今日紹介するコペンハーゲン大学、リジェネロン、そしてローザンヌ大学という国際チームからの論文は、フランスの博物館に保存されているラパ・ヌイ人のゲノム解析で、太平洋の孤島、イースター島の歴史を教えてくれる面白い研究。9月11日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient Rapanui genomes reveal resilience and pre-European contact with the Americas(古代ラパ・ヌイゲノムはヨーロッパ人が接触する前のラパ・ヌイ人とアメリカ人の接触を明らかにした)」だ。
ラパ・ヌイ人といわれてもほとんどわからないが、モアイ像で有名な巨石文化を持ったイースター島の先住民で、ゲノム解析からなんとパプアニューギニアから海を渡って移住してきた民族であることがわかっている。以前パプアニューギニア人が長い船旅をいとわず太平洋の島々に移住した歴史についてのゲノム研究を紹介したので(https://aasj.jp/news/watch/15427)、ラパ・ヌイ人が何千キロも離れたイースター島に渡ってきたことは驚きではないが、この島の歴史にはいくつかの謎が残されていた。
一つ目の謎は、イースター島の悲劇の話で、ヨーロッパ人が奴隷として人々を連れ去り、また伝染病を持ち込んで民族がほとんど絶滅の危機にさらされた悲劇が歴史的にもよく知られているが、ヨーロッパ人との接触前の人間の愚かさを示す、もう一つの悲劇の話だ。すなわち、深い森で囲まれたイースター島の木を無秩序に切り出したため、生活必需品のカヌーが作れなくなり、文明が滅びたという話で、ヨーロッパ人と接触する前のゲノムの多様性解析から人口動態を調べ、この話の検証をまず行っている。
結果は、パプア人がイースター島に移住したときから緩やかに人口は増え続けていたことを示しており、人間の愚かさを示す逸話は間違いで、ヨーロッパ人がコンタクトしたとき3000人と報告されているイースター島の人口を、勝手にヨーロッパ人が人口減少の結果だと解釈した結果といえる。
もう一つの謎は、現在のラパ・ヌイ人に見られるアメリか原住民のゲノムが、ヨーロッパ人とのコンタクト前の交雑を示すのかという謎だ。ただラパ・ヌイ人がアメリカに渡ってまた戻ってきたという伝承はあるようだ。
この研究ではポリネシア人、アメリカ先住民、そしてラパ・ヌイ人のゲノムを比べ、人種形成過程を調べている。言うまでもなく、ラパ・ヌイ人がポリネシアゲノムを中核としていることがわかる。つぎに特にアンデスのアメリカ原住民のゲノムの流入がはっきりと認められ、25-30年で世代を計算すると、1300年から1400年の間にアメリカ先住民との交雑が起こったと考えられる。
結果は以上で、これ以上のことははっきりと結論できないが、この短い間におそらくラパ・ヌイ人は南アメリカに4000kmの旅をして、そこでアメリカ人と交流し、また島に戻ってきたのではないかと結論している。
その後ヨーロッパ人が来島し、結局最大の悲劇はこれに起因するのだが、その結果闇に葬られた民族の歴史がヨーロッパに残る標本のゲノムから明らかにされるとは皮肉だ。
この短い間におそらくラパ・ヌイ人は南アメリカに4000kmの旅をして、そこでアメリカ人と交流し、また島に戻ってきたのではないかと結論している。
Imp:
コンチキ号漂流記。
古代人は想像以上に交易etcの目的で活発に交流していた可能性あり。
海・海運は重要な交通方法だったようです。