1月13日午後2時よりジャーナルクラブを開催します。今回は脊損患者さんのリクエストに応えた企画で、友人の伏見さんを始め患者さんが直接参加されます。最近の論文から、歩行を学習したAIを用いる電気刺激療法と、最近報告された神経幹細胞移植治療に関する論文を紹介する予定です。患者さん以外にもオープンですので、直接参加したい方はリクエストしていただけばURLを送ります。
1月13日午後2時から 西川伸一のジャーナルクラブを開催します。
1月6日 滑脳症の治療法開発(1月1日 Nature オンライン掲載論文)
研究側にいると、遺伝性の希少疾患の治療法開発が加速しているように感じる。実際 CRISPR/Cas を用いる遺伝子編集の臨床治験成功の論文を目にするようになったし、ClinicalTrial Gov. でも100近い治験が進んでいる。さらに、遺伝子疾患を遺伝子治療ではなく薬剤で治療する試みも進んでいる。なんと言っても昨年の一押しは FOP 患者さんで新しい異所性の骨形成を完全に抑制する内服薬の開発についての論文だが(https://aasj.jp/news/watch/24563)、他の遺伝子疾患でも薬剤探索が進んでいる。
今日紹介するイェール大学からの論文は、滑脳症と呼ばれる脳の皮質が肥厚して脳のしわ(脳回)ができなくなる病気を、現在うつ病の治療薬として治験が行われている内服薬で治療できる可能性を示した研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Dysregulation of mTOR signalling is a converging mechanism in lissencephaly(mTOR シグナル異常は滑脳症共通のメカニズム)」だ。
滑脳症の原因遺伝子としては10種類以上の遺伝子が知られており、多様なメカニズムで起こる状態だと考えられているが、組織学的には神経幹細胞から発生した神経細胞が分化して移動する過程が傷害されている。
このグループは、これまで知られていなかった滑脳症の原因遺伝子として PIDD1 遺伝子を特定し、この機能を研究する目的で、PIDD1 変異患者さんから iPS細胞を作成、さらに正常 iPS細胞に PIDD1 変異を導入し、滑脳症形成過程を試験管内で調べている。
期待通り、神経オルガノイド形成初期からこの変異により脳室側に存在する幹細胞の数が増えていることがわかる。さらに時間がたつとオルガノイド最外層の Cortical Plate が肥大することを突き止める。細胞学的には神経幹細胞の増殖が高まり、分化が遅れることで起こる異常であることが特定される。
そこでこの細胞学的変化の背景を single cell RNA sequencing を用いて正常オルガノイドと比較することで調べると、一番目立つ変化として mTOR 経路の分子の発現異常が特定される。また、プロテオームの解析でも、同じように mTOR シグナルの低下による変化が最も目立つ変化として特定された。
残念ながらなぜ PIDD1 機能低下により mTOR シグナルが低下するのかについては特定されていない。しかし、他のタイプの滑脳症からiPS細胞、そして脳オルガノイドを作成し、プロテオームを調べると mTOR シグナル異常が見られることを発見している。
そこで、現在うつ病の治療薬として治験が進んでいる内服で脳特異的に作用する mTOR 活性化剤 NV-5138 を培養に加えると、PIDD1 異常だけでなく、他の原因の滑脳症 iPS細胞由来の脳オルガノイドの組織学的変化が正常化する。さらに重要なのは、オルガノイド形成50日目ですでに cortical plate 肥厚が起こってしまった後でも、この薬剤を加えると細胞の分化と移動が促進され、正常の脳構造がかなり回復する点で、生後に治療を行っても効果が得られる可能性がある。
以上が結果で、子供には使われたことはないと思うが、第一相の安全性試験はクリアされた薬剤なので、比較的早い時期に滑脳症にも適用されるのではと期待する。
1月5日 変わり種の免疫コントロール(1月3日 Nature Medicine 掲載論文他)
免疫コントロールを唄った食品が世の中に満ちあふれ、問題なく受け入れられている一方、本当の免疫コントロールといえるワクチン反対論は不思議なほど根強く、米国では反ワクチン論者が保健福祉長官になる勢いだ。細菌による病気が理解され始めたドイツでも、感染症を細菌の病気と考えるコッホと環境や生活スタイルの問題と考える公衆衛生学のペッテンコッファーの論争が勃発し、ペッテンコッファーは勢いでペスト菌を飲んで見せた話は有名だ。
もちろん答えはどちらも正しい側面を見ており、細菌に対する抵抗力が生活スタイルや公衆衛生で維持されることは間違いないし、ペストが細菌によって起こることも自明の事実だ。このように、一つの現象をいくつかの側面に分けて説明していくのが科学だが、病原菌やガンに対する免疫で最も大きな要因を占めるのは、細菌やウイルス、あるいはガン細胞が発現している抗原に対する特異的免疫反応だ。おそらく今年も様々なワクチンのアイデアが論文として発表されると期待している。
そこで年始に当たって、ホスト免疫コントロールの変わり種を紹介する。
まず最初はマラリアに対するワクチンだ。一昨年の最も重要な医学トピックスは有効性の高いマラリアワクチンの開発で、スポロゾイトと呼ばれるステージから次のメロゾイトへ進まないように弱毒化した一種の生ワクチンを抗原に用いるワクチンが中心になっている。
今日紹介するライデン大学からの論文は、スポロゾイトを注射するのではなく、蚊の中で生成されたスポロゾイトを蚊に皮膚を刺させて感染させる方法で注入するワクチン投与法で、1月3日 Nature Medicine に掲載された。タイトルは「Single immunization with genetically attenuated Pf∆mei2 (GA2) parasites by mosquito bite in controlled human malaria infection: a placebo-controlled randomized trial(遺伝子操作で弱毒化した GA2 原虫を蚊に刺させる方法で免役することで感染を防げる:無作為化2重盲検法)」だ。
蚊の中で原虫の接合が起こりスポロゾイトが形成される。こうしてスポロゾイトを体内で増やした蚊50匹に腕を晒して一度だけ感染させ、41日目に弱毒化していないマラリア原虫に感染させ免疫の成立を確かめた。要するに人体実験が行われており、スポロゾイトを持たない蚊に刺された人は全員10日以内で感染したが、弱毒化スポロゾイトの蚊に刺されたグループで感染したのは10人中1人だけだったという結果だ。また、 スポロゾイトに対する CD4 T細胞の成立も調べた全員で確認している。
結果は以上で、わざわざ蚊に刺させることが注射より効果があるという話ではないが、おそらくアフリカへワクチンを運んで投与というロジスティックを考えるとこの方が良いのかもしれない。いずれにせよ一回で長期の免疫が成立するワクチンで、マラリア撲滅も夢でないかもしれない。
次の論文もオランダのガン研究所からの論文で、ガンのネオ抗原を特定して直接注射するのではなく、まず試験管内で抗原特異的な細胞を増殖させた後患者さんに戻すことで、免疫のコントロールを高めようとする試みで、1月3日 Nature Medicine にオンライン掲載された。タイトルは「Personalized, autologous neoantigen-specific T cell therapy in metastatic melanoma: a phase 1 trial(転移メラノーマに対する個人用ガンネオ抗原特異的T細胞移植治療:第一相治験)」だ。
これまでの研究で、ガンの多様性を克服するためには、様々なガン抗原に対するT細胞を動員することが望ましい。ただ、抗原注射では多くの抗原に対する反応を誘導できるという保証はない。そこで、個人のガンゲノムからネオ抗原を特定し、40種類の短いペプチド、20種類の長いペプチドを用意した後、10ペプチドづつで患者さんのT細胞を試験管内で免疫。その後 、IL-15、 IL-7 で増幅させ、それらを全てプールして患者さんに戻すことで、ワクチンで免役した免疫リンパ球移植療法を行っている。
この方法で特に大きな副作用は出ていない。ただ、効果は思ったほど大きくないが、治療までこぎ着けた9例のうち5例は進行が抑えられ、2例はガンの大きさが抑制できている。また、期待通り多くの患者さんでネオ抗原特異的なT細胞の複数のクローンが誘導されており、コンセプトについては有効性が証明されたとしている。
最後のスタンフォード大学からの論文はペプチド設計を駆使して、特定の MHC とペプチドが結合した立体構造を認識するペプチドを設計する試みで、12月13日 Nature Biotechonology に掲載された。タイトルは「A general system for targeting MHC class IIantigen complex via a single adaptable loop(単一の調整可能なループ構造により媒介される MHC class II と抗原の複合体を標的にする普遍的システムの開発)」だ。
この研究ではクラスII MHC(MHCII)に結合し、多くのT細胞が反応できるスーパー抗原の構造解析をヒントに、ペプチドと MHCII とペプチドの結合プラットフォームを形成し、異なるペプチドが結合したときに、特異的に認識するT細胞抗原受容体を模したペプチドを設計する方法を開発している。
詳細は省くが、タンパク質の構造を予測する RosettaやAlphafold を駆使した論文で、こうしてガン抗原や病原菌抗原と結合した MHC と特異的に反応するペプチドが作れると、ADC や CAR-T などその用途は広い。まだまだ初期段階にあるが注目の技術だと思う。
1月4日 ガンの代謝は複雑だが治療可能性を広げる(1月1日 Nature オンライン掲載論文他)
昨年の創薬分野での一押しは、1日に紹介した ER と細胞膜の接点でカルシウム濃度を調節する SOCC の機能を高める化合物と Neurokinin Receptor 2 を刺激してインシュリン感受性を上げつつ食欲を抑制するペプチド薬の開発だった。特に後者の方は、インシュリン分泌を誘導する GLP-1R 刺激剤が大きな市場に成功している今、違うメカニズムの抗肥満剤として待ち望まれていた。
ただインシュリン感受性を上げるということは、細胞内でのインシュリンシグナルが高められるということなので、問題があるとすると AKT を活性化して潜んでいたガンの増殖を助けてしまう心配がある。このように、多くのガンは代謝的にリプログラムされており、代謝に働く薬剤が思いもかけない作用を示すことがある。そんな論文の例を今日は2編紹介する。
最初のカリフォルニア大学サンディエゴ孔の論文は、肝臓ガンと非アルコール性肝疾患に関わる Fructose-1,6-bisphosphate の関係を明らかにした研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「FBP1 controls liver cancer evolution from senescent MASH hepatocytes(FBP1はMASH幹細胞から肝臓ガンの発生をコントロールしている)」だ。
シグナル伝達研究に長年関わってきた Michael Karin 研究室からの研究で、シグナルだ、代謝だといっていた時代は過去のもので、ガンを総合的に捕らえることが重要であることがよくわかる.
研究対象になった FBP1 は、通常グルコース代謝でできてきた F6P に働いてピルビン酸への経路を媒介する。通常果糖の代謝には関わらないが、フルクトースをリン酸化するヘキソキナーゼが存在すると、F6P を直接精製してグルコース代謝を大きく変化させる。これが非アルコール性肝疾患(MASH)に果糖の過剰摂取が関わるとされる要因だが、原因はともかく MASH では FBP-1 が上昇している。一方、肝臓ガンは MASH で代謝異常を示す細胞から発生するにもかかわらず、FBP-1 が低下している。詳細は省くが、Karin はこの一見矛盾する現象を詳しく調べ、最終的に次のような結論を得ている。
- MASH では代謝異常で DNA 損傷が発生し、これが刺激となって FBP-1 と p53 が誘導される。P53 は細胞老化の誘導因子で、これに加えて FBP-1 も AKT 抑制することで細胞老化を促進し、MASH が肝硬変へと進む重要な要因になる。
- このとき、FBP-1 のプロモーターのメチル化が起こって、FBP-1 発現を抑制できた細胞が AKT が再度活性化してしまい、細胞老化から解放されてガン化にまっしぐらに進む。
以上のように、FBP-1 のようにグルコース代謝の核とも言える酵素が、MASH では病気の進行に関わり、逆にガン抑制遺伝子として働くという事実は、ガンと代謝の複雑な関係を示している。
もう一編は中国中山大学からの論文で、グルタミン酸と αケトグルタル酸の間のてんかんを媒介する酵素GPT-1 が大腸ガンの抑制因子として働いていることを示した研究で、1月1日号の Science Translational Medicine に掲載された。タイトルは「Glutamic-pyruvic transaminase 1 deficiency–mediated metabolic reprogramming facilitates colorectal adenoma-carcinoma progression(グルタミンピルビン酸トランスアミナーゼ1 の欠乏は代謝をプログラムし直し大腸直腸ガンの進展を助ける)」だ。
GPT は通常肝機能検査に使われるが、GPT-1 は上皮に発現しており血中に漏れることはほとんどなく、グルコース新生とアミノ酸代謝をつなぐ重要な酵素だ。この重要な酵素が大腸直腸ガンで欠損しやすいことに興味を持ち、発ガンとのメカニズムを探っている。
GPT-1 を大腸直腸ガンに導入すると、増殖が抑制されるが、この原因を探るとまず αケトグルタル酸が細胞内に蓄積していることを発見する。すなわち、ピルビン酸とグルタミン酸から αケトグルタル酸が多く作られていることが、増殖抑制に関わっている。
αケトグルタル酸は、エピジェネティックス、βカテニン安定性などを介して大腸直腸ガンの増殖に関わる Wnt シグナルを抑制することが知られているが、GPT-1 を導入したガン細胞でも Wnt シグナルが低下している。ただ、これに加えて GPT-1 は葉酸合成に関わる MTHFD1L と結合して葉酸の合成を低下させる。
以上の2つの経路を介して GPT-1 はガン増殖を抑制する。そして、GPT-1 に結合する既存の化合物ポリウモシドを投与すると、大腸直腸ガンの増殖を抑制できる。
詳細は省いたが結果は以上で、両方の論文から、ガンは増殖のために代謝システムをプログラムし直していることが多く、これを理解することはガンのアキレス腱を知ることになり、治療可能性を高められることは間違いない。今年も、このような治療可能性を示す論文を紹介していきたい。
1月3日 ゲルマン民族の移動の詳細がわかる古代ゲノム解析法(1月1日 Nature オンライン掲載論文)
論文ウォッチとタイトルをつけてこの HP に掲載した記事は今日で4121に上る。まる10年以上書き続けてきたことになる。続ける過程で最も印象に残るのは、ドイツ・マックスプランク人類進化学研究室から始まった古代ゲノムの解析で、ネアンデルタール人やデニソーワ人のゲノムが私たちホモサピエンスの形成に大きく関わるという驚きだった。
ただ、あれから10年経って、古代ゲノムの対象が様々な記録も存在している歴史学の領域に移ってきたように感じる。直感的には時代が近くなると骨も多く採取でき、例えば民族の移動の解析もより容易になると考えてしまうが、実際にはそうでない。現在、他の人類との交雑やあるいは現生人類でも民族間のゲノム混合割合を調べる方法として f-statistics が使われる。例えば日本人を縄文、弥生、古墳時代のゲノムの混合として定義する方法だ。しかし、これだと逆に関西の一族が九州に移動して新しい集団を形成したと言った詳細な歴史を調べることができない。というのも、縄文、弥生をベースにする f-statistics では両者を区別することが難しいからだ。
今日紹介する英国クリック研究所と理研数理創造プログラムからの研究は、個々のゲノムの系統関係を推定した後 f-statistics を計算することで統計学的精度を10倍近く高められるという発見に基づいて Twigstats と呼ばれる解析方法を開発し、これを用いて主に中世ヨーロッパの民族の移動を詳細に調べた研究で、1月1日 Nature にオンライン掲載された。筆頭著者の Leo Speidel さんは現在は理研数理創造プログラムに所属しているようなので、日本のゲノム解析にも是非参加していってほしいと思う。
さて、中世ヨーロッパを調べるときのベースの民族として、鉄器時代のゲノムからスカンジナビア、英国、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ハンガリー、スロバキア、そしてイタリア地区のゲノムをレファレンスとして解析に用いている。
ポーランド、スロベニアなど南東ヨーロッパ、ドイツを中心とした中央ヨーロッパ、イタリア、英国、スカンジナビアから発見された中世時代のゲノムを Twigstats で調べると、イタリアを除くほとんどの地域ではっきりする傾向として、スカンジナビアのゲノムの流入がはっきりしている点だ。
面白いのは、海でつながっている英国やポーランドなどの東ヨーロッパへは、スカンジナビアゲノムが直接流入している。一方、ゲルマン民族の大移動として知られるドイツ・フランスを含む中央ヨーロッパでは、スカンジナビアの影響は少ない。しかし、南スカンジナビアとオーバーラップする Baiuvarii と呼ばれる現在の北ドイツ民族が南に拡大している点で、これがゲルマン民族の移動として我々が習った移動に当たるように思う。
実際ドイツと陸続きのスロバキアでは、中世に Baiuvarii のゲノムの割合が急速に増加しているし、イタリアでもスカンジナビアの影響はほとんどないが、Baiuvarii を基点とするゲルマン民族の影響を受けて、ゲノムでは中央ヨーロッパ型に変化している。ここからわかるのは、イギリス、東ヨーロッパにはおそらく海を介してスカンジナビアのバイキングの移動、そして北ドイツ Longobald や Bauvarii を基点とするゲルマンの移動が中世を形作っているのがわかる。
スカンジナビアといっても広い。また、調べていくとスカンジナビア以外の民族ゲノムの流入も認められる。例えばノルウェーはほとんどヨーロッパ中央からの流入はないが、英国からの流入が見られる。一方、スウェーデンは中央、東ヨーロッパ、英国からの流入が見られる。デンマークはもっと中央ヨーロッパとの交流が強く不思議なことに英国からのゲノム流入はない。
以上が主な結果で、この背景にある戦いや民族融合の様式の歴史があるはずで、今後この移動線を歴史にまとめ上げるのことが必要になる。いずれにせよ、この分野ほど文理融合が必要なことはない。実際、各国の博物館の遺物だけではなかなか興味がわかなかった私も、ゲノム史を知るようになってからは、けっこう足繁く通うようになった。今年も新しい歴史の背景が続々明らかになると期待する。
1月2日 AI もまだまだ脳に学ぶ必要がある(11月18日 米国アカデミー紀要 掲載論文)
生命科学でも AI が話題の中心になっているが、2025年には人間の脳と AI を比較する研究が一段と進むような予感がする。特に、比較によって AI では難しいことを見つけ出し、新しいアルゴリズムに生かす研究は、我々の脳についても理解が深まると同時に新しいAIの設計につながる。
今日紹介する米国スクリップス研究所からの論文は、脳に学ぶことの重要性を示した研究の典型で、11月18日 米国アカデミー紀要 にオンライン掲載された。タイトルは「Identification of movie encoding neurons enables movie recognition AI(脳の動画エンコーディング方法の特定は動画を認識する AI を可能にする)」だ。
現在の AI の動画認識能力には問題が多いようだ。おそらく大きくて早いコンピュータで計算量をこなせば原理的には動画も認識できると思うが、普通のコンピュータでは難しい。例えば刑事ドラマで今でも監視カメラの映像を粘り強い刑事が徹夜で調べると言ったシーンはこのことを物語っていることになる。
まずこの研究の結論から述べると、動画をエンコードして一つの表象を作成する過程を全てオタマジャクシの視覚系に任せ、それを読み取って学習させた AI と一般的なカメラ画像を学習した AI とで、ペンテトラゾール添加によりシャーレの中のオタマジャクシの泳ぎが変化するのを動画から認識できるか調べている。同じように300回動画を学習させて、薬剤濃度を区別できるか調べると、オタマジャクシの脳を用いた方が的中率が他の AI モデルより高いことを示している。
この研究で読み取っているのは視蓋と呼ばれる、網膜から投射を受け二次元的マップを形成する視蓋の神経活動を多数の神経細胞の興奮として記録し、視覚系本来のアルゴリズムにより視蓋野に形成される表象を使っている
すなわち、神経回路の処理を受けたあと視蓋に表象される神経興奮パターンは、連続した写真画像を読み取る AI より動画認識能力に優れていることになり、視蓋野で行われている処理を理解することで、なぜ脳の方が優れているのかがわかる。
この研究は、オタマジャクシの視蓋野での神経活動を、まず単純な対象が現れ消えていく短い過程を記録して、処理方法を解析している。対象を見るとき、網膜には対象が明るくなった時に反応する ON 型と、暗くなったときに興奮する OFF 型の神経が存在し、これが視蓋野に投射されている。この研究では、この2種類のシグナルの変化が実際には回転などの動きの認識に関わり、また OFF 型の神経が変化の終わりで正確に興奮することで、動きの認識の重点対象を回りから区別して認識している。
このように特に OFF 型のシグナルを光の変化だけでなく、対象物の変化を捉えるのに使っているのに利用していることが、動画認識を可能にしており、おそらく一般的な AI にはこのアルゴリズムが存在しない。
On/Off 型神経からもわかるように我々の視覚は網膜ですでに因数分解が行われており、これが視蓋野の神経興奮として現れる。この点については、京大医学部時代に親しく交流があった中西先生の On/Off 神経の発見など長い研究の歴史があるが、これを動画認識の点から再検討し、さらに現在の AI と比較したのがこの研究の面白さだ。またオタマジャクシを用いたのも面白い。
このように、AI と比べて我々の脳を知る研究は今後もどんどん発展すると思う。この研究の筆頭著者は平本さんという日本人の研究者で、この分野を是非牽引していってほしい。
1月1日 シナプスでの刺激が樹状突起に共有される仕組み(12月20日 Cell オンライン掲載論文)
皆様改めて明けましておめでとうございます。
さて、昨年アルツハイマー病研究分野での私の一押しは、store operated calcium channel(SOCC)の機能を調節する機構が異常 Tau により破壊され、細胞質のカルシウムバランスが変化することがアルツハイマー病 (AD) 発症に関わる重要な過程で、SOCC の調節に関わる細胞内マトリックスを再構築する薬剤が、AD の進行を止めることができることを示した、ベルギーからの論文だった。この論文が示すことは、小胞体 (ER) と細胞膜の間で Ca イオンをやりとりして局所細胞質の Ca を維持することの重要性だ。
今日紹介するコーネル大学からの論文は、樹状突起から飛び出たスパインでのシナプス刺激を樹状突起全体の興奮に拡大させる細胞膜と ER を統合している分子機構について明らかにした研究で、元旦に紹介するにふさわしい極めて重要な研究だと思って取り上げた。タイトルは「Periodic ER-plasma membrane junctions support long-range Ca 2+ signal integration in dendrites(ERと細胞膜の規則正しく繰り返す接合構造が樹状突起でCaシグナルを遠くへの伝達を支持している)」で、12月20日 Cell にオンライン掲載された。。
神経の樹状突起から飛びだした多くのスパインは他の神経とのシナプスを形成し、ニューラルネットでの重み付けの基盤を形成している。この論文を読むまで、スパインでの神経興奮は軸索での伝達のように膜の電位差により開くカルシウムチャンネル(voltage gated calcium channel;VGCC)をリレーして膜を伝わっていくのかと考えていたが、実はそう簡単な話ではなかったようだ。
この研究では、スパインに張り巡らされた ER が筋肉の収縮を統合する筋小胞体と同じような機能を持つのではと考え、まず樹状突起に存在する ER 構造を調べると、見事にレールのようにつながるネットワークができており、しかも細胞膜との間に VGCC や JPH3 と呼ばれる細胞膜と ER の結合を調節するタンパク質が、規則正しい間隔で並んだ接合部が形成されていることを明らかにする。
重要なことは、この接合部は細胞骨格分子とは全く無関係で、JPH3 分子により独自に決められており、JPH3 がノックダウンされると接合部は減少する。そして、JPH3 分子は接合部に VGCC を集めてくる役割を持っており、しかも神経活動が高まると、この接合部は多くの VGCC を集めてより興奮性の高い接合部へと変化する。
この接合部の構造的変化は、スパインの興奮により活性化される CAMKII が接合部に集まって誘導され、神経刺激はスパインの構造を変化させることが知られているが、スパインだけにとどまらず周りの細胞膜と ER 接合部まで変化が及び神経の反応性が決まることがわかる。
さらに、この接合部には ER から Ca を放出して細胞質の Ca 濃度を維持する RyR カルシウムチャンネルとともに細胞質の Ca を調節する SOCC とそれを ER にリンクさせる STIM2 分子も集まっており、興奮局所での Ca イオンのホメオスターシスを維持する複雑な仕組みが集まっていることがわかる。
最後にこの構造の意義を調べるため、1個のスパインを刺激したとき、ER 内での Ca 濃度がどのように変化するかを調べると、なんとスパインから20ミクロン離れた ER まで Ca 濃度の低下が及び、また刺激を繰り返すと ER の Ca 濃度変化が減衰しながらも繰り返されることを観察し、ER からのカルシウム放出に関わる RyR と VGCC が一緒になってスパインからの刺激を樹状突起を通して伝えていることが明らかになった。
以上が結果で、元旦早々難しい論文の紹介になったが、スパインでの刺激が、どのように神経全体で共有されるのかという素朴な疑問に、構造と機能から明確に答える素晴らしい論文だ。さらに、最初に紹介したベルギーの論文を考えると、明らかになった新しい機構は AD の理解にも必須だと思う。AD では神経細胞が失われることだけが問題にされるが、それ以前の神経過程では、シナプスからのシグナル伝達の低下が必ず見られるはずだ。この点でも、この研究の意義は大きい。
2025年年賀の挨拶
皆さん明けましておめでとうございます。
さて、2024年はAIに明け、AIに暮れた一年でした。私の2024年一押しは、2月ScienceにNew York大学のBrenden Lakeさんの研究室から発表された論文で、子供の視覚と聴覚経験を60時間分記録してTransformerに学習させると、人工ニューラルネットに言語理解が生じたという驚くべき研究でした。もちろんそのまま我々の脳が同じように言語を処理していると結論できませんが、人間の脳とAIの比較研究が加速するのではと予感しています。
まちがいなく2025年も多くの素晴らしい発見の論文を読めると確信して、今からわくわくしています。昨年読んだ論文から感じる個人的意見ですが、変異RASに対する治療薬、新しいモダリティーのアルツハイマー治療薬、そして様々なガンワクチンの開発が進む一年になるのではと予想しています。
我が国の科学の凋落が問題になっていますが、論文を読んでいると、我が国でも若い世代のオリジナルな論文にも出会うようになってきており、今後は良い方向に向かうのではと期待しています。
最後に、反科学をあおるトランプがアメリカ大統領に就任し、科学的解決を目指す様々なグローバルな運動は厳しい状況に置かれるでしょう。しかし、そんなときこそ科学を伝える重要性が増します。
今年も私たちAASJはわくわくする科学ニュースを、シンボルのフンボルトペンギンとともに皆様にお届けする予定ですので、是非ご期待ください。
皆様にとって2025年が素晴らしい年であることを祈ります。