アフリカでホモサピエンスが生まれたことに異論を唱える人はいない。ただ、様々なホミニンが存在していたと考えられるアフリカで、最終的にユーラシアに移動したホモサピエンスが形成されたのかはほとんど分かっていない。というのも、ホモサピエンスが生まれたアフリカ内ですら、ユーラシア移動前のホモサピエンスの化石は数えるしかない。
この中で最も古いと言われているのがモロッコIrhoudで発見された約30万年前の化石で、それに続いてやはり30万年前後のケニアEliye Springの化石が存在し、これから30万年前にはホモサピエンスがアフリカ中に広がっていたと結論されている。ただ問題は、発見された骨は完全で無いため、これが本当にホモサピエンスかどうかも議論が続いている。これらに対し、1966年にエチオピアOmo Kibishで発見された化石は、頭蓋の形態から異論が無いという意味で、現在も最も古いホモサピエンスを代表している。
以上、おそらく現代型のホモサピエンスの前に、初期段階の様々な形態が存在し、これらはネアンデルタール、デニソーワ、そしておそらくハイデルベルグ原人などから70万年前ぐらいに分かれたと考えられている。
今日紹介する英国ケンブリッジ大学からの論文は、確実にホモサピエンスと誰もが認める化石が出土したOmoKibishの地層を再検討し、これら初期ホモサピエンスが生きていた時代を20万年前と特定した研究で、1月12日、Natureにオンライン掲載された。タイトルは「Age of the oldest known Homo sapiens from eastern Africa(知られている最も古い東部アフリカのホモサピエンスの時代検定)」だ。
タイトルから、モロッコやケニア出土の化石はまだホモサピエンスと認めないぞといったニュアンスが感じられるが、いずれにせよ、Omo Kibish出土の化石の時代考証は今も議論が続いているようだ。
エチオピアの化石は800kmほど離れた場所から発見されており、発見された地層の岩石に中性子を照射、新しく生成したアルゴン39と、天然の崩壊で出来るアルゴン40を比較して行う年代測定から、それぞれ19.7万年、16万年と算定されていた。
この化石の年代測定の鍵を握るのが、近くのShala湖カルデラの噴火により各地に降り積もった火山灰を、地質学的に相関させる作業で、この研究では大噴火で形成された、様々な土地の地層と、Kibish化石のすぐ上にある軽石地層との相関を決めることに成功している。そして、この噴火による軽石地層から大きさをそろえたガラスクリスタルを調整し、アルゴン法による年代測定で、Kibish化石の年代は、これまで言われていたより3万年ほど古い、23.3万年前と結論している。
以上の結果から、Omo I、IIとひとくくりで扱ってきたエチオピアの化石は、23.3万年前のKibish化石と、16万年前の新しいHerto化石として扱うべきと結論している。
実際には、完全に地質学の研究で、アフリカホモサピエンス形成過程を調べることが、多くの分野が統合されて初めて可能になる大事業かを認識させる研究だった。
Omo I,IIとひとくくりで扱ってきたエチオピアの化石は、23.3万年前のKibish化石と16万年前の新しいHerto化石として扱うべきと結論した。
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地質学研究の切り口も新鮮です。