その意味で、今日紹介する英国ウェルカムトラスト・MRC幹細胞研究所からの論文は、このシステムの新しい側面を示した力作だと思う。タイトルは「SMAD2/3 interactome reveals that TGFβcontrols m6A mRNA methylation in pluripotency(SMAD2/3結合タンパクの網羅的解析によりTGFβが多能性でのmRNAのメチル化を調節していることが明らかになった)」だ。
このグループはヒト多能性維持メカニズムを長年研究しており、多能性にとってactivin/nodalシグナルが必須であることを示してきた。この研究はその延長で、このシグナルと多能性をつなぐシグナル経路を明らかにしようとしている。ともすると、入り口がactivinと決まると、あとは典型的下流を思い浮かべてそれで終わらすのだが、著者らはactivin受容体が活性化するSMAD2/3と反応する分子をすべてリストしてシグナルの全像を捉えようとしている。
そのためにSMAD2/3を免疫沈降して、これらの分子と複合体を形成する分子をリストしている。この結果、SMAD2/3がDNA転写因子として働く時に協働する様々な分子以外に、DNA修復系をはじめとして、これまで示されたことのない様々な分子経路と結合していることをまず明らかにしている。
その上で、著者らの目を最も引いたのが、mRNAのアデノシンをメチル化する酵素群で、この研究ではこの経路に絞ってさらに研究を進めている。
まず、多能性幹細胞でactivin-nodalシグナルをブロックして、内胚葉系への分化が進むと、SMAD2/3とRNAメチル化酵素群の結合が外れ、メチル化RNAの量が低下することを示し、確かにmRNAのメチル化調節がactivin-nodalシグナル下流で働いていることを示している。
この結果を手掛かりに、多能性の維持と分化誘導にactivinに始まるこの経路の分子過程と、生物学的意義について調べている。おそらく最も重要な発見は、SMAD2/3がRNAメチル化酵素複合体と結合することで、ゲノム上で転写が起こる時にメチル化する標的RNAを決めているという発見だろう。詳細を省いて最終的なシナリオについて紹介すると以下のようになるだろう。
SMAD2/3が標的DNAに結合して転写が始まると、これにRNAメチル化酵素群が結合し、転写したmRNAをメチル化する。このメチル化されたRNAの中には、アクチビンシグナルで発現が維持されているNANOGも含まれるが、このような多能性を維持するために必要なRNAの分解が早まることで、多能性はより持続的シグナルを必要とするようになる。逆に、シグナルがなくなると多能性に関わるRNAはすぐに分解され、分化が速やかに誘導されるという、納得のシナリオだ。おそらく今後、このシナリオを他の過程にも当てはめる試みが進む予感がする。一つ勉強したという論文だった。
私事になるが、この論文を発表したウェルカムトラスト・MRC幹細胞研究所が合併する時期、私はウェルカムトラスト研究所のアドバイザリーボードを務めた。合併してからは、ウェルカムトラストのアドバイザリーがそのまま全体のアドバイザリーに移行した。ウェルカムトラス研究所はより基礎的な幹細胞研究のために設立され、MRCの方はより臨床に軸足を置いた研究所だった。したがって、それぞれの文化が上手く融合できるか、アドバイザーとして色々議論したが、辞めてから論文を通してこの研究所の業績を見ていると、両者が本当に上手く相乗効果を発揮できているように思っている。当時を振り返ると、英国にはあって、残念ながら我が国にはない成功の秘密がよくわかる。我が国の研究力が低下しているのは、決して予算の問題だけではない。科学者からの声を聞いていると、なんとなく人任せに聞こえるが、日本科学の再生には、全員が自分のこととして、何が必要で、自分はどうか関れるのか問い直す以外に方法はないだろう。