2025年3月6日
GLP-1受容体刺激剤は、私たちの代謝調節が大きく脳に依存していることを再認識させた。全身の代謝調節ホルモンの本家本元のインシュリンは、筋肉、脂肪、肝臓、血管内皮など末梢組織に様々な変化を誘導するが、同じように脳にも直接働いて食欲を調節している。糖尿病へ前段階のインシュリン抵抗性は決して末梢組織だけの問題ではなく、インシュリンによる食欲抑制の低下にも関わっている。
今日紹介するドイツチュービンゲン大学からの論文は、甘くて脂肪の多いスナックを5日間食べ続けるだけで、脳のインシュリン反応性が変化することを明らかにした研究で、2月21日号の Nature Metabolism に掲載された。タイトルは「A short-term, high-caloric diet has prolonged effects on brain insulin action in men(高カロリー食を短期間食べるだけで男性の脳のインシュリン反応の変化が誘導される)」だ。
この研究ではまずボランティアに通常の食事の他に Snikers、Brownies、ポテトチップスといった、甘くて脂肪の多いスナックを一日1500kcal 摂取させている。コントロールの人は日常の食事を続ければいい。正確に食事をコントロールしていないので、被検者のハードルは低い。ただ、コントロールされていない点を補う目的で、5日後の肝臓脂肪を全身MRIで調べている。驚くなかれ、殆どの被検者で5日間スナックを食べるだけで肝臓の脂肪量の上昇を認められる。一日1500kcal のスナックの威力と言える。一方、この程度では全身のインシュリン感受性などは変化が認められない。
同じ時に脳のMRI検査を行うが、通常の検査ではなく経鼻的にインシュリンを噴霧し、インシュリンの直接効果による脳血流量の増加(おそらくグルコースを取り込み上昇に対応する)を調べると、モチベーションに関わるローランド弁蓋部、また嗅覚や味覚を通した辺縁系機能に関わる島皮質での血流量が大きく増加しているのが認められる。すなわち、これらの領域でインシュリン感受性が上昇している。この時期の脳の情動を調べると、ご褒美回路が低下し、逆に罰に対する感受性が上がっている。おいしいものを食べすぎると満足しなくなった上に食べ過ぎを心配してしまうと言ったところだろうか。
重要なことは、この感情の変化は通常の食事に戻したあと1週間目で調べても持続している。ただ、直後に反応したローランド弁蓋部や島皮質のインシュリン感受性は元に戻り、逆に記憶に関わる海馬や、視覚認識の視床路に属する紡錘状回のインシュリン反応性が低下している。おそらく視覚から得る食べ物に対する記憶に関わる領域のインシュリン抵抗性が発生しているのだと思うが、詳しい意味については検討できていない。いずれにせよ、記憶に関わる脳の一部でインシュリンに対する反応性が、正常食に戻したあとも1週間続いているのには驚く。
同じように正常に戻して1週間目に脳内の神経結合性をMRIで調べると、肥満患者さんで見られるご褒美回路の結合性低下も認めている。
以上が結果で、要するに短期の食の変化だけでも我々の脳を一定期間変化させるのに十分というわけだ。元々おなかを空かせるのが当たり前の野生では、このような脳の変化は生存のために必須だったと思う。しかし飽食の時代も、同じ特性が脈々と維持されているのをみると、改めて欲望を抑える難しさを感じる。
2025年3月5日
「ソロキャンプ」という言葉を聞いたのは最近だが、なんとなく孤独を楽しむ象徴のように感じる。多くの場合、家族も含めて人付き合いの煩わしさから逃れ、自分を取り戻したいという気持ちにさせる社会状況があるのだろう。しかし、動物の場合孤独と危険は表裏一体で、生きるためには他の個体と一緒に行動することが重要になる。とすると、孤独より群れることを好む脳回路が存在しなければならない。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、マウスを他の個体から分離し、一定期間の後もう一度他の個体と再会したときに活動する神経回路を特定して、動物が他の個体と群れたがる本能に関わる神経回路についての研究で、2月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A hypothalamic circuit underlying the dynamic control of social homeostasis(社会的恒常性のダイナミックな調節を支える視床下部脳回路)」だ。
基本的には、他の個体から分離した後の脳反応と再開した後の脳反応を調べ、両者を綱具の迂回路を明らかにするのが目的だが、詳細に至るまでよく考えられた研究だ。他の個体との関係では当然競争関係も存在するので、まずメスの個体のみで研究が行われている。さらに、孤独を感じるインプットをシンプルにするため、正常マウスに加えて、網膜色素変性症で視力が失われたマウスを用いている。
その上で、孤独を経験したあと他の個体と再会したときの行動学的に詳しい分析を行い、再会での興奮程度とその持続を計測している。面白いことに、視力がないマウス系統 (FVB) が最も再開後の興奮が高い。
この興奮度の高いFVBマウスを用いて、孤独にしたとき、そして再会したときの神経活動を視床下部で調べると、孤独に置かれたときに興奮する神経、再会したときに興奮する神経を特定できる。それぞれの神経集団は分布が異なる全く別の集団で、孤独に置かれた神経(孤独神経)の興奮は再会後にすぐにオフになる。逆に他の個体と一緒にいるとき興奮する集団(再会神経)は、孤独に置かれるとオフになる。
孤独神経は興奮性で、再会神経は抑制性神経で、互いに連結があり、また様々な脳の領域に投射している。この回路を分析して最終的に以下の結論を得ている。
まず孤独を認識する孤独神経の興奮が起こる。これは脳の様々な領域に投射するが、基本的にはネガティブな行動を誘導し食欲なども低下させる。孤独神経を光遺伝学的に興奮させると、その場所を避けることも確認している。一方、再会神経は孤独神経にも投射して、再会したシグナルで孤独神経を抑制するのに関わるが、同時に被蓋領域のドーパミン神経に投射し、いわゆるご褒美回路を活性化させる。すなわち、興奮することで満足を与える神経になる。まとめると、空腹と満足による食欲回路と同じように、孤独と再会による満足のセットが中核回路を作り、これを感情的な価値に転換するため、様々な脳領域へ投射して、ネガティブな感情を惹起し、また満足によりそれを抑えるとともに、ご褒美感情を惹起する構造になっている。そして、通常他の個体といるときには孤独神経は常に抑えられているが、孤独に置かれると興奮が始まり、ネガティブな感情が芽生える。
最後に孤独感情を認識させるインプットを探している。このために視覚が失われたFVBマウスが用いられているが、様々な事件から、視覚、嗅覚、聴覚は殆ど寄与せず、基本的に他の個体とのボディータッチによる触覚が、再開神経を抑えることで、孤独神経が興奮する構造になっている。また、触覚の質を柔らかい布と固い物質でできたトンネルを通すことで変化させて調べると、期待通り柔らかい感触が重要であることがわかる。
以上、本能としての他の個体との接触が調節され、孤独を嫌うようにできていることがわかる面白い研究だ。さて、人間が孤独を好むようになったのはなぜなのか、面白そうだ。
2025年3月4日
ビタミンC が欠乏すると壊血病になるが、これを予防できる物質としてビタミンC を単離したのがハンガリーの生化学者セント・ジョルジで、このとき壊血病にちなんでア・スコルビン(壊血病がない)と名付けている。すでに忘れ去られているかもしれないがビタミンC の歴史に登場するもう一人のノーベル賞研究者は、量子化学のライナスポーリングで、学生時代教科書でも有名だったが、ビタミンC の大量摂取で風邪を予防したり、ガンの増殖を抑えたりできることを提唱していた。ただ、その後の治験などで、科学的根拠が乏しいとされ、ビタミンC 治療は下火になったが、それでもビタミンC が必須栄養素と言うだけでなく、免疫強化、コラーゲン活性化を通して皮膚の若返りが期待できるとして一般の人には人気の高いサプリメントになっている。
論文を読んでいると、医療現場からは消えたかに見えたビタミンC 療法は、特にガン治療の分野で新しく研究され始めていることがわかる。このブログでもすでに4回紹介したが、最初は点滴で一日60gという、ポーリングも驚く大量を投与する治療で、通常抗酸化剤として知られるビタミンC に活性酸素を発生させてガンを傷害させる治療だった(https://aasj.jp/news/watch/6679)。その後さらに、ビタミンC が補助因子として TET2 活性を高め、ガンで狂った DNA メチル化を元に戻して治療を助けるという論文も発表された(https://aasj.jp/news/watch/7291)。大量点滴療法に関しては、免疫機能が高まることが抗ガン効果に作用しており、チェックポイント治療と組み合わせると高い効果が得られることを示した治験研究も発表されている(https://aasj.jp/news/watch/12465)。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、これまでとは全く異なるメカニズムで、ビタミンC がガン細胞特異的にガン免疫への感受性を高めることを示した重要な研究で、2月28日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Lysine vitcylation is a vitamin C-derived protein modification that enhances STAT1-mediated immune response(リジンのビタミンC 化はビタミンC のタンパク質修飾で STAT1 が媒介する免疫反応を高める)」だ。
この研究は有機化学者の目から始まっている。リジンのサクシニル化反応に必要な反応性ラクトン構造をビタミンC も持っていることに気づき、様々な条件でリジンを含むペプチドにビタミンC を加えてみてリジンと結合するか調べた。すると期待通り、加えたビタミンC の濃度依存的にペプチドのリジン残基だけがビタミンC 化された。
そこで、生きた細胞内でもビタミンC 化が起こっているのか、2種類の細胞株をビタミンC を加えて培養し、細胞内のタンパク質を解析すると、500−1400種類のタンパク質がビタミンC 化されることを明らかにしている。ビタミンC 化されるタンパク質の種類に一定の傾向があること、さらに細胞抽出液を使った実験から、ビタミンC 化が酵素反応に基づくとしているが、酵素特定に関しては今後の課題として残している。
マウスのガン細胞株でビタミンC 添加により発現が高まる遺伝子の多くが免疫システムに関わっており、特にインターフェロン下流の分子の発現が高まっていることから、あとはインターフェロンシグナル下流に位置する STAT1 に対象を絞り、ビタミンC 化により SATA1 の機能がどう変化するのか、生化学的に調べている。
長い話を簡単にまとめると、STAT1 は298番目のリジンがビタミンC と結合する。この結果、STAT1 二量体の構造が大きく変化し、脱リン酸化酵素との結合が阻害され、リン酸化 STAT1 の寿命が延びる。この結果、インターフェロンシグナルでリン酸化された STAT1 の機能が長続きし、ガン細胞のインターフェロン感受性が上昇する。
特に注目すべきは、ガン免疫の標的になる MHC 及びガン抗原提示に関わる様々な分子の発現が上昇することで、その結果ガン免疫に対する感受性が高まる。
マウスにガンを移植し、ガンに対するキラー細胞及びビタミンC を投与すると、ガンを抑制する効果が見られるが、ガン細胞の STAT1 がビタミンC 化できない変異型にかえるとビタミンC の効果が全くなくなる。しかしこれまでビタミンC 効果の分子経路に関わるとされてきた TET2 や HIF1 をノックアウトしても、ビタミンC の影響は低下せず、この研究で使われた濃度では、ビタミンC と TET2 や HIF1 は関係がないことも示している。
以上が結果の概要で、タンパク質に対する直接修飾としてのビタミンC 化を発見し、一部のタンパク質ではビタミンC 化により、機能が改変されることを示し、ビタミンC 研究の歴史に新たな道を開いたと思う。また、STAT1 ビタミンC 化の結果は、これまでのガン免疫とビタミンC との結果をメカニズムの点からバックアップする重要な発見で、ガンの免疫療法でのビタミンC 投与の可能性を改めてクローズアップしたと思う。今後の鍵は、この反応を媒介する酵素の特定だと思うが、他のビタミンC 化されるタンパク質についての機能も面白そうだ。
セントジョルジがアスコルビン酸を抽出したのが1930年で、ほぼ100年が経過したが、こんな展開が待っていようとは全く想像できなかった。
2025年3月3日
論文を読むときどこから読むかは人それぞれだが、著者に注目しているなどの特別な例を除くと、まず全員タイトルから読み始めると思う。従って、論文を書くときはいつもいいタイトルをと心がけたし、読む側に回っても、手に取るかどうかはタイトルに影響されることが大きい。
今日紹介するハーバード大学からの論文はタイトルに惹かれる典型的な例で、2月27日 Nature Neuroscience に掲載されている。そのタイトルは「Nasal anti-CD3 monoclonal antibody ameliorates traumatic brain injury, enhances microglial phagocytosis and reduces neuroinflammation via IL-10-dependent Treg –microglia crosstalk(経鼻的に投与する抗CD3抗体はIL-10依存的Treg-ミクログリアの相互作用を介して、外傷性脳挫傷でのミクログリア貪食を促進し、神経炎症を抑える)」だ。
おわかりのように、タイトルに全てが書かれており、免疫学をかじっているものなら必ず驚く。まず、経鼻的に抗CD3抗体を投与して抑制性T細胞 (Treg) を活性化する方法に驚くし、さらに免疫疾患とはいえない普通の外傷性脳挫傷を Treg で治療するというアイデアに驚いて、論文を読み通すことになる。
初めて読むと驚くのだが、このグループは抗CD3抗体を経鼻的、あるいは経口投与して Treg を誘導する治療法の開発に長年取り組んでおり、2006年には抗CD3抗体経口投与で Treg を誘導して実験的自己免疫性脳炎を治療できることを示している。経鼻的というタイトルから、脳で Treg を直接活性化しているのかと思ったが、実際にはこの方法で全身の Treg を活性化させようと考えている。実際、2023年には Covid-19 の肺炎を抑える目的で患者さんへの抗CD3抗体経鼻的投与を行っており、一定の効果があることを示している。
では Treg 誘導は外傷性脳挫傷にも効果があるのか?多くの実験が行われており、ややこしすぎるのだが、症状に即した結果だけを見ると、損傷治療後30日目で、
- 抗CD3抗体を経鼻的に投与することで、行動上の脳機能障害が軽減される。
- MRI で認められる損傷領域が縮小する。
- 損傷部位のミクログリアの密度を下げる。
- 様々な血中マーカーで脳損傷低下、炎症の軽減が認められる。
ことを示している。一方で、損傷直後の1週目では殆ど抗CD3抗体の効果は認められないことから、慢性期損傷治癒に関わる過程に効果があることがわかる。
あとはこのグループが長年行ってきた研究に基づき、外傷性脳挫傷でも Treg が活性化することで炎症抑制が起こることを、多くの実験を使って示している。データを見ると、クリアカットではないので、この可能性を証明するのに苦労しているという印象だ。ただ、最終的に一番明確な実験は、脳挫傷のあと抗CD3抗体を投与したマウスから脾臓細胞を精製し、脳挫傷を受けた他の個体に細胞移植する実験で、抗CD3抗体処理を受けた脾臓細胞は、腹腔に注射すると脳に移行し、脳挫傷の症状を軽減させることができる。また、このとき Treg を除くとこの効果は消失する。また、IL-10 に対する抗体を投与すると、この効果は消失する。
他にも様々な実験が行われているが、この結果で言いたいことはわかる。すなわち、抗CD3抗体経鼻投与は全身の Treg を活性化できる。他の細胞より Treg への効果が強いのかは明らかにする必要があると思うが、結果オーライといえる。これは全身で起こり、Treg も脾臓中の細胞を、腹腔に注射するだけで効果があるので、脳局所の反応を誘導しているものではない。
私の印象としては、話がうますぎると警戒してしまうが、様々な疾患で臨床応用が始まっているようで、その結果を見た上で評価すればいいと思う。
2025年3月2日
私たち人間は、乗り物を通して自分の能力以上の移動を行っている。例えば電車に座っているとき、特に歩いていないが窓の外の景色で動きを感じているし、電車の加速や減速に伴い、前庭器官を通しても動きの感覚を得ている。ただ人間の場合、現在電車に乗っているといる認識に基づくトップダウンの調節の寄与は極めて大きいと思う。これは動く歩道を考えてみるといいだろう。腰より下が見えないようにして前に歩いていて急に動く歩道に乗ったら殆どの人は転ぶ。しかし、「動く歩道に乗ることがわかると、同じスピードで歩いたままで、さらに例えば2km/hの速度が追加されても転ばない。
今日紹介するロンドン大学からの論文は、トップダウンの認識を完全に遮断した上で、動物が運動をどのように感じているのか、大がかりな方法で調べた面白い論文で、2月19日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Motor and vestibular signals in the visual cortex permit the separation of self versus externally generated visual motion(運動と前庭シグナルから視覚野へのシグナルが視覚野で感じる運動が自発的か受動的かを区別する)」だ。
トップダウンの調節を排除すると、運動を感じるのは、視覚上の変化、前庭器官による加速度感覚、そして自分の運動についての身体感覚になる。ただ、これら全ての感覚を同時に記録するのは難しい。というのも広い空間を自由に動ける条件で、視覚インプットをコントロールしながら脳記録を行う装置は全くできないというわけではないと思うが、簡単ではない。そこで、トレッドミル上で運動させながら景色をそれに合わせて変化させる装置が用いられる。ただ、これだと前庭からのシグナルは変化しない。従って、頭の向きを急に変えると行った実験以外は3種類のインプットを全て追跡することはできなかった。
これに対し、この研究ではトレッドミル上で視覚インプットを変化させ脳記録を行う装置をなんと1.5m移動して前庭のシグナルを発生させられるステージの上に設置して3種類のインプットを生成している。
これを使うと、真っ暗でトレッドミルも動かない状態でステージだけが動くことで前庭感覚を刺激できるが、実際体が動きを感じると、視覚野神経が興奮する。それもほんの一部ではなく、25%程度の神経が活動することは、前庭の刺激が視覚野にも伝達され、視覚シグナルの調節をしていることがわかる。
実際、じっとしている状態で視覚インプットだけを変化させて起こる視覚野の神経興奮にステージを動かす刺激が加わると倍以上の神経が興奮していることがわかり、前庭からの刺激が視覚野の興奮閾値を大きく変化させていることがわかる。
一方視覚の変化にアジャストさせてトレッドミルを回し、マウスを走らせると、すなわち視覚インプットと運動感覚が合わさると、さらに2倍以上の神経が興奮する。面白いのは、このときステージを移動させても移動させなくても興奮する神経の数は変わらない。すなわち、自発的に運動している場合、前庭加速度センサーからのインプットは抑えられる。
とすると、視覚インプットと運動感覚だけがあれば移動に関する感覚は十分ということになるが、例えば視覚の変化と運動感覚の統一性がなくなるような状況、実験的には運動中に急にステージを動かす状態、そしてマウスの生活から考えると急に滑って移動速度が増したような状態、ではそのときだけ前庭からのシグナルも合わさってさらに多くの神経細胞の興奮が観察される。
この研究では視覚野への影響が研究されたが、実際には他の皮質神経でも、前庭及び運動からのインプットは神経興奮の閾値を変化させていることが示され、空間を移動する感覚が、我々の認識の基礎にあることを示している。
以上が結果だが、この研究の全ては研究装置の設計にあると思う。
2025年3月1日
RNA sequencing を中心とする single cell レベルの解析法の医学・生物学への貢献は計り知れない。特に、サンプル採取が難しい人間の研究のハードルが下がり、病気についての理解が急速に進展したことはこのブログで何度も紹介してきた。しかし、single cell 解析ではどうしても細胞をより詳細に分類することに目が奪われて、本質を見失うことも多い。
これに対し今日紹介するハーバード大学、エピジェネティック研究の大御所 Bradley Bernstein 研究室からの論文はグリオーマ組織に存在する骨髄球(ミクログリア、マクロファージ、単球、樹状細胞、顆粒球など)の single cell RNA sequencing データを細胞レベルで細分化するのではなく、カテゴリーに分けて整理しようとした研究で、2月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Programs, origins and immunomodulatory functions of myeloid cells in glioma(グリオーマ組織の骨髄球のプログラム、起原、そして免疫機能)」だ。
簡単にいってしまうと、この研究は抽象的な single cell RNA sequencing の結果を、これまでの血液学で行われてきた解析、すなわちそれぞれの血液系統(プログラム)の反応解析に近づけようとした研究と言える。どうしてこれまで、この方向での整理が進まなかったのか不思議だが、何度も行われてきただろうガンの微小環境の single cell 解析の中では、わかりやすさで特筆すべき研究と言える。
まず骨髄球の系列を決めているプログラムを定義するための遺伝子発現セットを特定し、先に挙げた5種類の細胞系列に分けている。脳なので、ミクログリアとマクロファージは分けられているが、あとは一般的な分類だ。
その上で、それぞれの系統での反応性を定義するための遺伝子セットを決めている。例えば、低酸素状態に晒されると全ての細胞で同じような転写プログラムがオンになる。これにより、骨髄球は系列を問わず、全身性炎症、局所性炎症、補完免疫抑制、貪食免疫抑制プログラムに分けている。さらに、組織レベルの転写解析法を用いて、それぞれのプログラムがガン組織のどこに発現しているのかも調べている。これにより、それぞれの機能プログラムが誘導される要因を整理できる。
まず、それぞれの系統はいずれの機能プログラムを発現できるが、ガン以外の組織では局所炎症性、あるいは貪食免疫抑制性プログラムは殆ど発現されない。すなわち、両者はガン組織特有の機能プログラムであるのがわかる。
脳組織の場合、脳内に限定されるとミクログリアと循環を通して移動してきたマクロファージを分ける必要があるが、通常のマーカーを使うのではなく、ミトコンドリアゲノム変異を single cell レベルで調べることでクローン標識として用いて区別している。これにより、ミクログリアには一部だがマクロファージが血液を通して移動し、ミクログリアに変化するものも含まれることがわかる。
このようにカテゴリー分けを行って丹念に見てみると、例えば全身性炎症プログラムを発現している細胞は、循環しているマクロファージがこのプログラムを発現したあとガン組織に浸潤しているのがわかる。また、ガン組織で強い低酸素状態が誘導されると、その結果として貪食型免疫抑制プログラムが誘導されることもわかる。そして、このプログラムが誘導されるガンの予後は悪い。
このようにガンと白血球の相互作用が詳しく解析されているが、詳細を省いて面白い結果を2つ紹介しよう。
一つは補完的免疫抑制プログラムで、これは脳内に限らず全身の細胞でも認められ、実際にはグリオーマ治療で使われるデキサメ鎖損により誘導されることがわかる。これも免疫抑制的なので、免疫治療を行うときにはデキサメサゾンの注視する必要があるのだが、残念ながらデキサメサゾンの効果が長く続くので、今後免疫治療のための重要な課題になる。
もう一つはこれらのプログラムがエピジェネティックな調節の結果として誘導されている点で、ガンの予後に悪影響のある貪食型免疫抑制プログラムは、p300/CBP を標的とする阻害剤で強く抑制できることを発見している。さらにこの阻害実験を基盤として、このプログラムが腫瘍組織の IL-1β により誘導され、AP-1 により支配される分子の発現により自恃されていることを示している。
当たり前とは言え、それぞれの系統プログラムと、反応プログラムを整理することで、single cell 解析がわかりやすく理解できることを示した、さすがにプロの目を感じさせる研究だと思う。
2025年2月28日
我々の細胞表面分子はさまざまな糖鎖修飾を受けているが、中でも血管内皮のバリア機能に関わるとされているのがグリコカリックスで、その損傷が糖尿病での血管透過性更新に関わるとされている。Covid-19 感染の血栓形成の一つの要因として、グリコカリックス層の剥離が指摘されたのは記憶に新しい。ところがこれほど重要なグリコカリックスの老化に伴う変化を調べた研究はあまり知らない。
今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、このグリコカリックス層が老化に伴い減少し、結果脳血管関門の機能が傷害されることを示した研究で、2月26日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Glycocalyx dysregulation impairs blood brain barrier in ageing and disease(グリコカリックスの調節異常は老化と疾患で脳血管関門を傷害する)」だ。
この研究は老化マウスの脳血管の電子顕微鏡写真から始まる。若いマウスと比べ、血管内皮の内側に存在する様々な糖鎖からなるグリコカリックス層が傷害されている。老化に伴う血管内皮糖鎖の変化を調べると、上昇しているものもあるが、特に粘液合成に関わる O-glycan 合成酵素が低下していることがわかる。ドラマチックな電顕写真の変化から考えると、血管内皮のグリコカリックス層は殆ど O-glycan 合成に依存していると言ってもいい。様々な方法で、さらに糖鎖の性質を探ると、最終的にムチンドメインを有する糖タンパク質が主体であることがわかる。すなはち、分泌はされないが粘液のような分子と言える。
生化学、遺伝子発現解析から、この変化は糖鎖の修飾を受けるタンパク質の減少ではなく、糖鎖修飾に関わる酵素が減少している結果で、同じような変化がアルツハイマー病やハンチントン病でも見られることを明らかにしている。
次にグリコカリックス現象の脳血管での影響を調べるため、合成酵素の一つ C1galt1 をノックダウンできる遺伝子をアデノ随伴ウイルスを用いて血管内皮に導入する実験を行い、脳血管関門が破綻することを確認している。
さらに、ムチンを分解する酵素を血管内に投与する実験を行い、脳血管関門が破綻するだけでなく、脳出血まで起こってしまうこと、そしてグリコカリックス現象によって血管内皮のタイトジャンクションが壊れることまで示している。
次に老化マウスに G1galt1 や Bebnt3 などのムチン合成に関わる酵素を導入して血管バリアーを回復する実験を行っている。糖鎖の合成経路にはいくつかの酵素が関わり、また老化で様々な酵素が低下していることをこの研究でも確認しているのに、一つの酵素の導入だけで機能が回復すると期待してトライしたのには驚くが、驚くことに血管の透過性を防ぐことができている。残念ながら最初に見たような電顕像が示されているので、回復の程度はよくわからない。しかしさらに驚くのは、修復酵素を導入した老化マウスでは認知機能や記憶力が高まることで、是非より詳しい定量的な実験がほしいと思った。
グリコカリックスの機能は脳血管関門の維持にとどまらず、血流の増加から血管を守り、血小板や白血球の接着を抑え、抗酸化剤としての活性もある。従って、この記憶回復が全て血管関門で説明できるとは思えないが、脳の老化を抑える一つの方法として有望だと思う。
最近 SGLT2 阻害剤が血管内皮のグリコカリックスを回復させるという研究が発表されているが、この点も糸口としては面白そうだ。
2025年2月27日
中国の歴史は漢族と北方民族との戦いの歴史と言って良く、その名残が万里の長城だ。そして秦・漢時代に大きな力を振るったのが匈奴で紀元前3世紀から300年間大きな勢力を持つ。しかし、紀元後匈奴は内部分裂、その一部が西に移動したのがいわゆるフン族移動ではないかと考えられている。実際、幼児期に頭蓋骨を変形させる習慣、墓の向き、遺物の特徴などから、フン族は匈奴の子孫であるという可能性が示唆されていた。当然ゲノム研究からこれが確認されると期待されたが、2023年匈奴の高い位の墳墓から出土したゲノム解析から、匈奴自体が実に多様なゲノムが混じり合った多民族国家であることがわかり、ゲノムからフン族との関係を特定することが難しくなった。
今日紹介するドイツライプチヒのマックスプランク進化人類研究所からの論文は、ゲノムから調べる血縁関係に注目して、匈奴がフン族と関係していることを示した研究で、2月24日に米国アカデミー紀要にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient genomes reveal trans-Eurasian connections between the European Huns and the Xiongnu Empire(古代ゲノムからヨーロッパフン族と匈奴帝国の大陸を越えた関係が明らかになった)」だ。
この研究では、匈奴時代、その後の中央アジア、そしてフン族の移動以降のカルパチア盆地から出土した人骨のゲノム解析から、identity by descent (IBD) と呼ばれる、血縁関係を調べるための長く連続した部分の類似性の比較に使えるゲノムを選び解析している。
西ユーラシア、北東アジア、南東アジアのゲノムを3極としたとき、匈奴の人たちは早くから様々なゲノムが混じる多民族国家であることがわかる。そして、フン族も極めて多様なゲノム構成を持っており、匈奴のゲノムとオーバーラップするが、例えばヤムナ民族が移動したような移動の流れを捉えることは難しい。
そこで、明確に IBD が見られる個体、すなわち親戚関係が特定できる個体を探していくと、もちろん20cM(ゲノムの長さ)以上の密接な近縁関係はそれぞれの地域でしか見られないが、8cM−12cM 程度のゲノムフラグメントの共有が、後期匈奴、2−5世紀中央アジア、そして4−6世紀のフン族で見られることを明らかにしている。すなわち、移動様式は明確ではないが、大陸をまたいで近縁関係を形成する人的交流があったことになる。
以上から、フン族と匈奴は間違いなく関係があることを示し、当時の歴史が距離を超えた大きな人間の移動により作られていったことが明らかになった。
スウェーデン人のヘディンに始まる中央アジア探検は、各国が入り乱れた発掘競争になるが、そのときを彷彿とさせるゲノム研究の競争が進んでいるように思う。
2025年2月26日
パーキンソン病 (PD) は αシヌクレイン分子 (αSyn) が繊維状の構造をとり細胞内で蓄積され、細胞変性を誘導することで起こることがわかっている。この繊維状になった αSyn は神経細胞から神経細胞へと伝搬するため、病巣が拡大していく。
今日紹介するともに上海にある上海医科大と復旦大学からの論文は、αSyn 繊維の神経内取り込みに関わる分子を特定し、αSynとこの分子の結合を阻害する化合物を特定し、新しい PD の治療法開発の可能性を示す研究で、2月21日 Science に掲載された。タイトルは「Neuronal FAM171A2 mediates a-synuclein fibril uptake and drives Parkinson’s disease( FAM171A2 分子は αSyn 繊維の神経細胞への取り込みを媒介し PD を進展させる)」だ。
この研究グループは2020年脳脊髄液中の Progranulin の量の遺伝子多型として FAM171A2 を特定していた。また、FAM171A2 発現の検討から、この分子が血管内皮やミクログリアを介して Progranulin を調節することが様々な神経変性に関わると結論していた。
ただ、今回の論文を見るとこのときの実験や結論は正しくなく、おそらく4年間この現象を追求して、今回示されたまるっきり違う結論に至っている。
まず FAM171A2 のいくつかの多型を調べ、PD のリスクファクターになることを確認したあと、またFAM171A2 の発現がドーパミン神経に見られることを示している。さらに脳脊髄駅内の FAM171A2 と αSyn がきれいな負の関係を持つことも症例で確かめ、PDと FAM171A2 の関係を追求していく。
PD モデルとして、αSyn 繊維を脳内に注射して繊維の伝搬を調べることが行われるが、この系で FAM171A2 を過剰発現したマウスでは神経内への αSyn の取り込みが上昇し、逆にノックダウンすると取り込みが低下することを確認している。さらに、機能実験を行い、運動障害が FAM171A2 過剰発現により高まること、逆にノックダウンで PD 進行が抑えられることを明らかにしている。
このように臨床例、動物モデルと進んだあと、細胞モデルで FAM171A2 が神経細胞への αSyn の取り込みに直接関わること、そして分子構造などの解析から FAM171A2 が直接 αSyn 繊維と結合することを明らかにしている。
最後に、既存の様々な化合物をライブラリーを用いて、FAM171A2 と αSyn との結合阻害化合物をスクリーニングし、AXLキナーゼ阻害剤が、この結合を阻害すること、そして化合物を直接脳内に注射することで、αSyn 繊維の伝搬を抑制できることを示している。
以上が結果で、最初の論文と結論があまり違うので本当かと疑いたくなるが、細胞レベルの実験は間違いそうもないので、FAM171A2 を PD の新しい標的として治療薬を開発する可能性が生まれた点で重要な研究だと思う。
2025年2月25日
UKバイオバンクのような大規模コホートは時間がたつほどその価値が高まってくる。特に死亡統計を全く新しいものに変化させる可能性を秘めている。現在の死亡統計は、死亡の直接原因を書いた診断書に基づくことが多い。報道でよく聞くが老衰による死亡などは、個人の死因としては意味を持つかもしれないが、死亡統計から長生きのための手段を探し出す目的には全く無力だ。これに対し、大規模バイオバンクは時間がたつにつれ登録者の死亡数が増えていくので、それまで検討が難しかった死亡に至る要因を分析できるようになる。
今日紹介するオックスフォード大学を中心とする研究グループからの論文は、UKバイオバンクへの登録者の中で75歳以前に亡くなった ( PD ; preature death ) ケースを集めて、ゲノム、環境、年齢、性別などと PD との相関を調べた研究で、2月19日 Nature Medicine にオンライン掲載されている。タイトルは「Integrating the environmental and genetic architectures of aging and mortality(老化と死亡の環境と遺伝要因を統合する)」だ。
この研究の責任著者は、昨年8月に死亡リスクを直接反映する血液検査(https://aasj.jp/news/watch/25007)を開発したグループで、UKバイオバンクの特長を生かした疫学研究を続けている。今回の研究では、このとき開発した血液検査による老化の指標も用いて、75歳以前に死亡するリスクを決める様々な要因を調べている。
老化やそれに関わる病気の遺伝子リスクに関してはすでに多くのデータが蓄積しており、UKバイオバンクに関してはこれらを即座に参照して遺伝の影響を調べることができる。従って、遺伝要因は後回しにして、UKバイオバンクに記載されている様々な環境要因のうち、PD に関わる要因を選び出すことがこの研究の重要な課題になる。
50万人に近い登録者の平均年齢は55歳で、これまですでに7.3%が亡くなっている。そのうちの74%が PD で、すでに2万を超しており統計的にも十分な数に達している。
UKバイオバンクでは、暖炉を使っているかといった点まで、なんと164項目の環境や習慣を調べた項目があり、この中から間違いなく PD と相関している要因を絞っていく作業を行っている。その結果、喫煙や借家・自宅などの経済項目を含む95項目に絞られている。
これらの項目は二次的な相関を持つ要因が混じり込んでいるので(例えば暖炉や自宅などは収入の結果になる)、これらを除き、また先に開発した血液検査による死亡リスクとの相関も含めてリスク要素を絞り込んで、最終的に25項目の要素が PD とそれに繋がる様々な老化と関わる疾患と関連することを明らかにする。
予想通り、死亡リスクにポジティブに関わる要素は、喫煙、貧困がトップに来る。一方、人種、運動、収入、パートナーとの同居などはリスクを軽減する。面白いところでは、10歳時点で背が低かった方がリスクが低い。
これらの結果は、すでに多くの論文で発表されていることだが、全てまとめて、しかも血液検査による老化指標も含めて総合的に調べた点がこの研究の特長になる。
その上で、老化に伴って発症率が高まる様々な病気についても、遺伝と環境のリスクを計算することが可能になる。例えばリンパ腫、肝臓ガン、リュウマチなどは殆ど遺伝要因の寄与はない。また、リンパ腫に至っては年齢だけがリスクファクターになる。一方、乳ガンでは遺伝要因が高く、年齢のファクターは殆どない。また、肝炎などは殆ど環境要因が大きいといった具合だ。
25項目について自分で当てはめてみると、50歳近くまで喫煙者であったことを除くと、長生きの要因がありがたいことに揃っていた。しかし、この要因を見るにつけ、貧富の格差を以下抑えて、国民の健康を維持するかが政治の役割であることがよくわかる。