リチウムと聞くと、最近ではもっぱら電池の話題になりがちだが、リチウム電池が普及する以前から、リチウムは双極性障害(躁うつ病)の治療薬として用いられてきた。これは、オーストラリアの精神科医ジョン・ケードが行った動物実験中の偶然の発見に端を発し(Cade JFJ. Med J Aust. 1949;2:349–52)、1970年に FDA の承認を受けて以来、今なお気分安定薬のゴールドスタンダードとして使われている。
本日紹介するハーバード大学からの論文は、このリチウムがアルツハイマー病 (AD) にも有効かもしれないことを示唆した衝撃的な研究であり、8月6日に Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Lithium deficiency and the onset of Alzheimer’s disease(リチウム欠乏とアルツハイマー病の発症)」である。
これまでにも、デンマークの疫学研究で飲料水中のリチウム濃度が高い地域ほど認知症の発症率が低いことが報告されていた。また、金属イオンと脳機能に関する研究も多数存在する。そこで本研究では、AD と脳内金属濃度の関連を探索し、MCI(軽度認知障害)および AD脳でリチウム濃度が著しく低下していることを明らかにした。
さらに、アミロイドプラークを組織学的に解析したところ、プラーク内部に周囲の約3倍のリチウムが濃縮されていることが判明。つまり、プラークの形成過程でリチウムが“トラップ”され、細胞内のリチウムが枯渇してしまう可能性が示された。
この仮説を検証するため、アミロイドβ (Aβ) とタウ (Tau) が同時に蓄積する 3xTgマウスにリチウム欠乏食を与えた実験が行われた。その結果、通常食と比較して Aβプラークやタウの沈着が顕著に増加し、行動試験でも認知機能の低下が早期に進行した。
ここで重要なのは、リチウムがプラークやタウの“材料”であるわけではないという点である。むしろ、リチウムの欠乏が神経細胞の恒常性を破綻させ、結果として病的タンパク質の蓄積を促進していると考えられる。
そこで、同じ 3xTgマウスを用いて single nucleus RNA sequencing を行ったところ、ほとんどすべての細胞種で大きな転写変化が確認された。たとえば、神経細胞ではシナプス形成や機能に関わる遺伝子が強く抑制され、オリゴデンドロサイトではミエリン形成遺伝子が低下していた。
さらに、ミクログリアにおいては、自然炎症を促進するサイトカインの発現が上昇する一方で、Aβプラークの貪食能が著しく低下しており、これが病的タンパク質の蓄積に拍車をかけていることが示唆された。
このような細胞機能の破綻の背景として、GSK3β (glycogen synthase kinase-3β) の活性化が関与していた。リチウムは GSK3β を阻害することで Wnt/β-catenin シグナルを活性化し、神経保護に働くとされるが、生理的濃度ではこの作用が不十分に見える。しかしリチウム欠乏マウスでは、βカテニンの核移行が抑制され、GSK3β 活性が上昇していた。また、リチウム欠乏マウス由来のミクログリアに GSK3β 阻害剤を加えると、貪食能が回復した。
以上の結果から、リチウム欠乏により GSK3β が過剰に活性化し、それに伴って細胞機能異常と病理進行が引き起こされるというシナリオが明確に描かれている。
このように、リチウムの補充は有効な治療戦略となり得るが、従来のリチウム塩(炭酸リチウムなど)では AD 治療に失敗してきた。著者らはその原因が、投与されたリチウムがプラークに取り込まれてしまうために脳細胞に届かないことにあると考えた。そこで、プラークに取り込まれにくいリチウム塩をスクリーニングし、リチウムオロテート (lithium orotate) が最も取り込まれにくいことを発見した。
その上で、Aβプラークとタウ線維がすでに蓄積した段階からリチウムオロテートを投与したところ、プラーク数とタウ沈着細胞数の有意な減少、そして認知機能の回復が見られたという。
この研究が示す通り、AD の発症後でもリチウムによって病態を可逆的に改善できる可能性があるというのは、非常に衝撃的である。ただし、使用されたのはサプリメントとして市販されているリチウムオロテートではなく、精密に検討された製剤であるため、今すぐサプリを購入しても意味はない。今後、リチウムオロテートを用いた臨床試験が迅速に開始されることを期待したい。
ADの発症後でもリチウムによって病態を可逆的に改善できる可能性があるというのは、非常に衝撃的である。
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躁病治療薬とAD
しかも、リチウムによって病態を可逆的に改善できる可能性まであるとは!
早期のヒト治験に期待。