今日紹介するのは、コウモリの飛行時の場所細胞の興奮ルールを調べたカリフォルニア大学バークレイ校からの論文で、「コウモリの主観を探る」というのは誤解を生むかもしれない。ただ、この論文を読んでいて米国の有名な哲学者トマス・ネーゲルの What is it like to be a bat? を思い出してしまった。論文のタイトルはもちろん主観を研究するというものではなく、「Replay and representation dynamics in the hippocampus of freely flying bats(自由に飛行するコウモリの場所の認識とその想起のダイナミックス)」で、7月9日 Nature にオンライン掲載された。
ネーゲルはこの本の中で、当時の脳科学では主観的認識については客観的に解析できないと問題提起し、還元主義ではない新しい科学の必要性を説いた。ジョン・サールなどのクオリアなどの概念もこの批判から生まれている。
ネーゲルの批判にチャレンジしたいというわけではないだろうが、最近コウモリを用いた海馬の場所細胞の研究をよく見かけるようになった。これは大きな部屋で自由に飛び回るコウモリの行動軌跡を追跡できるようになったことと、クラスター電極を脳内に設置し2100-300個の神経細胞の活動を検出するとともにリアルタイムで記録できるようになったことが大きい。
行動観察する部屋の大きさは、研究で使われたエジプトオオコウモリが枝から果物を取りに行く通常の行動範囲を模している大きな部屋になる。
この研究でコウモリが飛行しているとき、また休んでいるときの海馬神経を250個程度記録するとともに、その領域全体の脳波活動 (LFP) を記録している。まず飛行中のコウモリの場所細胞の活動を見ると、他の種での研究と同じで特定の場所に来ると興奮する場所細胞が存在し、行動範囲が大きくても地図が頭の中に圧縮されて表象されていることが確認できる。
この研究では、餌を取りに行くときに飛行した記憶をもう一度頭の中で繰り返すリプレイ(想起)、即ち休んでいるときに場所細胞が飛行しているかのように順々に興奮する過程に焦点を当てている。
数多くのレコーディングを解析してわかるのは、想起は飛行が終わった後や飛行前に準備的に行われるのではなく、休んでいるときに自発的に起こっている。ただ、想起が起こる前には脳波上でリップルと呼ばれる短い波長の脳波が現れる。そして、通常はスタートから飛行の終わりまでの前向きの想起が起こるが、一定の頻度で逆向きの軌跡も想起される。以上のことは、どんなに大きな範囲での行動でも、マウスやラットで見られたように実際の行動で興奮した場所細胞が、想起に合わせて順番に興奮することがわかる。
想起の時間を調べると、実際の飛行時間とは無関係に一定の時間に納められており、これまでマウスやラットで示されてきた一定の行動の想起時間は、行動にかかった時間と比例するという結果とは異なる。これを種が違うからと決めつけずに考えることが重要で、我々でも夜トイレに行った行動の想起と同じ時間で、もっと長い距離の移動を想起できる。ただ、そしてその時間は、エピソードの数によっても変化する事から、ずっとフレキシブルだと思う。今後、長距離を移動するコウモリで渡りのルートがどう想起されるかおそらく研究されるのではないだろうか。
マウスやラットと比べて最も大きな違いとしてこの研究で示されたのが、テータ波カプリング現象が無いことだ。動物が行動しているとき、海馬では4−12Hのテータ波が発生し、これに合わせて次に行く場所細胞の興奮が起こる。即ち、テータ波が過去、現在、未来を場所として表象し治すのに使われる。
ところがコウモリの飛行中にはテータ波は全く存在せず、代わりに時間のリズムを行動に提供しているのが翼の動きのサイクルで、これに応じて次の場所細胞が興奮し始めるようになっている。このような身体の運動自体が時間の方向性を行動の方向性にかぶせるメカニズムはわからないが、テータ波理論のように、内在的時間で行動が決まるという現象は哲学的に考えてしまうが、我々の行動は行動と脳のリズムがもっとフレキシブルにリンクしていると考えた方が良さそうだ。実際、コウモリの場合翼のリズムにロックされていた場所細胞の興奮は、超音波で場所を特定する行動により抑えられてしまう。
以上が結果で、オキーフ、モザー夫妻の研究がどんどん野外に出て実際の行動を調べるようになっていると思う。そして、時間と空間の研究は間違いなく主観の問題に迫るので、面白い。最近ではフィンチやフクロウでも場所細胞の存在が確認されているので、研究が渡り鳥にまで広がるのも時間の問題かもしれない。ただ、鳥にとってはたまったものではないだろうが、いつかコウモリだけでなく、ムクドリであることがわかる日も来る気がする。
時間と空間の研究は間違いなく主観の問題に迫るので、面白い。
Imp:
『時間どおりに始まったミンコフスキー教授の講義は、長い時間を要したが、心の中では一つひとつの時間が輝いていた。気づけばその時間は終わり、記憶に残る豊かな時間となった。』
Time:一言に集約されていますが。。。
本質的時間
時計的時間
主観的時間
などがある。