Single cell transcriptome技術の発展に関わった研究者については殆どフォローしていないが、少なくともこれを可能にしたバーコード技術は、21世紀生命科学革命の大きな立役者だと思う。そして、これを利用したsingle cell transcriptome技術により、身体中の細胞の多様性と共通性が定義され、詳細なbody atlasが完成しつつある。このことは、自分が現役時代に対象にしていた組織や発生過程の研究を見るとはっきりわかる。「もしあのときこの技術があれば、苦労する必要はなかった」と思うのは、先見がなかった証拠と言える。
今日紹介するユタ大学からの論文は人間の精巣の発達をこの技術を用いて調べた研究で2月6日号のCell Stem Cellに掲載された。タイトルは「The Dynamic Transcriptional Cell Atlas of Testis Development during Human Puberty (人間の思春期での精巣発生の動的転写細胞アトラス)」だ。
研究は単純で、思春期前から思春期(7歳から14歳)に死亡した子供から精巣の提供を受け、これを従来の方法と同時に、得られた細胞のsingle cell trascriptome(SCT)を調べている。
特に熊本大学時代、樹立した抗c-Kit抗体の機能を調べるため精巣の発生についてはかなり理解しているつもりだったので、タイトルを見て「SCTで新しい発見が本当にあるのだろうか?」と懐疑的だったが、読んでSCTのパワーを改めて思い知った。
ただデータは膨大で詳細に渡るので、私が新しいと思ったことだけ列挙することにする。
- 精子分化については詳しく研究されていることから、なかなか新しい発見はないが、人間の場合、思春期前まで精原細胞からの分化がとまっていることがはっきりした。
- 精原細胞には静止期にある細胞と、分裂期にある細胞が機能的に区別されるが、今回のSCTでは区別できていない。
- これまであまり研究されてこなかったシグナルの関与が疑われる。特にアクチビンシグナルは今後研究が必要。
- 最も驚いたのは、精子形成のニッチを提供すると考えられるセルトリ細胞は、2種類のミトコンドリア活性が異なる前駆細胞が存在するが、それぞれは完全に分離しており、思春期で分化すると同じセルトリ細胞になる。
- ライディッヒ細胞は、筋肉様細胞と共通の前駆細胞に由来する
他にも、性転換希望者の精巣を用いて、思春期に起こるテストステロンの分泌がどの過程に影響するかなど詳しい結果が示されているが、詳細はいいだろう。
もちろんこれまでの研究が全く覆されるということはないが、しかし様々な新しい発見がまだまだあることがよくわかった。今後、バーコードを使った組織学で多くの遺伝子の発現を同じ組織で可視化することができれば、理解はまだまだ進化すると確信した。
Single cell transcriptome:
次元削減ソウトとして、t-SNE(なんと!深層学習ブーム火付け役ジェフリー・ヒントン先生達により開発された可視化のための機械学習アルゴリズム。最近は、より高速なUMAPが使われているそうです)。元の高次元データに様々な数理科学的操作を施して提示されるデータのようで、生物学的解釈はヒト(生命科学研究者)が行わないといけないみたいです。クラスタリング・軌道解析も可能みたいです。こんな所にも、AIの影が見え隠れする時代になったようです。