論文のタイトルは「The functional diversity of retinal ganglion cells in the mouse (マウス網膜のガングリオン細胞の機能的多様性)」だ。この論文を読むとよく理解できるが、視細胞、双極細胞とつないできたシグナルは、一度このRGCで処理されて視覚野に送られる。この処理は、視覚情報の異なる要素(例えば色、on/off、動き等に対する異なる反応特性を持つRGCを別々に用意しておくことで行われるのではと考えられてきた。この研究では実際何種類の異なる処理機能を持つRGCが必要かを調べ、少なくとも32種類の別々の機能を持つRGCが特定できることを示している。
この研究では、カルシウムセンサーで個別の神経の興奮を記録できるようにした網膜を生きたまま切り出して培養し、顕微鏡の視野内の全てのRGCの様々な刺激に対する興奮を記録している。刺激として、全視野に対する光のオンオフ、色、光の動き、バイナリーノイズを加え、それぞれにどう反応するかを全て記録して、機能的特性を分類する。その後で、組織染色等でそれぞれのRGCの細胞学的特性を調べ、機能と形態の関係が対応できるようにした研究だ。実に1万を超す細胞を記録した労作だが、ビッグデータをまとめて扱うことができれば特に難しい方法ではないだろう。それでも、1万もの細胞を調べつくすというのは大変で、この労を厭わない積み重ねがこの論文の売りと言える。
詳細は全て省くが、結論はRGCをそれぞれの刺激に対する反応が異なる32種類に分類でき(おそらくそれ以上の機能的多様性がある)、機能と細胞学的特性を一定程度関連させることができるという結果だ。また、それぞれの機能を持つ細胞の比率、一つの刺激に対して連携して異なるシグナルを出す細胞のセットも同定できる。すなわち、一つの光刺激に存在する異なる要素が、統合された別々の神経興奮として複数のチャンネルに分解されていることもわかる。一部の分子マーカーについては実験も行っているが、細胞の分子発現と機能が相関させられると、今度は特定のRGCだけを操作して刺激に対する反応を調べることが可能になることも示している。今後32種類の細胞一つ一つについて検討が行われるだろう。 読んでいて、この労作は研究の終わりでも、中間報告でもなく、さらに大変な今後の研究の入り口でしかないことがわかる。実際には、視細胞の興奮、双極細胞の興奮、RGCとの結合など、全てを同時に、しかも区別して記録するまで研究は進むだろう。感覚は極めて主観的なものだが、このような研究の積み重ねが、主観と客観の超えがたい区別を切り崩していくのだろう。そんな難しいことを考えなくとも、おそらく、コンピューターの画像認識を研究している人たちは想像力をかきたてられていることだろう。アップルコンピュータは自社のディスプレーをレティナと名付けているが、網膜の素晴らしさを考えると、到底レティナには到達できていないと思う。