今日紹介する論文は、deep learningに物理法則を組み入れることの重要性を様々な例で論じた総説で、Nature Machine Intelligence にオンライン掲載された。この分野は全くの素人なので、今日は論文の解説というより、この総説を自分の理解の範囲で読んでいくうちに感じた感想を書くことにしたので、お許しいただきたい。
まず簡単にこの総説を紹介すると、deep learningでは原理的に物理法則とは無関係だが、実際には様々な形で物理法則を取り入れる方法があり、それにより新しいAIが現実に生まれているという話だ。特に自動操縦や、動きのシミュレーションなどは、物理法則をdeep learningと合体させて成功を収めており、おそらくGPSが妨害されてもミサイルが命中するのもこの例だと思う。この総説ではこういった例から、deep learningが物理法則を取り入れる状況や、その方法、そして取り入れた例を紹介している。
以上のように内容を紹介すると、あまりにそっけなく申し訳ない気になるが、私のような素人でも面白いと思ったのでぜひ読んでほしい。特に著者が総説の最後に、経験のみをベースにしたdata driven AIも物理法則を取り入れることで、作った人間にも理解できない形で物理法則を組み入れた知性を示すようになるのではないか、と書いている点に妙に納得してしまった。というのも、現在の大規模言語モデルは間違いなく私たちが習った文法とは無関係に文章を作っているが、読んでいる我々からみるとAI内部で独自の文法が発生しているように見えるのと似ている。そんなことを考え出すと、岡崎さんとのChatGPTからヒントを得た実験哲学の可能性を議論に頭が引き戻された。
ジャーナルクラブでは、ChatGPTのように「言語ゲーム(ヴィトゲンシュタイン)」による経験のみで生まれる知性や理性とは何かを議論した。ChatGPTの成功は、「言語による経験」の偉大さを改めて教えてくれるが、ヒュームの経験論を読んでカントが感じた「経験だけで生まれない知性や理性がある」という感覚と同じで、例えば計算や、構造化された概念(カテゴリー)を参照する一種の判断ができないことを、以前紹介したWolframさんの本は指摘している。そしてWolframさんは現在のAIをさらに「人間に近づけるため(語弊を恐れずこの表現を使っている)」、WolframさんのWolfram/alphaとGPT-4を統合する試みを始めているという。こうして生まれるAIが我々人間とどれほど似ているのか、考えるだけで興奮する。
このように現在のAIの可能性を学べば学ぶほど、偉大な哲学者たちが思考実験から導いた様々な概念を、AIという形で実際に実験的に確かめられるようになったと実感する。現在メディアや識者の生成AIに対する議論を見ると、効率の面で我々の社会を大きく変革させることを認めた上で、人間の知性や理性と異なる点が強調され過ぎているように思える。
しかし現在の科学も人間の知性や理性についてはほとんど理解できていないし、哲学者の思考実験が正しいかどうかわかるはずはない。そう考えると、AIを通して知性や理性について様々な実験を、様々なスケールでシミュレーションできることは、全く異なる可能性を生んでいることを示している。
すでに述べたが、「言語ゲームによる経験」だけで生まれる知性や理性とは何かがChatGPTにより示されている。人間の知性や理性と比べてこの限界を指摘することは容易い。しかし限界がChatGPTの持つloss of functionであれば、それをgainする方法を考えていくのが科学だ。このloss of functionを埋める試みが先に述べたWolfram/alphaとGPTの統合だし、他にも様々なアプローチがあるだろう。
こう考えていくと、物理法則とAIの統合問題も、予想確率が上昇するといった改善のみならず、哲学的にも面白い実験を可能にしてくれる。例えば、言語ゲームによる経験の限界を調べる実験だ。私たちは、見て、聞いて、触って、常に物理法則に従う経験を繰り返している。海馬にあるグリッド細胞などはまさにこの外界を反映した神経機能と言える。その意味で、見て、聞いて、触って得られる経験の学習を「言語ゲーム」による経験と組み合わせたり、あるいは比較したりする実験が可能になる。カントの「物自体」の概念や現象論などもこのような実験から検証できるのではないだろうか。
すなわち、言語ゲームから生まれた知性が、画像や音を経験することで、言語ゲームだけでは達成できない知性が得られたとすると、人間の脳の理解が飛躍的に進むことは間違いない。しかもこれらの課題は、multimodalなAIとして開発が進んでいる。しかしこのような開発は、役にたつだけでなく人間についての基礎的な理解をめざす科学の方法となりうるのだ。
生命科学の歴史を振り返ってみると、ガリレオにより科学という新しい方法が世界の理解に提案され、その結果生まれたニュートン力学を、生命に適用しようとする自然史運動が起こった。しかしこの運動は、最終的に物理だけで生命は説明できないという考えでおわる。この結果、生命は科学の対象でないという間違った理念を産んでしまったが、そこに19世紀ダーウィンが登場し、進化論すなわち物理法則とは全く異なるアルゴリズムを導入することで生物の特徴を科学的に説明できることが明らかになった。
そして20世紀、やはり物理法則とは異なる因果性の科学、すなわち情報科学が進み、今や生命科学は情報とアルゴリズムの学問と言っても過言でないところに来た。こう考えると、迎えた21世紀前半がAIの世紀になっていることは、私には生命科学の歴史の必然に思える。
そんなことをこの総説を読んで考えた。
1:偉大な哲学者たちが思考実験から導いた様々な概念を、AIという形で実際に実験的に確かめられるようになったと実感する。
2:AIを通して知性や理性について様々な実験を、様々なスケールでシミュレーションでき、全く異なる可能性を生んでいることを示している。
Imp:
AIはバイオコンピューターヒトの反射鏡。
”数学”の生命科学的側面の重要性がクローズアップされてくるのではないかとも感じています。
日経サイエンス 8月号 2023年
https://www.nikkei-science.com/202308_027.html