今、カントの著作やカントに関する評論などを読み漁っているが、つくづく感じるのは、哲学の世界では、最終的に何らかの結論を出さざるをえないという縛りがさまざまな無理を産んでいる、という実感だ。いつになるかわからないが、これについては科学との比較でまとめるつもりだ。面白いことに、同じような感覚を、最近流行りのChat-GPTなどの、 GPTとその基盤のAIについても感じる。すなわち、結論までのプロセスがわからないことと、必ず答えを出そうとする点で、人間の最も高次な活動である哲学とAIの共通性に少し驚いている(もちろん自動運転で答えが出ないことは困ることは間違いない)。ただ、コンピュータでないと解析できない膨大なデータをどう扱えばいいのかについては、特に科学の世界で厳しく吟味する必要がある。
今日紹介するオランダ神経科学研究所からの論文は、大人の神経細胞も増殖能を持つかという点についてsingle cell RNA sequencing (sRNAseq) を用いて行われた解析データを再検討し直して、sRNAseqの問題を詳しく検討した研究で、4月2日 Neuron にオンライン掲載された。タイトルは「Mapping human adult hippocampal neurogenesis with single-cell transcriptomics: Reconciling controversy or fueling the debate?(大人のヒト海馬での神経生成についてのsingle cell転写マッピング:神経幹細胞の存在についての論争を調整できるか、あるいは火に油を注ぐか?)」だ。
sRNAseqは間違いなく21世紀を代表するテクノロジーで、生命科学に大きな確信をもたらしている。しかし、一個の細胞から大量のデータを取り出し、しかもそれを数千から数十万個の細胞で解析する必要があり、コンピュータによるデータ解析なしには成立し得ない。さらに、得られたデータの解析のために、さらにAIなどが使われ、細胞の特定が行われる。その結果、一定の解析手法で得られたデータを再検討することなしに、どうしても結論を導き出してしまう。
この研究では、人間の海馬神経は増殖している、あるいは増殖していないという相反する結果を報告した論文のデータをもう一度さまざまな視点で再解析し、なぜこのような違いが出たのかについて詳しく検討している。
ここでは、神経細胞の sRNAseq解析が陥るさまざまな問題についてわかりやすく解析しているので、ぜひ多くの方に直接読んでもらいたいと思うが、
- 解析できる細胞数が足りないために起こってくる問題。
- 神経細胞全体の代わりに、核内のRNAを調べるために起こってくる問題、
- 死後脳や病気の脳を用いざるを得ない制限の問題、
- 増殖細胞のような稀な細胞を特定するときに現在使われるデータ処理法に潜む問題、
- 例えば Radial glia 細胞や神経前駆細胞といった増殖とリンクする細胞を特定するときの分子マーカーの問題、
- 解釈にはどうしてもそれまでの知識が必要で、我々はマウスのデータに依存しすぎている問題、
などを詳しく、批判的に検討し、さらにこれらの問題を解決するため、例えば ヒトの胎児のデータ、あるいは霊長類のデータとの比較の重要性などの道筋を示している。
その上で、異なる結論を持つ論文のデータを再検討し、データ自体は全く違っているわけではなく、結局確実に増殖している細胞が存在するかどうかはどちらのデータでも明らかではないが、間違いなく未熟な神経細胞がどちらのデータでも見つかることを示している。結論としては、人間の海馬で神経細胞の再生が行われているかは、まだ検討が必要だが、その可能性は高いということになる。
今後もコンピュータに任せざるを得ないデータを、一つの視点から常に解析し直すことの重要性を、科学界は率先して示していってほしいと思う。
1:異なる結論を持つ論文のデータを再検討した。
2:双方のデータ自体は全く違っているわけではない。
3:確実に増殖している細胞が存在するかどうかはどちらのデータでも明らかではない。
4:間違いなく未熟な神経細胞がどちらのデータでも見つかる。
Imp:
個人的に大変関心を持っている、生命科学の抱える問題点!
今日の正解=明日の間違い=明後日の正解=。。。。
Cajalのドグマ(1928年の論文で提唱):
20世紀初頭、観察技術が未熟な時代の説なのに、権威者が唱えたとの理由だけで、
ドグマとして崇められ続ける生命科学の世界!
不思議な世界です。