながら、彼をうらやましく思っていた。
このみごとな角こそサイのシンボルで、おそらく野生では彼らを守る重要な役割を持っているのだが、この角が漢方薬として解熱や鼻血に利用されていることから、角だけを求める密猟が絶えず、サイを絶滅の危機にさらしている。調べてみると、サイの角の最大の集積地はベトナムらしく、ここから中国やタイへと取引が行われるようだ。
今日紹介する南アフリカ・ネルソンマンデラ大学からの論文は、サイを絶滅から守る切り札として、敢えて角だけを切り取ってしまう方法が有効であることを示した研究で、6月5日号の Science に掲載された。タイトルは「Dehorning reduces rhino poaching(角を切断することでサイの密猟を減らせる)」だ。
この研究は南アフリカ有数のサファリフィールド、クルーガー国立公園で行われた。というのもサイが住む他の地域と比べてクルーガー国立公園では急速にサイの個体数が減っており、2017年と比べると2022年では半数以下に低下していたからだ。
これまではレンジャーやカメラによる取り締まりの強化、厳罰化などで対応し、南アフリカで約100億円近いお金がこれに費やされていたが、効果は限られていた。そこで、苦肉の策として「身を切る改革」ではないが、密猟者が狙っている「角を切る」ことで、サイを守れないか調べたのがこの研究だ。
この目的で、クルーガー全体で短い期間にできるだけ多くのサイの角を切断し(18ヶ月の間にほぼ半数のサイの角を切り取っている)、その間の密猟数をクルーガーの8つの地域で追跡している。
結果は期待通りで、元々生息数の少ない地域では密猟が激減している。一方、生息数が多く密猟コストが少ない地域では、密猟を半分ぐらいにしか抑える効果がなく、残った角のためでも密猟することがわかった。
いずれにせよ、ほとんどの地域で効果は急速にはっきりと確認できたことは、この方法の有効性が示されたと結論している。
もちろん生物学的な問題はあると思うが、サイを守るという点ではこの取り組みを広げて、密猟コストを上げる方策を政府も採用する可能性はある。密猟者を見つけて罰するより、サイを見つけて角を切る方がコストも1/6で済むようだ。とすると、もはや写真のようなサイをアフリカで見ることはなくなるかもしれない。
それより、ベトナム、タイ、中国と言ったトレードの根元を取り締まる一方、アフリカでの貧富の差を減少させることが重要だと思う。この現状をもう一度世界に突きつける意味で、この論文の価値は大きい。