ただこの分野の論文を読んできた印象からいうと、倫理議論とは別に考える必要があるのは、この分野での我が国のプレゼンスが極めて低い点だ。すなわち外野から見ていると、倫理議論だけが盛り上がって、研究が盛り上がっていないという不思議な現象が起こっているように思えてしまう。 もちろんレベルの低い研究力でもゲノム編集ができてしまうため、利用は拡がるだろう。ただこれだけではいい研究には発展しない。同じように臨床応用も、最初は開発された技術をそのまま適用すればいいわけではない。どの疾患を、どのような戦略で攻めるか、臨床研究者の知識と構想力が試される。実際、競争が熾烈を極める体細胞の遺伝子編集治療となると、我が国からほとんどめぼしい論文は出ていないのではないだろうか(もし間違っていたら教えて欲しい)。
一方世界レベルでは、臨床を想定した遺伝子編集を用いる前臨床研究が着々と進んでいるように思える。今日紹介するピッツバーグ大学からの論文もその一つで、染色体転座というガンの根幹を標的にしたCRISPR/CAS利用法の開発研究で、Nature Biotechnologyオンライン版に掲載された。タイトルは「Targeting genomic rearrangements in tumor cells through Cas9-mediated insertion of suiside gene(Cas9を用いた腫瘍細胞の遺伝子転座部位への自殺遺伝子の挿入)」だ。
多くのガンで、染色体転座が発ガンに重要な役割を演じていることがわかっている。この転座によって、正常の細胞には全く存在しない遺伝子配列がガン細胞だけに発生するので、この配列を使ってガン細胞だけに自殺遺伝子を導入して、ガンを治せないかというのがこの研究の目的だ。誰もが分かっていることだが、いい着想だ。このモデルとして、異なる転座を持つ前立腺ガン細胞と、肝ガン細胞をモデルとして使っている。
自殺遺伝子としては、実績のあるチミジンキナーゼ遺伝子を選び、転座部位に挿入する方法を開発したのがこの研究のハイライトだ。チミジンキナーゼが導入されると、ガンシクロビル投与で、細胞を特異的に殺すことができる。
遺伝子挿入の効率を上げるため、DNAの片方の鎖に切れ目だけを入れるよう改造したCAS9を用いている。この変異型CASに転座部分を含む2種類のガイドRNA(別々のストランドに相補的)を結合させ、アデノ随伴ウイルスベクターに組み込んで、細胞に感染させている。これにより、転座部位を挟んで2箇所の切れ目が入り、自殺遺伝子が挿入される。
もちろん100%の効率までにはいかないにせよ、期待どおり転座を持つガン細胞だけを選択的に殺すことができる。同じ実験を、ガンを移植したマウスに遺伝子導入を行い、生体内でも同じ効果が期待できるか調べている。まだ30%程度にガンが縮小する程度で、完全消失とはいかないが、十分期待できる結果だ。それでも、担ガンマウスの生存が大幅に伸びているのには驚く。 治療に使うためにはまだ克服すべき点も多いと思うが、読んだ限りは着想もいいし、応用性も高いだろう。転座を持つ多くのガンに使える方法へと発展すると期待できる。