私たちは別に意識して呼吸をしているわけではないが、突発的な要因でいやでも意識させられる。例えば刺激物を吸った時ハーハーと浅い呼吸になるのがわかるし、誰でも経験する横隔膜の痙攣シャックリの時も呼吸を意識する。さらにシャックリの場合、呼吸を止めたり迷走神経を刺激すると止まることが知られている。これは迷走神経が肺の呼吸状態をモニターして中枢に伝えているためだが、生命の基本である呼吸のモニターの研究はあまり進んでいなかったようだ。今日紹介するハーバード大学からの論文は迷走神経と呼吸の関係について明らかにした力作で、4月23日号Cellに掲載された。タイトルは「Vagal sensory neuron subtypes that differentially control breathing (呼吸を別々にコントロールする迷走神経のサブタイプ)」だ。この論文を読んで感じたのは、この研究だけで教科書をかけるぐらいの膨大な実験が行われていることだ。極めてオーソドックスな仕事をトップジャーナルに掲載しようと思うと、ここまで時間と労力がかかるようだ。研究ではまず呼吸に関わる迷走神経をさらに分別するため、Gタンパク結合型の受容体(GPCR)の発現を調べ、別々のGPCRを発現する3種類の迷走神経群に分けている。この研究ではこのうち、ほとんど研究がされていなかったP2ry1とNpry2を発現する迷走神経に焦点を当てている。細胞を、それが発現している分子を標識として区別できると、この標識遺伝子に様々な細工をしてその細胞が肺のどの組織につながり、また脳のどの場所にシグナルを送っているか、そして何よりも光遺伝学を使って光でそれぞれのサブタイプを刺激できるようにし、それぞれの神経が呼吸のどの反応に関わっているのかを明らかにすることができる。この膨大な実験の詳細を割愛してまとめると、次のようになる。P2ry1を発現する迷走神経は、神経上皮小体と呼ばれる上皮に存在する神経端末につながっており、ミエリンで囲まれた早い伝達速度の神経で、触覚と同じ物理的刺激(すなわち肺が伸びたというテンション)を感知している。これを刺激すると急速に呼吸が止まる。一方Npy2r陽性細胞は痛み刺激と同じ刺激に反応し、肺胞に分布している、伝達速度の遅い神経で、肺胞への障害刺激を感知している。これを刺激すると、ハーハーという浅い呼吸が誘導される。この反応の違いは、最終的にそれぞれのサブタイプが到達する延髄の場所が違うためで、それにより異なる反応が誘導できるようになっている。まとめるとこれだけだが、この研究は呼吸反射についての様々な分子基盤を大きく進展させているように思う。何よりも私のような素人にもわかりやすい論文だ。呼吸が生命の基礎であることを考えると、救急医療の現場で役に立つ様々な創薬につながるのではと期待したい。