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1月14日:わが国の国際捕鯨委員会からの脱退について(NatureとScienceのコメンタリー)

2019年1月14日
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昨年わが国は国際捕鯨委員会(IWC)から脱退したが、大手メディア報道を読むと、否定的意見が多いように思う。もともとクジラの消費は先細りで、漁業として極めて小さな経済活動に過ぎず、将来後継者もままならない捕鯨と引き換えに、わが国が国際協調を破る国であると言う汚名を切るのは、あまりにも損失が大きいと言うロジックのように思える。

私自身の印象はと言うと、やはり悪い。私は残り少なくなったクジラ給食世代だが、クジラを食べることなど10年に一度あるかどうかだ。しかも、最後に食べたのは、アイスランド旅行に行った時で、一緒に旅行したスウェーデン人のMartin君が注文したのをつまんだだけだ。とすると、たしかにこの程度の話で、反環境、反生物保護の烙印を押されるのは大損していると思う。それでも、クジラを殺して食べることがけしからんという論理には与しない。一方、もし絶滅の危険があり、生物多様性がまた失われるなら、好きなマグロでも我慢する。その意味では、動物保護の問題を感情問題と政治問題にしてしまうのが一番問題だ。

流石にクジラを食べる「蛮行」に対する感情問題は無視するとしても、多くのメディアはこの議論を政治的観点から行なっているように思う。これに対し、先週号のNatureとScienceに揃って、この問題をあくまでもクジラの絶滅を防ぐという科学的観点から捉え直した冷静なコメントが載っていたので紹介することにした。

まずScienseの方だが、私も現役時代何度も話す機会があったScienceアジアのコレスポンデンス、Nomileさんが書いている。タイトルは「Japan’s exit from whaling group may benefit whales (日本の捕鯨グループからの脱退はクジラにとっては良いことだ)」だ。

Nomileさんのポイントは以下のようにまとめられるだろう。

1)2000年以降の日本で消費される大半は調査捕鯨から得られたクジラで、今回調査捕鯨が中止になることで、捕獲されるクジラの数は半減することが予想される。さらに、日本は現在のレベル以上にクジラを捕獲しないことを表明しており、IWC脱退でさらにクジラが減るというのは根拠がない。

2)クジラの頭数が回復したという証拠が増えてきている。一方、これとは無関係にIWCでの議論がクジラを殺すことが残酷だという倫理問題に移行していた(実際の沿岸捕鯨はほとんど網で捕獲している)。

3)日本が脱退することで、IWCの食用を巡る議論から、例えば船との衝突、漁網による障害など、これまでないがしろにされていた重要問題を議論することができる。

要するに、クジラの保護に関する科学という観点から、日本の脱退に目クジラを立てるほどのことはないと、ヒステリックで政治的な対応を暗に批判する記事になっている。

Natureのほうは、編集室からの意見として示されており、タイトルは「Save the whales, again (もう一度クジラを救おう)」だ。ただ論旨はNomile さんとほぼ同じで、一番問題にしているのが、IWCの議論が、科学者の議論から、政治的議論に変わっていた点だ。その意味で、日本の脱退は間違いなく国際協調という点から後退を意味するが、IWCが本来の姿に戻るためのいいきっかけになることを強調している。その上で、実際毎年30万頭のクジラ、イルカ、シャチが、船との衝突や漁網による障害で殺されていることを明確な数字をあげて示し、日本と終わりのない政治議論を続けるより、このような新たな問題に取り組むことのほうがクジラの保護に寄与することを強調している。

いずれも科学誌ならではの論調で、捕鯨を道徳や文化の問題にせず、あくまでも生物多様性の維持という科学的問題として議論することの重要性を強調している。科学とは何かを考えるとき、合理的反証が可能かどうかが科学的かどうかを決める条件になるとするカール・ポパーの考えに私も全面的に賛成だ。そう考えると、社会問題も含め何事も、合理的結論を得るためには科学が必要であることを明確に示した、科学雑誌ならではの重要なコメンタリーだったと思う。

  1. Okazaki Yoshihisa より:

    東京に行った時には、新宿の鯨料理店 樽一 によく行きました。はりはり鍋、刺身とか絶品でした。
    地酒との相性も抜群。

    店主の主張:
    日本人にとって、ご先祖様から受け継いだ鯨料理は食文化だ。某国のように乱獲しては、油だけ取って、後は破棄。なんて、鯨に対して失礼な接し方は日本人はしてきていない。鯨1頭捕獲したら、頭~尾まで残さず利用させて頂き、年に1回は鯨供養を行うなど、鯨に対しては、動物虐待どころか、畏敬の念を持って接してきた。牛肉、豚肉売り込む目的で、外からとやかく言って欲しくない。

    鯨料理の美味しさも相まって、納得させられました。

    1. nishikawa より:

      文化の問題にしないことが重要です。割礼がアフリカの文化なら続けていいという話にはなりません。クジラももし絶滅することが科学的にはっきりすれば、食べるのは我慢すべきでしょう。逆に、オーストラリア中心の虐待問題も、倫理という文化の問題なので同じことです、

  2. Okazaki Yoshihisa より:

    追伸です。今、ネットで調べたら、店主の言ってたとうり、日本人は鯨虐待どころか、人間並みに畏敬の念を持って接してきてます。
    鯨墓。

    江戸時代以前の組織捕鯨を生業にしてきた地域や以降の捕鯨を行ってきた地域でも、追悼や供養の意味を込めて建てられた墓であり、特に積極的捕鯨をしてきた地域では鯨墓にとどまらず、鯨過去帳の作成や卒塔婆や戒名や年一回の鯨法会まで行う地域まで存在する。

  3. Okazaki Yoshihisa より:

    ご指摘のとうりです。こうした問題を議論するときには、文化的視点、政治的視点、経済的視点、科学的視点etcが混在し、結局、何がなんだか、何が大事なのかがわからなくなってきます。科学的視点で議論する とのコンサンサスの遵守が大事だと感じます。

  4. Okazaki Yoshihisa より:

    新宿樽一様では、調査捕鯨用の鯨を毎年苦労して仕入れておられ、大事に使っておられるとのことでした。念のため。

  5. 岡田典弘 より:

    記事を拝見。僕は以前にクジラの系統の研究をしていたのですが、その頃の知識では「ミンククジラは捕鯨によってでも数を減らさなければ大型のヒゲクジラ、ナガスクジラ、シロナガスクジラなど、は遠からず絶滅をしてしまう。」というものです。僕が研究をしていた頃とは10年以上の時間が経っていますので、これが今でも当てはまるかはわかりません。これはどういうことかというと、ミンククジラは小型のヒゲクジラですが、今何十万頭というレベルで生息してをしています。ヒゲクジラはプランクトンを食べますが、プランクトンは地球上のどこにでも発生するのではなく、大洋の一定のところに海の富栄養の成分が上昇する海域がありそのような場所に限ってプランクトンが大量に発生します。そのようなプランクトンを鯨が見つけて食べるのですが、ミンククジラが頭数を増やしているために大型のヒゲクジラの食料が減っていて絶滅の危機にあるというのが、日本側の主張であると聞いていました。これが日本が捕鯨を続けるための政治的な主張なのか、実際科学的な根拠にもとずく主張なのか僕は判断をすることができないのですが、西欧人がこの日本側の主張に耳を傾けることなく感情論で対処してきているということは聞いたことがあります。日本側のこのような主張が科学的に正しいのかを検証すること、実際に大型のヒゲクジラがミンククジラの頭数拡大におために絶滅の危機に瀕しているのかを科学的に確かめることが重要ではないかと思いました。

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