シモンズ財団
自閉症スペクトラム(ASD)に関する論文を読んでいて、研究の多くがSimons Foundation(写真は会長のMarilyn Simmons)の助成を受けていることに気づきました。この財団のことは全く知りませんでしたが、Webで調べると、数学者で天才ディーラーと呼ばれたJames Simonsとその妻Marilynにより1994年に設立された財団で、Simons氏の専門だった数学やコンピューターサイエンスを中心に基礎科学を支援している財団のようです。2015年の支出が4.3億ドルという規模は、東大の全収入約2000億円と比べて、かなり大きな財団であることがわかります。
中でもASD研究はこの財団が焦点を当てている分野の3本の柱の一つになっています。おかげで、財団のホームページの論文のリストを見るだけで、ASDの基礎研究の現状がよく分かるようになっており大変重宝です。この財団が助成する活動の中で最も注目したいのが、SPARKと名付けられた新しい発想のコホート研究です。これについては2月号のNeuronに現状報告が掲載されているので、今日はそれを紹介します(SPARK: A US cohort of 50,000 families to accelerate autism research (SPARK: 自閉症研究を加速するための50000家族のコホート研究), Neuron 97:488, 2018)。
このレポートはSPARKプロジェクトのコンソーシアムから発表されており、SPARKの目的や現状、そして解決すべき困難などが率直に述べられています。読み通してみるとよく練られた計画で、このような計画が民間財団のサポートで実現するところが米国の活力だと感銘を受けました。
コホート研究の困難
コホート研究とは、特定の集団を長期にわたって追跡する研究で、例えば肥満の児童は将来心臓発作を起こしやすいかなどを調べるとき、児童の時期に対象を選び、成人になるまで心臓発作の発症を追いかけるような研究です。私が読んだ最も長いコホート研究は、スコットランドで始められた2ヶ国語環境で育つと認知症になりにくいかという研究で、スタートしたのが1936年、調査が行われたのが2010年という80年近い追跡研究でした。
ただこのようなコホート研究は、対象に呼びかけ、登録してもらい、さらにコホート期間中に様々なデータを提供してもらう事が大変で、膨大な労力とコストがかかります。我が国では、研究のほとんどが公的な資金で行われるため、本当に長期の研究を支え続けるのが難しくなっています。
SPARKの概要
SPARK研究は、コホート研究の困難に、様々な新しい方法を用いて挑戦しようとする斬新な取り組みだと思います。何よりも、私的な財団支援することで、例えば政策変更で研究が中断する心配がありません。この安定した助成を基盤として目指しているのが、遺伝と症状の詳細な相関関係を明らかにする事です。
ASDは多様な脳の状態(neurodiversity)として捉えられるようになっています。というのも、400-1000もの遺伝子が関連する複雑な状態で、一つとして同じ状態はないのです。ただ、こう割り切ってしまうと話が終わってしまいます。Neurodiversityを認めた上で重要なのが、本人と家族の詳しいゲノム検査に、症状や生活についてのできるだけ詳しい情報を関連づける作業です。極めて多様な状態がありますから、このような関連づけが可能になるためには最低5万家族以上のデータが必要になります。しかし言うは易く行うは難しで、コホート研究について少しでも知識があると、とてつもないプロジェクトだと尻込みしてしまいます。
SPARKも困難を理解した上で、21世紀に進む個人と個人が直接つながる(ピア・ツー・ピア)ネットワークを利用して、患者さん、主治医、研究者をつなぐことでより少ない労力でこれを実現する様々な工夫を凝らしています。
まず感心するのが、最適な構築を最初から決めることは不可能で、様々な試行錯誤を繰り返しながら発展させるしかないと割り切っている点です。多くのコホート研究では、科学性を盾に最初から計画しすぎて、計画倒れに終わることが多いように思いますが、SPARKではともかくASDの子供、家族および主治医をSPARKとネットで双方的につないでデータを蓄積するとともに、SPARKをハブとして、外部のすべての研究者とネットで結合する構造の構築を進めているようです。
次に感心するのが、このネットワークを構築するため、当然のようにゲノム検査の結果を参加者に戻すことを決めていることです。児童に関わるゲノムデータを本人や家族に戻すことは、我が国でも議論になっていると思いますが、詳しい理由は述べませんが、私はこれなしに双方向性のネット構築はないと思っています。
また、ゲノムデータの戻し方もよく計画されています。最初に調べた結果を一回きりで戻すのではなく、メンバーのデータを毎年最新の研究に基づいて解析し直し、そこで何か見つかった場合に関係する家族に連絡するという方法を採用しています。家族とSPARKが長年にわたって対話するという意味では素晴らしい方法だと思います。すでに500家族のパイロットゲノム研究が行われ、5%の家族に結果を知らせることができたようで、計画の検証も着々と行っているようです。
もちろん遺伝子解析だけではこのプロジェクトは完成しません。最も重要なのが遺伝子の違いに関連する行動などの変化を可能な限り集める事です。考えるだけで大変だと思いますが、ネットを利用して、様々な可能性が試されると期待します。事実、問診票の結果や、行動解析などSPARK拠点で集めた個人データは、ほかの人のデータおよびゲノムと関連づけた後、家族に返す仕組みになっています。これもネットワークの活動性を維持するために重要なことだと思います。
とはいえ、行動をデータ化するのは簡単なことではありません。SPARKは最初から高望みはしないという戦略で、データは時間をかけて集めればいいと割り切っているようです。例えばいくつかの決まった質問票で簡単に得られるデータを核にして、そこに主治医からのデータや、米国では患者さんと研究者をつなごうと進んでいるSync for Scienceのような外部のデータシェアサイトからもデータを集められるオープンな構造にしているようです。Sync for Scienceについてはこのレポートを読むまで、全く知りませんでしたが、我が国のこの分野の政策に関わる人にどのぐらい周知されているのでしょうか。研究者や医師と患者さんや家族の関係を根本的に見直すチャレンジですから、後追いでも、マネでもいいので、我が国でも進めてもらいたいものです。
できるだけ少ない労力でこうして立ち上げたネットワークを維持する様々な工夫も紹介されています。このために最も重要なことが、参加者に常にコミットしているという気持ちを持ってもらうことだというのは、納得です。そのため例えば、ASDについて学ぶことのできるスマートフォンプログラム、あるいは最近の注目すべき研究成果、そして何よりもSPARKから生まれた成果をスマートフォンやPCで知らせることを重視しています。
まだスタートしたばかりだと思いますが検証の目的で様々な研究を進めているようです。たとえば、ASDと診断された子供を妊娠していた時の環境暴露についてアンケート調査がすでに行われています。実際2000人近い対象に回答をお願いしたところ、なんと60%ものお母さんが妊娠時に暴露された様々な物質に対する回答を寄せており、現在のところメンバーとSPARKの対話が維持できていることを伺わせます。
現在約2万家族の登録が集まっているようですが、参加者がコミットメントする気持ちを維持するためのノウハウの蓄積も貴重です。例えば、登録の意思はあっても、必要項目を完全に書き入れ、またインフォームドコンセントを終えるのは面倒なものです。どうしても時間がかかっていたこの作業を、ユーモアたっぷりにお願いするSNSのメッセージを流す事で登録が72%まで上昇したこと、あるいは遺伝子検査のサンプル提出を抽選でiPadを提供するというプログラムで、3割から6割にアップさせたことなどが紹介されています。今後新しく計画するウェブを用いたコホート研究には本当に貴重な情報になると思います。
感想
さすが民間助成ならではの、長期的視野を持ちながら柔軟な、未来型のコホート研究だと感銘を受けました。何事も官に頼ってしまう我が国では、願うべくもない取り組みですが、ASD研究に国境はありません。SPARKから生まれる様々な成果が、我が国のASD診療にも生かされることは間違いないと思います。個人的にはシモンズ財団ウォッチを続けて、面白い話があればまた紹介したいと思っています。