地球上の生物は全てセントラルドグマの上に存在しているが、できあがった生命システムをみると、最も単純なものでも、それが無生物からどう発生してきたのか頭の中に描くことは難しい。幸いRNAワールドに必要な化学過程の研究により、有機化合物の合成からシステム化された有機体が形成されるところまでは想像がつくようになってきたが、その後に控える最も大きな壁、すなわちアミノ酸から出来たペプチド合成過程がRNAワールドに導入される過程を説明する課題が立ちはだかる。これを説明するためには、現在ペプチド合成が起こっているリボゾームの成り立ちと、アミノ酸とコドンとがどのようにtRNAで合体したのかを説明する必要がある。
今日紹介するミュンヘン大学からの論文はリボゾーム RNA がなくても、現存の tRNA に残っている構造をベースにペプチド合成は化学的に可能であることを示した研究で、無生物から生命が誕生する過程の研究領域では、大きなブレークスルーではないかと思える、大興奮の研究だ。タイトルは「A prebiotically plausible scenario of an RNA–peptide world(十分な可能性がある、生物存在以前のRNA-ペプチドワールド)」だ。
この研究では、現存の tRNA が安定化のために受けている様々な修飾に注目し、特に mRNA と結合するアンチコドンが存在するステムループの34番目、37番目の RNA の修飾が、アミノ酸重合を可能するのではと着想した。すなわち、37番目には既にアミノ酸が修飾として結合しているし、34番目のウリジンにはアミノ酸が結合できるように修飾されている。そして、2つの tRNA が接近することで、アミノ酸結合が起こるのではと考えた。
凡人は、元々アミノ酸が結合するように出来ている3’ サイトに注目してペプチド合成を構想しようとするが、アンチコドンのステムループの修飾に注目したこと自体に、RNA を知り尽くした専門家の目を感じる。調べてみると、この部位に見られるような修飾やアミノ酸の結合が、RNA ワールドで起こることを、このグループは以前に証明している。
おそらくこの着想が研究の全てで、後は実際にこのような反応でアミノ酸重合が試験管内で起こるのか、プロの有機化学者にとっては実験を計画することはそう難しくないのだろう。
34番目のメチルアミノメチルウリジン及び37番目のアミノ酸で修飾されたアデノシンをそれぞれ5’ 端末、3’ 端末に結合させた短い RNA を、それぞれアミノ酸を受ける側、アミノ酸を供与する側として合成し、両者が相補的 RNA でハイブリダイズするようにすると、アミノ酸は受け側の34番目のウリジン側に移転できる。そして、同じ反応を利用して受け側のアミノ酸を、供与側を順番に供給することで、ペプチド鎖を伸ばしていけることを実際の反応として示している。専門でない人には想像しにくいと思うが、要するに tRNA のほんの一部を用いるだけで、RNA の相補性を化学反応の一部として利用して、アミノ酸の伸長が可能になる。
こうしてできた短いペプチド鎖同士も、同じ反応を利用して重合させることが出来るし、RNA の断端以外に存在するアミノ酸とも重合反応が現実に起こせることを見事に示している。要するに、RNA だけで、アミノ酸重合結合が酵素なしに起こること、また酵素の役割を、RNAの相補性が担っていることを見事に証明し、RNA ワールドとペプチド世界を導入することに成功している。
この研究では議論されていないが、この論文を読んでいて1983年、Blochらが大腸菌のリボゾーム RNA には tRNA の配列が散在していることを発表している論文を思い出した。
すなわち、tRNA もリボゾーム RNA も、この論文で提案されたメカニズムを効率化し、さらにはコドンとアミノ酸というシンボル関係を発生させるために進化してきたと考えても良さそうだ。この分野の研究者でなくても、是非多くの人に読んでもらいたい論文だ。
今年も大学院生に対して無生物から生命誕生の講義を行う予定だが、この大きなジャンプのおかげで、今年は面白くなるぞと意気込んでいる。