私たちの目は常にせわしなく動いている。人間のように中心窩に中心視野が固定される場合は、視野を無意識に様々なポイントに向けて全体を合成することが必要だが、中心窩のない動物でもサッケードは起こることから、視覚の統合に重要な働きを持つと考えられている。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、サッカードによる視覚認識調節回路を明らかにした研究で、なんとなく自己と外界の認識についての私の妄想をかき立ててくれた。三浦さんが筆頭著者とコレスポンデンスになっているので、ほぼ一人で研究が行われたと想像するが、複雑な現象を整理する神経科学者の能力にはいつも感心する。タイトルは「Distinguishing externally from saccade-induced motion in visual cortex(サッケードにより起こる視覚野の運動を外から区別する)」だ。
サッケードの研究は、目の動きと脳の反応を同時に記録する必要がある。この研究ではまず、自由に動いているマウスについて、これを記録して、サッケードとはどのような動きで、それが視覚野の神経活動にどう関わっているか調べている。驚くことに、マウスの頭に小型カメラを装着し、視覚野にクラスター電極を装着し、これを実現している。
この結果、サッケードは縦横斜め様々な方向に起こっていること、それぞれの神経反応は、サッケードの方向にリンクしていること、そして10ms前から反応が始まり、運動後にピークに達した後、興奮が続くという共通のパターンを持つことを明らかにしている。
次に同じ動物の頭を固定し、サッケードを調べると、ほとんど水平方向のサッケードに限局されるが、固定しないマウスとほとんど同じパターンの反応を示すことを確認している。
次に、サッケードに対する反応を、視覚的に像がずれることによる反応と、像のずれとは別に、目の運動から来る反応に分離を試みている。この時、頭を固定したマウスに水平に動く縞模様を見せて、サッカードと同じような動きを誘導したときの反応と、縞のない灰色の画面を見せたときの反応を比べるなど、工夫に満ちている(専門外なので、この工夫がオリジナルかどうかは判断できないが)。
これに加えて、目に神経遮断剤を注射して、完全に視覚による像のずれを感じなくなったマウスの反応を比べ、最終的にサッケードに対する一次視覚野の反応が、像のずれによる視覚的刺激と、視覚とは全く関係のない目の運動に関わる刺激に分離できることを明らかにしている。
こうしてサッケードの二つのルートを明らかにした上で、視覚野へのインプットルートを調べ、視床枕から視覚野へのインプットが、視覚非依存的で、目の運動の方向性にリンクしたサッケード運動に対する視覚野の反応を決めていることを明らかにしている。
サッケードは、目が動いて像がずれるのに、イメージがずれないサッケード抑制と関連して研究されてきた。当然この研究も、この問題を理解する上で大きな貢献をしている。特に視覚のずれを、さらに運動と統合させて、ずれるイメージを抑制して安定なイメージを浮き上がらせるという考えは、説得力がある。
ただ私自身としては、この論文を読んで、デビットヒュームが、いくら頑張っても自分の脳を認識できないことは、自己など存在しないと結論していることを思い出した。確かに、自分の脳は感じられない。しかし、自分の脳は常に自己性を身体から確認している。私たちの認識が視覚に大きく依存しているとすると、サッケードは自己を脳に伝える重要な仕組みである様に思う。ヒュームやデカルトを超えた自己の姿が脳科学にはある。
1:目が動いて像がずれるのに、イメージがずれないサッケード抑制と関連して研究されてきた。
2:特に視覚のずれを運動と統合させて、必要なイメージを維持する過程については、説得力がある。
Imp:
サッケード抑制!
この仕組みがないと、とてもじゃあないけど自然界で生きていけまんね。