2025年6月3日
腸内細菌叢が介入可能な「もう一人の私」として重要なことは明らかだが、次世代シークエンサーの普及でこの分野が進展し始めた頃は、もっぱら、どのタイプの菌が増えたとか多様性が減じたとかと言った現象論にとどまっていて、そこから生まれる介入方法は結局細菌叢の移植を超えることはなかった。しかし、全ゲノム研究が進み、それぞれのバクテリアの機能面が明らかになってくると、ホストとの関係をより因果的に研究できるようになった。
この流れの先頭を切っているのがこのブログでも何回も紹介した MITのRamnik J Xavier さんで、読んで面白い論文を発表し続けている研究者の一人だ。今日紹介する論文はこの Xavier 研からの論文で、Bacterioides が合成するスフィンゴリピッド (SpL) がコレステロール合成系を介して IL-10 分泌を誘導して腸内の炎症を低下させることを示した面白い研究で、5月30日Cell Host & Microbeに掲載された。タイトルは「Bacteroides sphingolipids promote anti-inflammatory responses through the mevalonate pathway(Bacterioides 由来のスフィンゴリピッドはメバロン酸経路を介して抗炎症反応を促進する)」だ。
昨日に続いて今日も SpL の話になるが、今日は腸内細菌叢の主要構成要素の Bacterioides が合成するSpL の話だ。これまでの解析から腸内細菌叢のなかで SpL を合成する能力があるのは Bacterioides 属だけであることがわかっており、Xavier らはこの合成の酵素spt をノックアウトした Bacterioides は腸内炎症を抑制する能力が低下し、逆に炎症を亢進させることを2019年に明らかにした(Cell Host & Microbe 25, 668–680, May 8, 2019)。
それからほぼ6年、炎症を抑える脂質成分を追求した結果がこの論文になる。炎症を収める野生型のBacteriodes (BTW) と spt 酵素がノックアウトされた結果炎症を促進する Bacterioides (BTspt) の脂質成分を比較するとともに、BTWの脂質がホストに働くとき重要と考えられている細胞膜由来粒子 (OMV) の脂質成分を比較して、BTWでだけ合成され、しかもOMVで濃縮している脂質として哺乳動物には存在せず、主に昆虫に存在している SpL、dihydroceramide phosphoethanolamine (CerPE) であることを突き止める。
そして、1)BTW由来 CerPE が OMV に運ばれ、腸管上皮や血液系の細胞に取り込まれたあと、24時間以上細胞内にとどまれること、2)この結果 OMV は腸内の炎症を抑えることができること、3)炎症抑制は IL-10 分泌と IL-1β 分泌抑制が関わること、4)このうち IL-10 合成はコレステロール合成経路のメバロン酸合成過程を CerPE が促進することにより、抗コレステロール薬スタチンでこの効果をブロックできること、を明らかにしている。
CerEP がメバロン酸合成経路を高めるメカニズムは明確ではないが、この結果は様々な意味で重要だ。
まず、これまで OMV はバクテリアから遺伝子やタンパク質の運び屋としてホストに作用していると考えられてきたが、中身がなくてもそれが合成される脂質自体でホストの反応を誘導できることは、OMV を考える点で大きな転換点となるだろう。
さらに、異質な脂質がホストに抗炎症メディエータとして働くことで、哺乳動物の発生以来続く Bacterioides の共生関係を築いてきたことも面白い。もちろん、腸内炎症を抑える新しい方法の開発や、私も服用しているスタチンの作用を理解する意味でも重要な論文だと思う。本当にプロの研究だと感心する。
さて、話は変わりますが、私は今日で77歳喜寿を迎えました。うれしいことに、先週、プログラムディレクターを務めたさきがけプロジェクトの同窓生が研究報告会を開催してくれ、彼らの活躍ぶりにふれることができました。そのとき喜寿のお祝いとしてTシャツをプレゼントしてくれたので、これを着て自身の近影を皆様に紹介することにしました。
バックに使ったのは、東京藝大大学院を卒業したばかりの小坂初穗さん(https://www.suteki-art.com/artists/%E5%B0%8F%E5%9D%82-%E5%88%9D%E7%A9%82/ )の作品です。ここまで生きてこられたのは本当にありがたいことですが、歳を重ねるということは様々な苦しみが積み重ることでもあります。多くの友人を失う悲しみが日常になります。また昨日までできたことができなくなります。それでも残った能力でできることに精一杯チャレンジして、黙々と生きていこうという決意が喜寿を迎えるということだと思っています。小坂さんの象の絵は私の家にある唯一の具象画ですが、この老人の気持ちを本当にうまく表現しているように感じており、デスクの横に飾って毎日見ています。是非皆様もご鑑賞ください。
論文ウォッチもなんと4500回を超えました。次は5000回を目指し、途切れることく喜寿を超えて生きている老人の毎日の興奮を伝えていきたいと思っています。
2025年6月2日
一般の人が脂質と聞くと、飽和/不飽和脂肪酸、トライグリセライド、コレステロールを思い浮かべると思うが、実際には細胞膜形成に必要な構造脂質、エネルギー代謝に関わる脂質、プロスタグランディンなどのシグナル伝達脂質、ビタミンなどのコファクター脂質など様々な機能を担う脂質が存在し、全体像が語れるのはかなりのプロだけで、現役時代は医科研の竹縄さんのような本当のプロに教えてもらうしかなかった。
今日紹介する米国国立衛生研究所からの論文は、脂質機能の複雑さがよくわかる論文で、6月26日号の Cell に掲載予定の研究だ。タイトルは「Selective requirement of glycosphingolipid synthesis for natural killer and cytotoxic T cells(グリコスフィンゴリピッド合成はNK細胞と細胞障害性T細胞に選択的に必要とされる)」だ。
タイトルにあるグリコスフィンゴリピッド (GSL) はセラミドと糖質が結合した脂質で、細胞膜に存在して細胞間相互作用に関わることが知られている。私の現役時代から、GSLの一つのアシアロGM1がNK細胞を特異的に除去する分子マーカーになることが知られ、利用されていた。
ただ、今日紹介する論文は脂質代謝のプロからの研究ではなく、免疫とサイトカインの研究では大御所の一人と言えるJohn J. O’Shea研究室からの論文で、NK細胞で働いているスーパーエンハンサー (SE) の探索から始まっている。
これまで何度も紹介したようにSEは一つの遺伝子の発現を高めるために多くのエンハンサーが動員される仕組みで、細胞特異的に特定の遺伝子発現を高めるとき形成される。この研究ではNK細胞に重要な分子を知るという目的でエンハンサーコンプレックスに存在する p300 が濃縮されている領域を探索し、これまでNK機能に重要とされてきた遺伝子に伍して、セラミドに糖鎖を添加する酵素 UGCG がリストのトップに来ることを発見する。
当然NKマーカーasialoGM1のことを思い浮かべたと思うが、この酵素は様々な糖脂質合成の根幹にあるので、ノックアウトでその機能を調べている。まず、NK細胞特異的に UGCG をノックアウトすると、NK細胞がほぼ消失する。さらに血液系全体で UGCG をノックアウトすると、他の細胞には大きな影響がなく、NK細胞が特異的に減少することがわかった。
幸いこの酵素に対する特異的阻害剤 Ibiglustat (IGS) が存在するので、IGS投与実験を行いNK細胞への影響を調べると、細胞障害性の分子が詰まった顆粒の数が低下し、また標的と相互作用したときに起こる脱顆粒が低下、その後NK細胞が死ぬことを発見する。そしてこの経路で合成される LacCer を細胞外からNK細胞に添加すると、IGSによるNK細胞死が防げることを発見する。
以上の結果から、UCGC はグリコスフィンゴリピッドを供給することで、アシアロGM1などを介する標的とNK細胞の相互作用に関わるとともに、細胞障害性顆粒の維持と、脱顆粒プロセスに必須で、これが欠損するとNKの細胞障害性機能は完全に失われる。さらに LacCer 合成を通してNK細胞自身が細胞障害性分子の作用で死ぬのを防御していることが明らかになった。
即ち、細胞障害性を獲得するための必要条件を実現する仕組みとして UCGC による糖脂質合成が存在することがわかるが、だとすると血液全体で UCGC をノックアウトしてもキラー細胞が減少しないことは不思議になる。そして、キラー細胞は抗原で刺激されたときには UCGC を強く発現し、ガンやウイルス感染時にキラー機能を維持するための糖脂質を供給するとともに、記憶キラー細胞を形成できるよう細胞死が起こらないよう守っていることが明らかになった。
以上のように、脂質の機能は本当に複雑だ。
2025年6月1日
四肢の再生の研究は古くからイモリやアホロートルなど両生類で行われ、発生学の一大分野として多くの研究者を擁してきた。例えば我が国では京大や基礎生物学研究所を経て熊本大学学長をされた江口先生がパイオニアだった。この研究の面白さは、四肢を切断して再生を誘導するだけでなく、組織を移植して新しい手を形成させたり、移植の代わりに分泌因子を局所的に発現させて手を形成させたり、あるいは指の数を変化させたり、様々な操作が可能な点にあった。ただ論文を読んでいると、おそらく研究者の数が減ってきているように思う。その最大の理由は、クリスパーが開発されたあとも遺伝子操作が簡単でないことだと思う。
ただこの問題は妥協せずにやる気になれば解決できることを、今日紹介するウィーンにあるバイオセンターの Elly Tanaka さんの研究室からの論文が見事に示してくれた。タイトルは「Molecular basis of positional memory in limb regeneration(四肢再生時の位置情報の記憶の分子基盤)」で、5月21日 Nature にオンライン掲載された。
Tanaka さんは四肢再生で形成される再生芽が分化細胞のリプログラムにより起こることをアホロートルを用いて見事に証明した研究者で、ドレスデンから今はオーストリアに移って研究を続けているようだ。この論文の question は手を切断した場所に形成される再生芽に、腕のプログラムに従った前と後ろの記憶をどう伝えるかだ。
これまでも様々な操作実験を通して、FGF、shh という分化因子がこれに関わることはわかっていたが、これを実現する細胞動態についてはほとんどわかっていなかった。この問題を解くため、Tanakaさんは遺伝子ノックアウトは言うに及ばす、遺伝的な分子マーカー発現による細胞の追跡、標識による細胞ソーティングなど、遺伝的な仕掛けを駆使して妥協のない実験を行っている。書くのは簡単だが、人口の少ない非モデル動物でこれらの遺伝操作を利用できようにするのは大変な努力が必要だと思う。
さて答えだが、shh を発生時に発現した細胞を遺伝的に標識すると、この細胞が腕から手にかけて後ろ側に分布していること、成熟後は shh の発現はほとんど無くなるが、切断されると、発生時に shh を発現していた細胞だけが shh を強く発現するようになることを示している。すなわち、発生時の shh陽性細胞が腕と手の後ろ側に分布して、この細胞だけが再生誘導時に shh を発現することが、再生時の位置情報になっていることを示している。このように、遺伝的細胞追跡を可能にしたことがこの発見に繋がった。
次に、発生時や再生時に shh を誘導する分子を探索し、shh の発現が Hand2転写因子により量的に調節されていることを発見している。Hand2 は腕や手の後ろ側でだけ発現し、成熟後も低いレベルで発現が維持される。この低いレベルの Hand2 発現が、腕や手の前後を決めている。そして、手が切断されると、局所的に Hand2 の発現が上昇し、その結果それまで抑えられていた shh が発現することで、新たに形成された再生芽に後ろ側がどちらかという情報を提供している。
四肢再生の面白さの象徴と言える実験に、正常の腕に後ろ側の組織を移植すると、手が新たに形成されるが、前側の組織を後ろに移植しても何も起こらないという現象がある。Tanaka さんは、腕の前側と後ろ側の細胞を遺伝的に標識し、それをソーティング後移植する実験を行い、前側に後ろ側の細胞を移植したときだけ新しい手が形成されることを示したあと、移植した細胞が新たに shh を発現できることがこの現象の鍵になっていることを示している。即ち、発生時 shh を発現し、その結果 Hand2 を低いレベルで発現した細胞だけが新しく shh を分泌できる記憶を持っており、これが再生時に前と後ろの区別が正確に伝えられる理由であることを示している。
さらに、前と後ろを分子マーカーで標識したあと、前と後ろに移植する実験を行い、前側の細胞はプログラムを後ろ側にスイッチできるが、後ろ側は前側に移植しても記憶が維持されることを示している。
他にも重要な実験が示されているが、割愛してもいいだろう。職人技に支えられた再生研究はこれまでどこかでモデル動物とは違うことを理由に妥協が行われていた。これにたいし Tanaka さんはモデル動物と同じレベルの遺伝子操作法を導入し、妥協しない研究とは何かを見事に示したと思う。是非若い研究者には読んでほしい論文だ。彼女に最後に会ったのは、彼女がドレスデン大学にいるときに研究室のリトリートに参加したときだ。そのあと10年以上かけてこれだけの系を完成させたことに深い感銘を受けた。