ところが今日紹介するMITからの論文はこの考えが完全に間違っていることを示す面白い研究で7月17日号のNatureに掲載された。タイトルは「Indifference to dissonance in native Amazonians reveals cultural variation in music perception(アマゾン原住民の不協和音への無関心は、音楽の認知上の文化的違いを明らかにする)」だ。
この研究の目的は、ハーモニーを心地よく感じる感覚が「生まれつきか、育ちか」を明らかにすることだ。この目的のため、著者らは、ボリビアの都会(La Paz)、小さな町(San Borja)、そしてアマゾンの村(Santa Maria)の土着民Tsimaneに、協和音、不協和音、他様々に細工した音を聞かせ、それぞれの音を心地よく感じるかどうかを調査し、アメリカ人と比べている。
このTsimane人が対象として選ばれた最大の理由は、この部族が集団で音楽を奏でることがなく、またその音楽にハーモニーや、多声が見当たらないことによる。すなわちこの部族では協和音か不協和音かを育ちの中で習う機会はほぼない。
結論から先に述べると、「ハーモニーを心地よく感じるのは生まれつきではなく、育ちだ」になる。
音楽、特に音に関する専門用語が多いので100%理解できているか少しおぼつかないが、実験自体はわかりやすい。まず合成音や人間の声として協和音、不協和音、あるいは調和音、不調和音を聞かせる。都会で育ったボリビア人にはこれらの音を聞いた時の快、不快はアメリカ人と同じだ。すなわち、協和音や調和を快く感じる。ところが、小さな町、そしてアマゾンの村の住人と、ハーモニーのある音楽から無縁になればなるほど、協和/不協和、調和/不調和に対する快/不快の区別ができなくなっている。
重要な結果はこれで全てだが、この差が本当に協和、不協和の感覚によるのか、例えば不協和音を合成した時にできてしまう音の荒さによるのかなどを、様々な合成音を聞かせて区別する実験を繰り返している。さらに念の入ったことに、Tsimane人独自の音楽をレコーディングして、それから調和、不調和の音楽を作り直して聞かせることで、音楽に対する慣れによってこの差が生まれるのかどうかも調べている。
多くの実験が行われているが、結局結論は変わらず、ハーモニーを経験せずに育ったTsimane人には協和/不協和に対する感覚に差がないという今回の結果は、音の荒さや、音楽の慣れに対する反応を見ているのではなく、純粋に協和/不協和に対する反応が現れたものであることを証明している。
面白い研究で、音楽好きの人にとっては、今後話のネタになること間違いない。また、東洋人が西洋音楽の演奏家になっても何の不思議もないことが確認される。 私も楽しんで読んだが、読み終わってふとばかな疑問が湧いた。 音楽を聴いた時によく犬が遠吠えするのに出くわす。「これは犬が私達の音楽を聞いて育ったせいなのか、それとも犬の本来の習性なのか?」次はぜひこの部落の犬についても調べて欲しい。