2025年7月6日
我が国でも認知症の半分以上はアルツハイマー病によるが、次いで多いのが虚血性脳血管障害を原因とする血管性認知症で、特徴的なのは白質、即ち神経細胞の軸索が中心の異常が見られる。血管性痴呆に関しては、虚血が起これば仕方ないだろうと諦めてしまうのか、進行を遅らせるための治療開発も進んでいない。
これに対して今日紹介するUCLAからの論文は、マウスの血管性認知障害モデルを作成し、この病理や分子病態を詳しく解析することで、血管性認知障害の治療標的を見つけようと試みた研究で、6月30日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Deconstructing the intercellular interactome in vascular dementia with focal ischemia for therapeutic applications(局所性虚血による血管性認知症の細胞間相互作用分析を通して治療法を開発する)」だ。
まずマウス頭蓋内に、血管収縮性の化合物 (L-NIO) を投与すると、進行性の認知障害が発生し、記憶力や好奇心の喪失とともに、運動野障害による運動機能低下を誘導できることを明らかにしている。病理学的に調べると、人間の血管性認知障害の特徴をすべて備えており、神経細胞数は維持されていても、反応性が低下している。基本は白質障害なので、要するに領域間の神経連絡が低下していることがわかる。
このように比較的単純な方法で血管性認知症のモデルができたので、虚血によって起こってくる様々なプロセスを明らかにすることで、進行を遅らせられるのではと期待し、細胞ごとの遺伝子発現を中心に詳しく解析している。基本的には全ての細胞成分で遺伝子発現の変化が起こり、虚血で起こる病理にも複雑な背景があることがわかる。調べられた結果をザクッとまとめてしまうと、ほとんどの細胞が老化の方向へ引っ張られると結論できる。
では、細胞全体が老化方向へと引っ張られていく変化を抑える方法はあるのか?このグループは介入可能な過程として、タイトルにある細胞間相互作用に関わる分子に注目し、この大きなトレンドに影響を及ぼすリガンドと受容体を、細胞ごとの遺伝子発現データから解析している。
この解析から見つかってきたのが、血管新生を誘導することが知られている Serpine2 とその受容体 Lrp1 と、細胞表面に存在ししてATPを分解する酵素CD39と、ATPを分解されてできるアデノシンに対する受容体シグナルだ。
Serpine2 はミクログリアやアストロサイトで発現しており、受容体の Lrp1 はオリゴデンドロサイトで発現している。そして、障害を受けた白質でオリゴデンドロサイトがミエリンを形成するのを促進していることがわかった。実際、片方の染色体で Serpine2 が欠損すると、認知症が起こりやすい。従って、将来白質障害を Serpine2 投与、あるいは Lrp1 のアゴニストを使って遅らせる可能性がある。
もう一つのCD39-A3ARシグナル経路は、A3ARのアゴニストで介入が可能で、血管性認知症を誘導したあとA3ARのアゴニスト piclidenoson を投与すると、障害部位が減少し、記憶テストを回復できることを示している。
以上が結果で、血管性認知症は虚血の元を治せないので治療を諦めるしかないと考える一般風潮に、モデル系ではあっても見事に反論した研究で、今後の研究に期待したい。
2025年7月5日
自動車の自動運転は機械学習の一つのゴールだが、最近では大規模言語モデルや視覚言語モデルを活用する研究が急速に進んでいるようだ。おそらくLLMの導入の一つの狙いは運転時のベテランドライバーの判断を再現することにあると思うが、そのためには人間の判断や意志決定を正確に再現できるLLMの開発が必要になる。
今日紹介するドイツ ミュンヘン ヘルムホルツセンターからの論文は、人間の意志決定を予測できる、即ち人間の判断を再現できる言語モデルの開発についての研究で、7月2日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「A foundation model to predict and capture human cognition(人間の意志決定を予測できるファウンデーションモデルの作成)」だ。
碁や将棋といった特定のルールの中での判断を競う場合は強化学習の方法が確立しているが、人間はゲームだけしているわけではなく、様々な問題に対して判断していく必要がある。こんな場合は、人間の行動ではないが人間の作成したセンテンスを学習したLLMが向いていると直感的に感じるし、現在皆さんが使っているLLMでも状況に合わせて判断することができる。ただ、このグループはファインチューニングを通して、人間の行動予測により強いLLMが形成できるのではと着想して研究を始めている。
そのためのLLMプラットフォームとしてメタが開発して Llama 7B をダウンロードした一つのGPUを持つPCに実装し、研究に使っている。大きな研究室レベルというより、比較的小さなモデルを目指している。
この研究のハイライトは、人間の判断に近づけるためのファインチューニングに、100種類以上の人間の行動心理実験の結果を網羅した大規模データを用いているという着想だ。即ち人間の判断の集まりともいえるこのデータベースを言語化してファインチューニングに用いることで、通常の言語モデル Llama を判断に強いモデルへと変えられると考えた。
小さいマシンなので、GPUメモリを消費しないよう Quantized Low-Rank Adaptation という新しい方法でファインチューニングを行っている。このとき、あとでモデルをテストするため、敢えて全てのデータを学習させず、一部のデータをテスト用にとっている。大変そうだが、実際には5日でファインチューニングが完成しているようだ。
結論は期待通りで、様々な課題を Llama や強化学習モデルに溶かせたときと比べると、かなり高いレベルで人間の行動様式を予測できる。また、通常の行動心理テストに、新たな内容を加えて解かしても、高いパーフォーマンスを示す。そして、全くチューニングに用いなかった論理的行動に関しても、高精度に予測できることから、教えたことをただ繰り返すのではなく、新しいしかも多様な状況に応じた判断を予測できるようになっている。もちろん、データをあたえれば個人レベルの判断傾向も予測することができる。即ち、課題を問わない人間の判断を予測するファウンデーションモデルができた。
この研究のもう一つの面白さは、小さなモデルなので、LLM内での処理についても解釈することができる点で、これを利用して実際の人間が判断を行っているときの fMRI画像(=脳活動)とLLMの処理とを比較することができることを示している。すなわち、人間の脳内での活動をLLMと比べることも可能だ。
最後に、新しい課題に対して適切な判断を繰り返すことで、人間のように仮説に基づいた新しい実験が可能かといった一歩進んだ課題を予測できることも実験的に示しており、現在問題になっているLLMが自分で実験を行い新しい概念を出しうると言う可能性も示唆している。
完全に理解できたわけではないが、極めて面白いチャレンジで、当然自動運転やロボット手術も同じようなモデルが導入されるのではと思う。何よりも、テキストによるファインチューニングで、人間により近づいたのに驚く。
以前も正しいデータだけで学習させることの重要性を示したフライブルグ大学からの論文を紹介したが(https://aasj.jp/news/watch/25974)、ドイツは新しいLLM時代の研究方向に十分適応しているように思える。
2025年7月4日
毎日分化細胞を生産する必要がある幹細胞システムは、当然変異が発生する頻度も高く、その結果他の幹細胞より増殖優位性を獲得するクローンが発生する危険をはらんでいる。このような変化を見つけやすい造血系でクローン性増殖として研究が進んでおり、年齢とともに頻度が増え、動脈硬化などの疾患を促進し、死亡率を高めることがわかっている。
これに対し今日紹介するベイラー医科大学からの論文は、クローン性増殖も悪い話ばかりではなく、アルツハイマー病に関しては進行を抑える可能性を示した研究で、7月2日 Cell Stem Cell にオンライン掲載された。タイトルは「TET2-mutant myeloid cells mitigate Alzheimer’s disease progression via CNS infiltration and enhanced phagocytosis in mice(TET2変異を持つ骨髄細胞は脳に浸潤し貪食を亢進させてアルツハイマー病を抑える)」だ。
この論文を読むまで気がつかなかったのだが、2023年にスタンフォード大学のグループが血液のクローン性増殖とアルツハイマー病 (AD) リスクが逆相関するという論文を Nature Medicine に掲載していた (Vo.29, 1662) 。オッズ比で0.65と低下しているのでかなりの効果だ。
この研究ではこの結果の再検討をUKバイオバンクデータを使って行っている。ところが期待に反し、クローン性造血との相関を見ると、ほとんどリスク低減効果は見られなかった。ただ、UKバイオバンクでは血液細胞のゲノムを解析したグループが存在し、この結果を基にクローン増殖に繋がる遺伝子変異を調べると、6割のクローン性増殖を占めるDNAメチル化酵素 DNMT3a の変異を持つ人の場合はオッズ比で1.11と逆にリスクを高めているが、クローン性増殖の2割で見られる TET2変異を持つ場合は、オッズ比で0.53とリスクが半減することがわかった。
あとはマウスで DNMT3a欠損血液幹細胞と、TET2 欠損血液幹細胞をそれぞれ移植した ADモデルマウスで TET2変異を持つ血液細胞のAD進行を遅らせるメカニズムを探っている。残念ながら、放射線照射マウスへの幹細胞移植、さらには全身炎症を誘導するための LPS投与など、鎖を明確化するための様々な処理が行われているので、完全にヒトのモデルと言っていいかは難しい。
しかし、この条件下で TET2欠損血液はケモカインレベルなど強い炎症活性化状態を示し、脳への浸潤性が高い。しかも脳内で、活性化されたミクログリアと同じような遺伝子発現パターンを示し、その結果貪食活性が高まっており、おそらくアミロイドプラークを除去する活性が高い。一方で DNMT3a が欠損した白血球では LPSで炎症を誘導しても、このような性質は全く示さない。
以上が結果で、少し凝った条件を用いてはいるが、ヒトでの統計的調査を実験的に裏付けた事は間違いないと思う。TET2 は DNAメチル化を外す方向に働くため、これが欠損するとメチル化DNAが増加する。一方 DNMT3a は新たな DNAメチル化に関わる酵素なので、これが欠損すると DNAメチル化は低下する。今後この違いが具体的にどのような機能の違いになっているのかを調べることが必要になるだろう。一方、動脈硬化症などクローン性増殖が関わる様々な疾患も、変異により層別化し直して、ADと比べることも重要だと思う。確かに現象論にとどまる研究だが、将来の治療可能性も示唆するので、是非末梢からのマクロファージで AD は治療できるかという課題として、研究が進むことを願う。
2025年7月3日
腸は第二の脳と呼ばれるほど神経系が張り巡らされている。また、熊本大学時代研究していた腸管のペースメーカー細胞も存在し、速い動きとゆっくりした動きを調整している。このおかげで、食べた食事を上から下へ順番に消化管を通過させ、栄養を吸収したあと残りを排泄することができる。この腸管神経システム (ENS) は様々な種類の神経から形成されるネットワークだが、全ては神経管から発生する神経堤細胞由来で、消化管のほとんどは頸椎 (C4-C7) から発生する神経堤細胞が長い道のりを移動して腸管に分布しネットワークを形成する。肛門部の神経は仙骨神経堤由来で、移動距離は短い。ESN発生異常で最も有名なのはヒルシュプルング病だが、変異遺伝子に応じて到達距離が異なり、ほぼ全ての消化管に異常が見られるケースから下部消化管だけの運動異常まで、様々な現れ方をする。このように、組織を移動してネットワークを形成できる性質を利用して、ENSの前駆細胞を移植して遺伝的な消化管運動異常を治す試みが行われている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンフランシスコ校からの論文は、ヒト多能性幹細胞から様々なENS神経細胞を誘導する方法を開発し、それを薬剤スクリーニングや細胞移植治療に使う可能性を示した研究で、6月25日に Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Engrafted nitrergic neurons derived from hPSCs improve gut dysmotility in mice(ヒト多能性幹細胞由来 Nitrergic 神経をマウスに移植すると腸の運動異常を治療できる)」だ。
ヒト多能性幹細胞分化の研究者は数多くいるが、ENSへの分化をの研究者は極めて少なく、責任著者の Fattahi はずいぶん昔からENSに集中して分化誘導方法を開発してきた。
この研究では、これまで10年以上かけて確立してきた培養方法で、ヒトの腸管に見られる様々な種類の神経細胞が形成でき、それらはちゃんと刺激に応じて興奮できる神経細胞であることを確認している。中でも平滑筋をリラックスさせる重要な役割を演じているNOを合成分泌できる Nitrergic 神経細胞に注目し、5種類のNO分泌神経細胞が誘導・維持できることを明らかにしている。
その上で、形成されたENSオルガノイドでのNO産生を指標に小分子化合物をスクリーニングし、ENSシステムの運動を上昇させる化合物を特定している。セロトニン刺激系など様々な経路が確認されているが、それぞれについての詳しい解析は行われていない。
代わりにENSへの分化を促進できる小分子化合物PP121を特定し、この分子を使うことでENSへの分化を高められること、そしてこの機能がPDGFRの阻害を介していることが示されている。以上のように、分化及び成熟後のネットワークを使って腸の動きを正常化する薬剤の開発が可能であることが示された。
そしてこの研究のハイライト、試験管内でほぼ完全に分化したNO産生神経細胞を、NO合成が欠損したマウスの下部腸管にこの細胞を移植し経過を見ると、腸内でのNO産生が高まるとともに、腸管の通過時間が短くなることを示している。また移植された腸管を取り出し、腸の蠕動運動が回復していること、組織の緊張が軽減されていること、など完全に分化した細胞でもNO分泌神経を含んでおれば、腸の運動異常を治せることを示している。
ENS一筋という強い印象の研究だが、トランスレーションナル研究としては期待できる。
2025年7月2日
ヒストンのメチル化が染色体の構造決定に重要で、例えばN末端にある3番目のリジンがメチル化されたヒストン H3 (H3K4me) が結合している部位は染色体が開いており、逆に H3K27me が結合している場合は染色体が閉じていることがわかっている。多能性幹細胞の分化がエピジェネティック視点で研究されるようになった2006年、Bradley Bernstein が、細胞の自己再生と分化のバランスが必要な遺伝子調節領域には H3K4me と H3K27me の両方が結合しており、いわばオンとオフに二股がかかった臨戦態勢にある少し違った染色体構造をとっている可能性を示して、Bivalent 染色体と名付けた。この仕事は私も強い印象を持って読んだのを覚えている。
ただその後の研究で、臨戦態勢というのは言い過ぎで、DNAメチル化からの保護機能として重要であると考えられるようになってきていた。
今日紹介するハーバード大学からの論文は、H3K4 や H3K27 のメチル化をブロックする方法を用いて、造血細胞では Bivalent 染色体がメチル化保護ではなく、分化と自己再生のバランスをとる重要な機構であることを示した面白い研究で、6月17日 Cell にオンライン掲載された。タイトルは「Bivalent chromatin instructs lineage specification during hematopoiesis( Bivalent 染色体は造血過程で系統分化を指示する)」だ。
Bivalent 染色体を研究するためには、ヒストンのメチル化をブロックする実験系が必要で、ヒストンのメチル化に関わる遺伝子ノックアウトを用いて研究が行われてきたが、メチル化に関わる酵素が複数存在するため、なかなか明確な実験ができなかった。ところがヒトの突然変異の解析から H3 のリジンをメチオニンに変換することで(例えば H3K4 を H3M4 に変えた遺伝子を過剰発現させると)、H3K4 のメチル化が阻害されることがわかり、様々なリジン残基のメチル化を阻害することが可能になった。
この研究では H3M4 遺伝子をテトラサイクリン投与で誘導できるようにしたマウスを作成し、生後薬剤投与で H3K4me を特異的に除去すると、マウスは血液を作れなくなり20日を超すと完全に死亡することをまず観察している。
面白いのは、H3K4 のメチル化を阻害した場合、分化細胞が消失してしまうが、最も未熟な造血幹細胞から少し分化した幹細胞まで、いわゆる未分化細胞は正常に維持され、少し分化した前駆細胞の骨髄内での割合は拡大することがわかった。さらに、移植実験で長期に分化を抑制したあと、薬剤投与をやめると直ちに分化細胞が回復する事も確認している。即ち H3K4me は幹細胞の分化と自己再生を決める重要な役割を持っている。
H3K4me と H3K27me が結合している領域を調べると、H3K4 メチル化を阻害することで、特に Bivalent 染色体構造を持つプロモーター領域で、K4me と K27me のバランスが、K27me へと大きく傾いていることを明らかにしている。まさに二股をかけて臨戦態勢にあるというイメージだ。
これがバランスであることをさらに明確にするため、H3M4 マウスに H3M27 をさらに導入して、H3K4me とともに H3K27me も両方阻害する実験を行うと、バランスは元に戻り、分化血液細胞が現れ、マウスの生存期間が20日前後から150日程度に延びる。もちろん、Bivalent 染色体だけでなく、それぞれのメチル化ヒストンは単独で機能しているので、最終的にはマウスは死亡する。
いずれにせよ、K4 と K27 のバランスが重要な遺伝子調節が存在し、これが血液の自己再生と分化のバランスを決めていることがわかったので、どの領域がメチル化阻害の影響が出るのか解析し、Bivalent の領域でも血液分化に関わる遺伝子の多くがこのバランス型調節を受けていることを明らかにしている。
実際には、染色体構造を単一細胞レベルで調べる大変な実験が行われているのだが、結果は最初に Bradley たちがイメージした Bivalent 染色体のイメージに近いメカニズムが、少なくとも造血では明らかになったと言える。おそらくこれをきっかけに、他の幹細胞でも研究が進むだろう。また、白血病の中には大きなレベルのヒストン調節を行うポリコム遺伝子が点在しているケースもあることから、おそらくヒストンメチル化調節に強く依存する病態の研究も再検討されるように思う。
筆頭著者は八木さんという日本人だが、研究は Bernstein の論文に名を連ねていた Jaenisch のお弟子さん Hochdelinger さんのラボからで、研究が面々と続いているのも感じた。
2025年7月1日
タイトルを見てもらえばわかるように、今日はもっぱら医師向けの論文紹介になる。タイトルにあるシタラビン、ゲムシタビンは代謝拮抗剤と呼ばれる抗ガン剤で、両者とも核酸の一つシトシンに似た構造を持っており、複製時にシトシンの代わりにDNAに取り込まれ、そこで複製を止める役割をすると考えられている。では両者で作用機序や効き方が同じかというと、多くの点で異なっている。例えば白血病の場合、静止期にある幹細胞まで完全に殺せる可能性はシタラビンの方が優れていると考えられ、薬剤による白血病の完全寛解を目指す場合シタラビンが用いられる。これを裏返せば、増殖していない細胞を傷害することを意味しており、実際シタラビンは小脳失調症など脳に現れる特徴的副作用がある。
今日紹介する米国・国立衛生研究所からの論文は、シタラビンの神経毒性のメカニズムについて調べたプロの仕事で、代謝拮抗剤というカテゴリーにひとくくりにしないで、専門でない医師もしっかり副作用のメカニズムを知ることの重要性を示す研究で、6月25日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Mechanism of cytarabine-induced neurotoxicity(シタラビンによる神経毒性のメカニズム)」だ。
責任著者の Andre Nussenzweig は、免疫系での遺伝子再構成の研究の第一人者 Michel Nussenzweig の弟さんだと思う。しかし、兄弟で DNA 修復がらみの研究を行っているのも面白い。
この研究以前に、シタラビンもゲムシタビンもDNAメチル化が TET により脱メチル化されるときに DNA 一本鎖に切断が入る (SSB) ことがわかっていた。しかし、二本鎖に切断が入る DSB はシタラビンだけで起こる。
そこで DNA 脱メチル化時にシタラビンが存在すると DSB が入るのか探索し、シタラビンによる DSS 誘導には TET 及び脱メチル化が必須で、TET や TDT による脱メチル化プロセスをシタラビンが阻害する結果であることをまず明らかにする。即ち、DSB は脱メチル化反応が起こっている場所に選択的に起こり、多くの遺伝子調節領域とオーバーラップしている。そして、シタラビンによる DSB は通常の non-homologous end-joining で修復され、このときに染色体転座も多発することをシタラビン処理した細胞について確認している。
問題は、同じように TET が働いている場所で SSB を誘導できるゲムシタビンが DSB 誘導しないメカニズムだが、試験管内の生化学実験などを組み合わせて、SSB が起こった片方の DNA 鎖を除去修復しながら、もう片方のメチル基を除去する過程で、ゲムシタビンを取り込んだ一本鎖では効率よく修復しやすいために、もう片方の脱メチル化過程が止まって DSB が起こりにくいが、シタラビンが取り込まれると修復が遅れて、最終的にもう片方の脱メチル化サイトも切断される DSB が起こりやすくなることを示している。
即ち、DNA 複製だけでなく、脱メチル化過程で起こる修復過程の障害が DNA の DBS をシタラビンがより効率に誘導することが明らかになった。
即ち、増殖ではなく脱メチル化過程が進んでいる細胞ではシタラビンによる毒性が強く出ることを示している。実際、神経細胞では常に刺激による転写が起こっており、分裂とは無関係に転写のプログラムが変化する。即ち、DNA 脱メチル化による染色体の変化は神経活動に必須と言える。このことから、分裂しない脳細胞でもシタラビンの副作用が出ることになる。さらに、小脳失調症の原因についても調べ、小脳プルキンエ細胞では他の神経細胞に比べて TET の発現が高く、脱メチル化に強く依存していることがわかった。その結果、シタラビンではプルキンエ細胞が強く傷害され、小脳失調症が発症することになる。
以上、「薬の構造が違うから当然でしょう」と適当に理解していたよく似た代謝拮抗剤の作用の違いを理解する良い機会を与えてくれた論文だ。シタラビン以外にも 5FU など脳症状を誘導する代謝拮抗剤が存在することから、それぞれのメカニズムを詳しく調べることで、抗ガン剤治療の質を高めることができると思う。