私は自閉症スペクトラム(ASD)の子供さんを診療しているわけではないので、彼らの気持ちを知るには本を読むしか方法がない。その意味で、前回紹介した東田直樹さんやIdo君の本は私の多くの間違った理解を正してくれた。
その東野さんの「跳びはねる思考」のなかに次のような一節がある。
話しかけられれば、それに答えようとする気持ちは、障害があってもなくても同じだという気がします。答えられないからこそ、尋ねて欲しいのです
出典:東田直樹著 跳びはねる思考 イースト・プレス
その一方で同じ本の冒頭には、
自閉症のぼくはいつも、視線に踊らされています。人に見られることが恐怖なのです。人は、サスような視線で僕を見るからです。
出典:東田直樹著 跳びはねる思考 イースト・プレス
そのまま理解すると、少なくとも東田さんにとって、人が話しかけて来ることは大きなストレスにならないのに、じっと見つめられるとそれは大変なストレスになっていることを意味する。このため、話しかけられることがストレスにならなくても、それに答えて会話を続けることは、東田さんにとってもとても努力が必要な作業だ。このような心のあり方を理解するためには、私達が感情と呼ぶ複雑な脳の傾向を解きほぐすことが必要になる。
たとえば少し古い論文だが、MRIを用いた脳イメージングを使ってASDの子供で、人の声を聞いたときに反応する脳領域STSと、感情に関わる脳の報酬回路の結合を調べた研究が発表されている(Abrams et al, Underconnectivity between voice-selective cortex and reward circuitry in children with autism(声に反応する皮質と報酬回路の結合が自閉症児では低下している)PNAS 110:12060, 2013)。
研究では9-10歳児の安静時にMRI検査を行い、脳内の各領域の結合性について測り、人の声に最初に反応することがわかっているSTSと呼ばれる領域(脳の側面にある最も深いシワの後方下部)と連結している領域を、ASDの子供と典型児で比べている。
この際、ASDの社会性と声に対する反応の関係が明確になるよう、発話も含めて言語能力や知能に問題がない、社会性のみが障害されている子供を集めて調べている。
しかし、社会性がひどく障害されていても、正常の知能と語能力を持つASDを集めて調べることができるとは羨ましい限りだ。
さて難しい詳細をすべて省略してこの論文の結論をまとめると、人の声に反応する左側のSTSは、ドーパミン依存性の報酬回路として知られている脳回路と結合しているが、この結合がASDでは低下している。すなわち、人の声に対して注意を向けるモチベーションが、ASDの子供では低下していることになる。
ここで、少し報酬回路について解説しておく。ドーパミンを分泌する神経は、パーキンソン病に関わる黒質と、その近くの腹側被蓋野(VT)と呼ばれる場所に存在する。このVTから出るドーパミン神経は記憶に重要な働きをする海馬とともに、感情を調整する扁桃体、モチベーションを調節している側坐核、そして感情を統合して行動する意志へと変化させる前頭前皮質へと軸索を伸ばして結合している。このネットワークが報酬回路と呼ばれ、私たちの感情を支配する中心になっている。報酬と聞くと、心地よい快感を与える回路と思ってしまうが、必ずしもそれだけではなく、脳内での経験に対してよりポジティブな感情を持たせるための回路と考えるのが適切だろう(感情の神経回路については、私がJT生命誌研究館のウェブサイトに書いたブログを参照)。
この結果は、感情の回路と人の声に対する感覚野との結合の形成障害が、社会性の障害に相関しているという重要な発見だが、この研究だけではASDの子供達は人の声をストレスとして感じているのかどうかはわからない。そもそも、この研究では人の声を聞いた時の脳の反応を調べているわけではない。人の声に対する本当の反応を調べるためには、子供に声を聞かせて、STSとともに報酬回路を形成する各領域が反応するかどうかを調べる必要がある。
2016年になって、同じグループは典型児の母親の声、および母親以外の女性の声に対する脳各領域反応をMRIで調べ、STSと同時に報酬回路も人の声に反応すること、そして報酬回路の各領域は母親の声に対してより強い反応を起こすことを明らかにしている(Abrams et al Neural circuits underlying mother’s voice perception predict social communication abilities in children(母親の声を感じる神経回路から子供の社会的能力を予測できる) PNAS 113:6295,2016)。すなわち乳児期から母親の声を区別し、より強く報酬回路に結びつけることで、自分の周りの社会のイメージを作っていることになる。
以上2編の論文は、報酬回路との機能的結合を指標にすることで、ASDの子供達が頭の中で描いている社会について理解できる可能性を示唆している。実際には、お母さんの声に対する報酬回路の反応は典型児より強いのか、弱いのか?次は、お母さんの声に対するASDの子供達の脳の反応を調べてほしい。
善も悪も全て好き嫌いの感情の結果で、人間を理解するためには感情を理解する必要があることを最初に明言したのはオランダの哲学者スピノザだが、ASDの子供達を理解する時も同じだと思う。難しい課題だが、解けない課題ではない。