1年半近く論文ウォッチを書いていると、自分の勉強になったと思える論文ほど、一般の人には理解しにくいことがよくわかる。「専門知識をコモンズに」というゴールは確かに遠い。ただこのギャップを感じないと、役に立つだけが一人歩きして科学コミュニケーションなど掛け声だけで終わるだろう。今日紹介するエール大学から2月12日号のCellに発表された論文はこのギャップを感じる典型的研究と言える。タイトルは「EBV noncoding RNA binds nascent RNA to drive host Pax5 to viral DNA(EVウィルスの非翻訳RNAは出来たばかりのRNAに結合してホスト細胞のPax5をウィルスDNAへと導く)」だ。タイトルを聞いてもほとんどの人にはちんぷんかんぷんだろう。まずEBウィルスだが、ヘルペスウィルスと同じファミリーに属し、幼児期に感染する。ほとんどは気がつかずに終わるが、人によっては発熱など急性症状を起こすこともある。成人期に感染すると激しい症状をきたすので、伝染性単核症と特に区別している。問題は、治ってもウィルスが潜伏し、機会があると活性化することだ。この活性化に、ホストとなるB細胞のPax5分子が重要な働きをしていることがこれまでわかっていた。即ち、Pax5が消失するとウィルスの活性が急速に上昇するため、Pax5がウィルスの再活性化を抑えているのではと考えられている。この研究は、このPax5の作用を助けるのが、ウィルス遺伝子の持つ、非翻訳RNAの一つEBER2であること、及びその分子過程を明らかにした研究だ。私自身、B細胞研究をテーマにしていた時期もあったので、このウィルスにはずっと興味を持っていたが、この論文を読んで研究の進展を実感した。この研究の目的はEBER2の機能を明らかにすることだ。もちろん誰もが考える遺伝子を欠損させる効果などは全てやり尽くされているが、肝心のメカニズムはわかっていなかった。この研究ではまずEBER2がゲノム上のどこに結合しているかを調べるために、EBER2の配列の中からフリーの一本鎖部分のなかから2箇所選び出し、ゲノム上でこの部分と結合するDNAの配列を次世代シークエンサーで調べ、潜在しているウィルスゲノムの端に存在する繰り返し配列(TR)に結合することを見つけた。このTRはすでに、ホスト細胞のPax5が結合する場所であることがわかっている。またEBER2の転写を抑制すると、Pax5をノックアウトするのと同じ効果があることもわかっていた。この研究によってこれまでの結果が統合され、EBER2とPax5は共同してTRに結合し、ウィルスゲノムの転写を調節することがわかった。この発見を手掛かりに、この論文で示されたシナリオは次のようになる。EBER2はビールスゲノムから転写されている幾つかのウィルスRNAと結合することで、Pax5をウィルスゲノムのTR配列へと連れてくる。EBER2と新しく転写されているRNAの働きがないと、Pax5だけではウィルスゲノムにリクルートできない。メカニズムはずいぶん違うが、クリスパー系のガイドRNAに似ていると言っていいかもしれない。こうしてリクルートされたPax5はウィルスの再活性化に関わるLIMP2などの遺伝子の転写を抑制するので、潜在ウィルスが活性化しないよう調節していることになる。この抑制経路がなんらかのきっかけで破られれば、ウィルスは再活性化され、多量のウィルス粒子が作られ、ホスト細胞は死に、ウィルス粒子が放出される。しかしこのシナリオから考えると、ウィルス自らが潜在化するために活性化を抑える仕組みを持っていることになる。即ちホスト細胞が死なないように共同している。しかし、ウィルスが増殖するためには活性化が必要だ。この共存と競合の相矛盾する要求をうまくやりくりして、EBウィルスは今も元気に私たちの中で生きている。同じメカニズムは、他の種に感染するこのファミリーのウィルスで保存されているようで、ウィルスが恒常的にホストに取り付いて維持されるためには必須の戦略のようだ。B細胞研究にとってPax5分子は最も重要な転写因子だが、このウィルスのおかげでPax5について新しい視点から調べることができるはずだ。一般の人とのギャップは埋まらなかったが、若い血液の研究者には是非ゆっくり読んで欲しいと思う。