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7月9日:東南アジア民族の形成:日本の縄文人も含む(7月6日号Science掲載論文)

2018年7月9日
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古代人のゲノム解析が進み、アフリカから、ヨーロッパ、さらにはオセアニア、アメリカでの各民族の形成過程が、ゲノムから明らかにされつつあるが、少なくとも一般紙に発表される論文レベルでは、東南アジアから我が国にかけての民族形成過程について調べた論文をなかなか目にすることはない。

ところがようやく、7月6日号のScienceに東南アジアから我が国の縄文人までカバーした古代人ゲノムの研究が発表され、これまでのフラストレーションが少し解消した。タイトルは、「The prehistoric peopling of Southeast Asia(先史時代の東南アジアの民族形成)」だ。研究の主体はケンブリッジ大学だが、我が国の研究者もさまざまな形で参加しており、そのおかげで縄文人についての記述が多く、初めて日本民族形成のイメージをつかむことができた。

この研究ではマレーシア、タイ、ベトナム、ラオス、インドネシア、フィリピン、そして愛知県伊川津貝塚から、2ー8千年前の人骨を集め、そのDNAを解析している。東南アジアや我が国で、古代人ゲノム研究が進まない理由は、研究レベルの問題もあるが、もう一つは高温多湿地帯のためDNAの変性が激しいことがある。この研究では、この問題をMYbaitsと呼ばれる液体中で人間のDNAを精製する方法を用いて、低い精度ではあるがなんとか全ゲノムを解読し比較に用いている。

この結果、東南アジア出土の古代人ゲノムはgroup1ー6までの6グループに分けることができる。例えばgroup1にはマレーシアHoabinhiansで発見された東南アジア最古の人骨の末裔、マレー半島のÖngeやJehaiが分類され、Group2にはベトナムの新石器時代から青銅器時代の人骨が分類される。他のGroupの構成の詳細は省くが、このように分類した先史時代のゲノムと現代の各民族を比べることで、西から移動してきた現生人類が東南アジアに定住する過程を描くことが可能になる。

論文は50近くの図や表を擁する膨大な研究で、ここでは詳細を省いて以下の2点だけを紹介する。

1) この研究が行われた動機の一つは、各民族の定住を促した農業がどのように東南アジアに広まったかを明らかにすることだ。これまで、Hoabinhiansの狩猟採取民族が外部の影響なしに農業を発展させ、東南アジアに広めたとする説と、東アジアで農業を始めた民族が、徐々に東南アジアの狩猟採取民を征服して置き換わっていったという説が唱えられていた。今回、古代人ゲノムが解析され、それぞれの関係を調べることで、東南アジアの民族が、文化的に優位な民族が他の民族を置き換えるのではなく、混血を繰り返しながら文化を共有していったことが明らかになった。これは例えばヨーロッパの先住民が、Yamnaya民族に置き換わってしまって、インドヨーロッパ語文化圏が形成されたのとは全く違う。すなわち、異なる民族間でのある種の平和的融合を通して混血と定住が進み、各地域の民族が形成されたのが、東南アジアの特徴と言える。事実それぞれのグループにはインドやパプアニューギニア民族からの遺伝子流入も見られることから、この融合範囲はかなり広い。

2) 次は我々日本人にとって最も関わりのある問題、すなわち縄文人や現代日本民族の形成過程だ。驚くことに、縄文人はなんとマレーシアを中心に分布するGroup1に最も近い。ただ、Group1に分類していいかと言われるとかなり違っており、東アジア民族からの遺伝子流入の影響を大きく受けている。すなわち、マレーシアに誕生したGroup1の末裔が東南アジアを経て日本に到達するまでに、その途上の民族とおそらく平和的に混血を繰り返して日本に到達したのが縄文人になる。また、伊川津縄文人を2.5-3千年前とすると、その後の3000年のうちに更に東アジア人と混血して新しい日本人を形成したことだ。おそらく、弥生人の解析が進めばこの点は確認できるのではないだろうか。もちろん、伊川津貝塚からの一体だけで縄文人の由来についての結論を急ぐのは危険だが、人類起源の地アフリカからもっとも離れた島国に定住した日本民族が、様々な民族とゲノムでつながっていても何の不思議もない。

東南アジアの定住と民族形成が征服ではなく融合が基本だったことは、歴史時代多くの争いがあったとはいえ、アジアの精神性の基盤になったのかもしれない。タイの国立博物館を訪れた時、タイ民族が7種類の民族のゲノムが混じり合ってできていることを誇りにしているビデオ展示を見て、純血を重要視しない王国があると感心した。しかも、その民族の中には日本民族も含まれている。この論文を読んで、民族の純血を叫ぶのではなく、逆に他民族との深い関係を誇りにする日本人にでありたいと思うとともに、私たちが深く東南アジアとも繋がっていることを実感した。
  1. M7a本土日本人@母の実家はコメ農家 より:

    >民族の純血を叫ぶのではなく、逆に他民族との深い関係を誇りにする日本人にでありたいと思うとともに、私たちが深く東南アジアとも繋がっていることを実感した。

    研究者のイデオロギーに関心はありませんが、この度の研究成果は、非常に興味深く、意義深いものだと思います。

    ところで、縄文系言語の一つではないかと言われる事がある「アイヌ語」について、どう捉えるべきでしょうか。

    例えば、アイヌ語と東北北部や南部の方言は、根本的に全く似ていません。
    東北のズーズー弁を「縄文語の名残り」と語る人もいますが、どう見ても、隣接する北関東や東関東、新潟辺りの言葉に近いとしか思えません。
    マタギの狩猟言語にしても、アイヌ語からの「借用語」の域を出ないものだと思います。

    では「日本語」に近い言葉が、中国大陸や朝鮮半島やシベリアにあるかと問われれば、それもありません。
    確かに、韓国語をはじめ、文法的によく似た言葉はあります。
    しかし、韓国語は、古代における分厚い交流の歴史と比べると、日本語とは、甚だ遠い関係にある言語と言わざるを得ません。

    縄文人も弥生人も、実はルーツが沢山あり、渡来時期も多岐に渡るのではないでしょうか?

    1. nishikawa より:

      インドヨーロッパ語のように、ヤムナ文化が征服により浸透する場合は別として、言語は征服されない限り、オリジナルで残ります。縄文語が残っていない以上、結局ゲノムで日本民族の形成をもっと明らかにして行くべきでしょう。研究者が少ないのが問題です。

  2. M7a本土日本人@母の実家はコメ農家 より より:

    >縄文語が残っていない以上、結局ゲノムで日本民族の形成をもっと明らかにして行くべきでしょう。

    そうですね。
    そもそも、縄文時代は昔過ぎる上に、文字もありませんでしたから、「縄文語」を復元する事は難しいと思います。

    最新の「核ゲノム」に関する報道や書籍は目を通していますが、いつも引っかかるのは、日本人や縄文人の「遺伝的多様性」についてです。

    例えば、現代日本人や縄文人のミトコンドリアDNAのハプログループは、あまりにも多様です。
    関東の縄文人等は、AやBやFの他、珍しい所ではM10などもあり、一筋縄ではいかない印象を受けます。
    斎藤成也氏の「三段階渡来説」でも、説明がつきにくいのではないでしょうか?

    今後は、島根県の猪目洞窟遺跡人骨の核ゲノム調査なども行われるのでしょうが、出土した古墳時代人骨などは、渡来風味満点で、いかにも「大陸から来ました」といった趣だったりします。
    もちろん個体差があるでしょうし、DNAは見た目を裏切る事がよくあります。
    弥生人の来歴が、従来説以上に複雑だった可能性もあります。(しかし、しばしば単純化される)

    また、「方言」に関して、東北弁をアイヌ語との関係から解明しようとする人々がいますが、東北弁がアイヌ語に似ても似つかない事は事実でしょう。
    東京、神奈川、千葉、茨城、新潟、岩手に親戚があり、親しい知人一家が福島に住んでいますが、やはり、東北弁は、とりわけ、東関東や新潟辺りの言葉に根本的に近いと感じます。

    いずれにせよ、今後のゲノム調査の進展にますます期待したいと思いますが、残念なのは、我々素人が遺伝子調査に参加する事が容易ではないという事です。

  3. 箒川 兵庫助 より:

    その1 三角文様とコメ・豚肉について
     最近(2019),必要に迫られて民俗学または文化人類学の初歩を学び始めた一人です。原点(典)は矢野暢京大教授の『東南アジア世界の構造』(NHK,1983)です。矢野先生はタイ南部の村に滞在して研究を進められました。膨大な資料を駆使されていて若い時には読むのも一苦労でした。
     その中でマレー人の話も出てきますが,華僑と半島部マレー人の写真だけで他の少数民族には触れられてはおりません。そういう中でいくつかボルネオ島(マレ-シア側)の少数民族について勉強させて頂きました。32ある民族のうちの一つ,カザダン・ドスンが雲南の花腰傣族と祖先を同じにしているという感触を得ました。また北条早雲家ともつながりがあるという証拠も出てきました。それはゲノム解析ではなく,図形・形の分析によるものです。少数民族として,衣装に△文様をもつのは,中国少数民族55のうち9つです。ベトナムやラオスにもいくつかあります。つまり第一次区分として△文様。第二区分として米作,豚肉・酒です。北条家の家紋は三つ鱗です。三角文様が4つ(見方によっては3つと5つ)。豚肉や酒は食したと思います。
     この流れで行きますとカザダン・ドスンー花腰傣族-北条家は同じ祖先をもつと推定されます。

    その2 アイヌ民族について
     アイヌの衣装ですが,3つ口に注意がいきます。悪い神様が入ってい来るのは,首回り,袖先,そして足首からだそうです。だからその周りに文様を施すそうです。そして悪い神様を追い払う。
     沖縄人の着物はこの3つの切り口の観点から造られているのでしょうか。模様の内容はいろいろですが,首,袖,足に文様があるかどうかで文化の伝承があるかないか分かると推測されます。
     なおアイヌ民族衣装は三角文様をもちません。

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