5月11日:ゾウリムシの自己(Natureオンライン版掲載論文)
2014年5月11日
今日は少し難しい話だが、誰でも知っている生物ゾウリムシの話だ。皆さんはゾウリムシはどれも同じだと思っているだろうが、本当は奇数(O)と偶数(E)と呼ぶ2種類が存在している。ゾウリムシで雄、雌にあたる組み合わせだ。更に驚く事にそれぞれのゾウリムシには核が二つあり、生殖核(小核),栄養核(大核)と呼ばれている。ゾウリムシが活動するために働いているのは栄養核だけで、栄養核にある遺伝子だけが転写、翻訳されている。一方生殖核は生殖時まで全く動かず、活動は抑制されている。またO,Eの区別があっても生殖核ゲノムには差がなく、栄養核が出来る時にこの差が新しく継承される。言って見れば私たちの身体の体細胞と生殖細胞の区別が、継承されるゲノムに存在するのではなく、遺伝子編集で接合の都度それぞれ独自の型を持った栄養核へとリプログラムしている。接合が起こると生殖核が活性化され、減数分裂(2つになる)し、2つの核の一つを互いに交換。交換後、2つの核を融合。そして出来た新しい生殖核から新しい栄養核の形成と古い栄養核の消去。この過程で遺伝子編集を行うという複雑な過程が進む。あまり研究者はいないのではと思われるだろうが、ゲノム解析が容易になった事で急速に研究が進んでいる生物だ。今日紹介する研究は先ず、E,Oの区別が接合後も片方の細胞だけに継承されるメカニズムを明らかにしようと試みたフランスからの研究で、Nature オンライン版に掲載された所だ。タイトルは「Genome-defence small RNA exapted for epigenetic mating-type inheritance(ゲノムを守るためのsmall RNAは接合タイプのエピジェネティックな継承にも流用されている)」だ。研究では先ずE型でだけ発現している遺伝子mtAを特定し、これらの遺伝子をきっかけに、なぜ接合後、片方がE、もう片方がOになるメカニズムを追求している。詳しい実験は省いて最終結果だけを紹介しておく。先ずこmtAはE型個体の繊毛に発現されており、O型だけを選んで接合するための必須分子だ。E型だけにmtAが発現している事は、当然栄養核の遺伝子の違いを反映している。即ちE型だけでmtA遺伝子の転写が起こっている。ではなぜE型でだけで転写が起こるのか。調べてみると、転写を指令する遺伝子部分(プロモーターと呼ぶ)がE型では正常なのに、O型ではプロモーター部分の特定部分が除去されてしまって機能しない事がわかった。ではなぜこの差が生まれるのか。実はゾウリムシの生殖核には栄養核にはない短い配列が何万も存在している。一部は生殖核の活動を押さえるために存在する生理的な配列で、残りはトランスポゾンと呼ばれる機能のない動く遺伝子だ。この挿入配列のため正常の遺伝子がズタズタに中断されており、そのままでは遺伝子が機能せず転写が起こらない。そのため生殖核から栄養核が出来るとき正確に一つ残らず削除される。このとき栄養核に必要な部分とそうでない部分を決め、介在配列を除去するために極めて巧妙なメカニズムが働いている。まず接合が起こると生殖核から全ゲノムをカバーする短いRNAが転写される。つぎにこのRNAは栄養核のDNAと反応し、結合するRNAは古い栄養核とともに全て取り除かれる。この引き算の結果栄養核に必要でない部分のRNAだけが残るが、この残ったRNAが今度は生殖核が栄養核になる時生殖核由来のDNAと反応し、反応部分を除去する。これにより、生殖核ゲノムから栄養核に必要な配列以外は全て正確に排除される。ゾウリムシで自己を決めているのは栄養核の遺伝子で、生殖核の遺伝子はこの編集過程を経て前の栄養核と同じ自己遺伝子だけを発現するようになる。このメカニズムを、生殖核ゲノムを交換した後も、E型はE型、O型はO型だけになるために使う。即ち、生殖核のmtA遺伝子のプロモーターの端にある短い介在配列がE型では自己(栄養核にある)として認識され除去されないが、O型では他(栄養核にない)と認識され除去される。結果、生殖核の遺伝子配列は同じでも、E型ではmtA遺伝子のプロモーターが長いまま、O型では機能のない短いプロモーターが常に自己として栄養核に再生産される。このようにゲノムは同じでも、異なる遺伝子の発現パターンを安定に継承するためのメカニズムなので、この論文は「エピジェネティックな継承と」タイトルをつけている。生物の多様性に本当に感心する。しかし、私の説明ではチンプンカンプンだと立腹されている読者を感じる。生命のメカニズムを知るためには、かなりの予備知識が必要な事も多い。是非リケジョのメンバーにゆっくり話して見たいテーマだ。