ニューヨーク大学の物理学教授アラン・ソーカルが、当時一斉を風靡していたポストモダンの哲学者の説を数学的に正当化できるとする論文をSocial Textに発表、その後これがデタラメの悪ふざけだったことを告白して大騒ぎになったことがあった。私自身はソーカル自身が書いた「知の欺瞞」(岩波書店)を読んで知ったが、客観性や他人との合意に達する決まった手続きが確立できていない哲学の科学への憧れを揶揄した面白い事件だと思った。一方、科学者の方にも芸術や哲学を教養や趣味として身につけるべきであるという憧れがある。私は、科学には文化や教養を超えた客観性を獲得するための手続きがあるおかげで、科学者になるのに教養や趣味は必要なく、誰でもこの手続きさえ受け入れると意思表明すれば科学者になれると思っている。とはいえ、論文の中で自分の教養や趣味をひけらかしたいという誘惑をそのまま実現した論文は確かに存在する。今日紹介するワシントン大学心臓内科からの論文はジョンス・ホプキンス大学から年2回出ているPerspectives in Biology and Medicineに掲載された研究(?)で、ベートーベンが心臓病、特に不整脈に悩んでいたのではないかについて考察した論文だ。タイトルは「The heartfelt music of Ludwig von Beethoven(ベートーベンの心臓状態がわかる(心からという単語の意味を読み替えている)音楽)」だ。読んだ後、すぐソーカルを思い出した。半分悪ふざけだと思う。しかし誰に向けて書いているのだろう。教養に憧れる科学者だろうか?責任著者は心臓内科の医師で、おそらく音楽を自分でも演奏するのだろう。共著者にはミシガン大学の音楽学のメンバーも入っている。さて研究だが、ベートーベンの作品の中でも悲痛な、心の中から込み上げてくる感情が感じられる3曲、ピアノソナタ25番変ホ長調(告別)、弦楽四重奏曲13番(カヴァティーナ)、そして最後のピアノソナタ31番(本当は最後は32番でした)を取り上げ、それぞれの曲のモチーフになる重要なパッセージにリズムの大きな乱れがあることを指摘し、このようなリズムは心室期外収縮からきているに違いないと結論した論文だ。その例として、「告別」の出だし、あるいは弦楽四重奏のカヴァティーナとして知られる5楽章の途中で急に変ハ長調に移調した後の長い休止などをあげている。そして、1)耳の聞こえないベートーベンには健常人よりはるかに自分の心臓が感じられたはずで、これが音楽のモチーフになっている、2)残されている彼の記録には直接的に心臓の異常は書かれていないが、例えば喘息など幾つかの記載から心臓に異常があったことが疑われる、などと議論している。もちろん、この「不整脈的」パッセージはただベートーベンの天才を示しているだけかもしれないと自分の理論の問題も指摘している。どちらにせよ悪ふざけだと思う。私は人を信じる方で、騙されやすいので、もちろん信じてみようと思う。ただ問題は、これから少なくともこの3曲を聴くときはこの論文が私の楽しみを邪魔することは間違いない。
面白い論文、話題をいつもご提供いただきありがとうございます。楽しみに拝見しています。
この論文は冗談みたいですが、ベートーベンのピアノ・ソナタ31番が分析対象になっていました。先生のおっしゃるとおり、この論文のせいで、見なおして、やはり気になるようになってしまいました。私にとっては、邪魔というより、楽しみが1つ増えたという感じですが。。
先生の文章の中で、「最後のピアノソナタ31番」とありますが、ベートーベンの最後のピアノソナタは32番だと思います。32番は19世紀の始めに、ジャズを生み出したのではないかと言われる作品で、ベートーベンの音楽の最大のイノベーションかもしれません。私としても、思い入れのある作品だけに、これを間違えていただきたくないな、と思いました。
どんな間違いでも、ある人にとっては些細なことが、別の人にはとても大切なこと、こだわりがあることだったりするものです。
ご指摘ありがとうございます。早速訂正したいと思います。今後もぜひ指摘よろしくお願いし明日。