いろんな読み方ができるだろうが、私にとってマーク・ロスコの絵が表紙に使われているこの本で取り上げられた問題は、「なぜ抽象絵画が私たちの心を揺さぶることができるのか?」だと思えた。
これに対しカンデルは、ターナー、モネ、カンディンスキー、モンドリアン、クーニング、ポロック、ロスコ、ルイス、フラビン、タレル、カッツ、ウォーホールなど絵画を解説しながら、それぞれの画家が「見たもの」をどのように要素還元したのか、そしておそらく直感的に行われた還元過程が、視覚認識についての脳科学からみていかに理にかなったことかを説明している。
要するに、カンデルの答えは、「私たちが視覚認識として行っている様々な脳過程の一部を、画家が直感的に取り出して表現しているのが抽象絵画である」とまとめていいだろう。
カンデルの美術に対する専門的な造詣の深さに感心するとともに、その脳科学に基づく説明に納得し、舌を巻いた。もちろん、この説明が正しいかどうかを問うても意味がない。面白い説明に出会うとともに、抽象絵画も理屈から楽しむ可能性があることがよくわかった。カンデルの提案を頭に入れて、NY近代美術館をもう一度訪れたいという強い気持ちが湧いてきた。
これと比べると、音楽の歴史を単純に要素還元的に説明することは難しいような気がする。これは、絵画と違って、音楽はもともと抽象的で、コンテンツそのものがないからだろう。これを研究するのは大変だが、それでも今日紹介するバルセロナ大学からの論文のように、音楽を聞いたときの快・不快をなんとか分析しようとする研究も行われている。タイトルは「Neural correlates of specific musical anhedonia(音楽特異的な不感症の神経的基盤)」で、10月30日号の米国アカデミー紀要に掲載されている。
この研究では、45人の大学生を、筆記テストで、音楽好き、普通、無関心にわけ、次に古典から現代まで様々なクラッシック音楽を聴かせて、1)好感度の採点、2)皮膚伝導計による興奮度の測定、3)機能MRIによる脳活動の測定、を行い、音楽に対する感受性の違いを脳科学的に説明しようと試みている。
詳細を省いて結果をまとめると、
1) BMRQと名付けられたテストで特定した音楽不感症の人は、快い音楽も、不快な音楽にも同じような身体的反応を示す。(ちなみにここで不快な音楽とは例えばシェーンベルグの弦楽四重奏曲3番)
2) 一方、音楽好きだけでなく、普通の人も、ぞくぞくする音楽には強く反応する。(ちなみにここでぞくぞくする音楽とは例えばベートーベンの第9交響曲と、チャイコフスキーのクルミ割り人形の中のシュガープラムの踊り。)
3) 音楽好きの人は、MRI検査で側坐核を含む腹側線条体が好感度の高い音楽ほど反応する。しかし、音楽不感症の場合は逆に興奮が低下する。一方、ギャンブルでの喜怒哀楽については、音楽好き、不感症を問わず、大体同じ。
4) 音楽不感症の人では、一次聴覚野から側坐核への神経結合がもともと低下している。
要するに、音楽不感症に対して脳科学から一定の説明が可能だと主張している。しかし、この論文は始まりに過ぎないだろう。今年7月21日にここで紹介したように、人間が生まれついて持っているハーモニーへの感覚でさえ、文化と教育の産物であることがわかってきた(http://aasj.jp/news/watch/5533)。これは言葉の獲得と同じだ。
像がコンテンツとして外的、内的に存在する絵画と異なり、音楽に対する私達、あるいは音楽家の行動を脳科学的に説明するには、まだまだ調べなければならないことが多い。実際、この論文を読んでいて、いくら音楽不感症とはいえ、ベートーベンの音楽と、シェーンベルグやウェーベルンの音楽に対して同じように反応するとは到底信じられなかった。
いずれにせよ、この論文も、カンデルの著書も、芸術と科学を二つの文化として並置するのではなく、なんとか接点を求めようとする試みが21世紀に求められていることを伝えようとしている。カンデルの本が、CP Snowがかって表明した「二つの文化に接点はない」というテーゼの説明から始めているのも、接点は必ずあるという信念があるからだろう。ぜひ若い人たちに読んで欲しい本だ。
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