論文発表から撤回まで10年以上を費やした有名な捏造事件が、Andrew Wakefield事件で、発端は彼と12人の共著者がThe Lancetに発表した3種混合ワクチン(MMR)接種後に自閉症が発症することを示唆する論文を発表したことだった。もちろん大規模な疫学試験によってこの報告が追試できないことはすぐに明らかになる(この調査には我が国のMMRと麻疹単独ワクチン接児を比べた研究も貢献している)。しかしこの事件は最初から科学以外の要因が絡んでいた。まず、Wakefieldが論文にははっきり結論していない因果性についてプレス発表で明言し、MMRワクチンを中止するよう呼びかけたため大きな問題となった。しかし捏造行為自体は自白すれば分かる問題で、その後この論文が、MMRに反対する組織からお金を受け取っていたことや、彼自身が自分のベンチャー会社を設立しようとしていたことが明らかになり、彼を除く12人の共著者が論文取り下げに同意、The Lancetもそれに従った。この問題は、結果としてワクチン接種を止めて麻疹にかかった子供が発生したことなど、重大な実害があったことで、捏造は刑事事件にすべきであるという意見の根拠になっている。一方、ワクチンに反対するグループは世界中に存在し、実際Wakefieldもテキサスでこのような団体に支持される研究所で活動を続けていた。このように捏造行為自体の解明には本人や関係者の自白を積み重ねるしか手段はない。一方、科学側としては論文や雑誌を通して論争を進めるしかない。事実この事件でも先に挙げた日本のデータを用いた研究を含め、様々な雑誌でWakefieldも参加した論争が続いた。特にワクチンのように医学内に論争をとどめにくい問題では、軽々に個人的意見をさけ、あえて医学的論争に終始する態度が必要だ。今日紹介する論文は、子宮ガン予防のために世界的に接種が行われているHPVと多発性硬化症との関連を調べるために行われたデンマーク、スウェーデンの疫学調査で1月6日号のアメリカ医師会雑誌に掲載されている。タイトルは「Quadrivalent HPV vaccination and risk of multiple scleraosis and other demyelinating diseases of the central nervous system (ヒトパピローマウィルス4種混合ワクチンと多発性硬化症や他の脱ずい性神経疾患のリスク)」だ。このワクチンをめぐっては我が国でも全身性の痛みを始め様々な副作用が問題にされている。同じように、欧米ではこのワクチンと多発性硬化症を始めとする脱ずい性疾患との関連を示唆する症例報告が続いていた。しかしこの問題に対しては、結局疫学調査と、症状のメカニズム解明しか答えを出すことはできない。これに対して、2006-2013年にワクチンを受けた方と、受けなかった女性を2年間追跡して、多発性硬化症の発症を調べたのがこの研究だ。研究では約400万人の女性が調べられ、そのうち80万人がワクチンをプロトコル通り接種されている。疫学調査としては十分大規模で、信用できる。結論はこの疫学調査ではワクチン接種と脱ずい性疾患の関連は認められなかったという結果だ。ただ、免疫反応には多くの遺伝的要因が関わる。北欧の結果がそのまま我が国にも当てはまるかは不明だ。我が国でも、このような調査を重ねて、受けるリスクと受けないリスクを正確に出す努力が必要だろう。論争が科学の範囲を越え出すときこそ、科学者は「象牙の塔」にこもる努力が必要な気がする。