引退してから少しは頭が進化し、新しい論文を読んでもなんとかついていける様になった分野の一つがAbiogenesis、すなわち無生物から生物が誕生するまでの過程に関する研究だ。世間ではあまり大きく取り上げられることはないが、この分野の進展は著しく、実験や計算の詳細が理解できないままでも、この進歩を楽しめるところまできた。そして、Abiogenesis の条件については十分理解できたという興奮を、今やいくつかの大学院で講義させていただいている(阪大での講義はAASJチャンネルで公開中:https://www.youtube.com/watch?v=fN9PZtj_UGk&t=209s)。専門外が無謀といえば無謀だが、この分野は広い範囲にわたっており、概論ならなんとかなる。また、ほとんどの生物系学部では体系的な講義ができない。こんな事情で、ここには年寄の出る幕も残されている。
Abiogenesis分野で最も研究が進んでいるのが無機物から生命活動の材料、有機物合成過程についての研究だが、今日紹介するポーランド科学院からの論文はコンピュータの導入によりこの分野がさらに広がる可能性を示した面白い研究で9月25日号のScienceに掲載された。タイトルは「Synthetic connectivity, emergence, and self-regeneration in the network of prebiotic chemistry(生物以前の化学反応ネットワークで発生する合成ネットワーク、創発、そして自己再生)」だ。
この研究は現在知られているprebioticな化学反応と、様々な化学反応の基本ルールを学習したソフトを作成し、スタートラインの化合物が与えられると、閉じられたシステムの中で、自動的に合成される複雑な化合物を特定(全て計算で)、さらに合成物が生まれる経路を特定できる様にしている。すなわち、Abioticに可能な化学反応のシミュレーションを可能にした(ソフト自体は公開されている:https://life.allchemy.net)。
実際にはメタン、アンモニア、水、シアン化水素、窒素、硫化水素の自然に存在する化合物をスタートラインにして、閉鎖系で反応を勧めたとき合成されてくる複雑な有機物を特定し、それが生まれるまでの経路を逆算で追いかける(これはコンピュータでしかできない)ことで、有機物合成の様々な経路を探索し、もし面白い経路が見つかれば、実際に試験管内で確かめるという操作を行なっている。
詳細を省いて結論をまとめると、
- 数サイクル反応を回していくと、有機物が多く合成されるが、それでもほとんどは無機化合物が多い。ただ、無機化合物と異なり、合成された有機化合物は親水性で、熱力学的に安定しており、有機物同士の水素結合が起こりやすい構成が出来上がる。
- この反応から発生した有機化合物の中には、他の反応の触媒として働きうる化合物が多く特定できる。実際の触媒活性については、試験管内で再現できる。
- 一方向の合成だけでなく、閉じられたサイクル回路も形成される。この結果、最初のスタートラインの化合物の増産が可能で、これも試験管内で確認できる。
- 反応をさらにコンパートメントかするための閉鎖粒子を構成するための、いわば細胞膜構成要素となりうる有機化合物合成経路が明らかになり、試験管内で再現できる。
以上、詳細はわからないが、実際には見ることができないAbiogenesis過程を再現するための理論的枠組みとコンピュータの重要性がよくわかる論文だった。
ポーランドの現状を考えると、研究室はそう豊かではないだろう。その意味で、計算機の可能性を見事に示した研究で、研究資金に恵まれない研究者にとってはお手本になる様に感じる。実際、論文の出だしはきわめて高揚感に満ちており、著者らの鼓動が直接伝わる論文だった。
1:現在知られているprebioticな化学反応と、様々な化学反応の基本ルールを学習したソフトを作成する。
2:スタートラインの化合物が与えられると、閉じられたシステムの中で、自動的に合成される複雑な化合物を特定(全て計算で)する。
3:合成物が生まれる経路を特定できる様にしている。
Imp:
少し古い(2007年出版)ですが、『システム生物学がわかる』(羊土社)もあるようです。
生命現象の計算機解析=Artificial Lifeに繋がるものを感じます。
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