この本はもちろん、ナチスの原爆開発とハイゼンベルグの果たした役割や、毒ガスの開発とドイツの化学などあらゆる分野にわたる本だが、医学出身の私にとってはやはり、当時収容所で行われた人体実験について述べた章が最も印象深く、他人事ではないと深く反省した。
特に興味を惹かれるのは、ナチスによるユダヤ人大量虐殺の前に、ナチスと科学者が、知的障害や精神障害を持つ人を「Lebensunwertes Leben(生きる価値のない命)」と決めつけ、社会への負担であるとして抹殺する「Rassenhygine(民族衛生)」計画を策定、実行したことだ。この計画を理論的に支えたのは、当時ドイツの指導的精神科学者達で、この中にクレッペリンやアルツハイマーも含まれているのを知ると改めて驚く。
この民族衛生計画はヒットラー政権下で実行に移され、精神疾患施設や学校では定期的にナチの点検を受け、「AktionT4」と呼ばれる安楽死担当室が設置され、20万人を超えるれっきとしたドイツ人がガス室送りになる。事実、後にユダヤ人大量虐殺に用いられるほとんどの技術はこの時開発されたもので、例えばシャワー室にしつらえたガス室などがそうだ。
この時、おそらく生体実験は行われなかったと思うが、殺された人たちの一部の脳は、幾つかの研究室に研究材料として提供されている。これも「既に亡くなった人の脳だから使わせてもらおう」というのではなく、わざわざガス室で亡くなるのを待って、新鮮な脳を摘出することが日常行われており、研究者が積極的にこの計画に関わっていたことを示している。
長くなったが、この恐ろしい民族浄化計画の後日談ともいうべき、ベルリン在住のレポーターMegan Gannonさんによる記事が1月6日号のScienceに掲載されていたので紹介する。タイトルは「Germany to probe Nazi-era medical science(ドイツはナチス時代の医学について調べを始める)」だ。
記事の内容は、殺された後、数カ所のカイザー・ウィルヘルム研究所(現在のマックスプランク研究所の前身)に送られ、研究に使われた脳標本がその後どう処理されたかの全貌を明らかにするため、マックスプランク研究所(MPG)が再調査を四人の研究者に許可したというニュースについての解説だ。
話は1980年に遡るが、一人のジャーナリストがHitler’s Scientistでも言及されている神経病理学者Hallervordenが用いた38人の知的障害児に関する標本を発見する。この指摘に対し、MPGは10万にも及ぶプレパラートを儀式を執り行って丁重に葬る。
その後、当時の研究者がナチスと一体になって研究を行っていたことが明白になったため、MPGは犠牲者に対して歴史的な公式謝罪を行い、全貌解明に動き始める。特に焦点になったのは、戦争の終わった後も研究者が由来を知りながら、標本を使ったのではないかという点だ。事実Hallervordenは戦後国際的に活躍、1953年には神経医学の教科書の共同執筆者として、当時犠牲になったHans-Joachimさんの脳標本を瘢痕回の例として掲載している。
これをきっかけに2015年、新たな脳切片が発見され、すべての標本が埋葬されたわけではないことが明らかになる。この事実に直面したMPGは、さらに徹底的な調査を行う目的で研究者にすべての資料を開示し、当時何が行われたのかの全容解明に踏み出すことを決める。
これがレポートの内容だが、これにより当時のMPGと研究者が戦争に巻き込まれたのではなく、積極的に関わったことを示す暗い歴史が明らかになるだろう。これを暴き出すのは、それに関わった研究者を断罪するためではない。私たち研究者自身に潜む「ヒットラーの医学者」を暴き出すためだ。ミレニアムプロジェクトで政府と一体となって再生医学を推し進めた私も、思い当たることも多く、Hallervordenと変わるところはない。この意味で、この決断を行ったMPGには頭がさがる。
この記事を読んで、我が母校の京大医学部出身、石井四郎指揮下の731部隊を思い出した。おそらく私の先輩たちも731部隊の研究に協力し、標本の一部は京都大学にあるのではないだろうか。一度教授会で議論するぐらいの見識が欲しいと思う。かくいう私もかっての教授会メンバーで、このような議論ができなかったこと真っ先に反省すべきだと思っている。今更遅いのだが。