最近交差点の信号の色が、緑から青に変わってしまったように思う。おそらくLEDで発生しやすい波長を使うようになった結果だと思うが、日常会話では「青信号」と言っても「緑信号」とは言わないので、言葉と現実が一致してきたと言えるのかもしれない。
実際、緑と青の区別は難しい。夏木々の緑が深まったとき、私たちは「緑緑した」という代わりに「青々した」と表現する。野菜だって「緑もの」とは言わず、「青もの」と表現している。この不思議をじかで感じるのが白内障だ。ちょうど一年前、両眼の白内障の手術を受け、人工レンズに入れ替えたが、手術以前の世界が全て黄色の色素で染められていたことに気づいた。すなわち白が黄色がかって、そして青が緑がかって見えていた。結局、緑と青の区別は絶対的ではない。
今日紹介するフランス・リヨン大学からの論文は、青と緑の実際の色の区別と、それを表現する言葉について、相関を調べた論文で、研究としては小ネタといえるかもしれないが、楽しく納得できる研究で、9月27日Scientific Reportsに掲載されている。タイトルは「Environment and culture shape both the colour lexicon and the genetics of colour perception(環境と文化が色についての語彙と、色認識の遺伝に関わる)」だ。
以前から、語彙上で青と緑の区別が存在しない言語があることが知られていたようだ。特に、赤道直下や北極圏によく見られることから、おそらく紫外線への暴露と関係があるのではと考えられてきたようだ。すなわち、一種の白内障状態が起こって、黄色の色素が青の認識を邪魔しているというわけだ。ただ、言語自体、その土地で純粋に生まれたかどうかは、歴史をたどって調べる必要があり、また民族間の交流でも変化する。もう一つ重要なのは、青と緑を区別する必要がある環境かどうかも問題だ。
この研究では、32種類の言語系統に属する142の集団で、UVだけでなく様々な要因を調べ、青と緑が区別されない言語の条件を調べている。
様々な条件と区別の有り無しとの相関係数を計算した結果、緯度(=紫外線照射)とともに、青の表現が当てはまる湖からの距離、に加えて、言語を利用する集団の大きさ、そして気候(特に湿度)が、語彙上での青と緑の区別に関わることを明らかにしている。そして、これらの相関を集めることで、ほぼ正確にその言語に青と緑の区別があるかを予想できることも示している。
この研究ではさらに進んで、紫外線のような環境が、色覚の多様性を抑えることで、遺伝的な色覚異常と相関するかまで調べ、青と緑を区別しない民族では、色覚異常が少ない点にまで言及しているが、個人的には行き過ぎで、このままだといい論文にはならないように思う。
とはいえ、青と緑について、自分の経験も含めて考えることができた。
色覚。。。かなり曖昧な感覚のようです。
波長で客観的に名付けるのがよさそうです。