骨髄幹細胞の遺伝子治療は症例数も増えていると思うが、CRISPR/Casによる遺伝子編集が登場してから、ヘモグロビンの遺伝子変異による鎌形赤血球症の治療が一つの焦点になっている。現在治療として試みられている方法の一つは、変異ヘモグロビンの代わりに、成体では抑えられている胎児型ヘモグロビンを作らせる方法で、抑制に関わるBCL11Aをノックアウトする方法だが、もう一つは変異自体を組み換えやデアミナーゼを用いて正常化する方法で、どちらもおそらく臨床治験まで進んでいる。
ただ、どちらの場合も遺伝子編集は体外に取り出した骨髄幹細胞に対して行われるため、自分の細胞でももう一度身体に戻すためには、既に存在する骨髄幹細胞を減らしてニッチを開けるため、骨髄アブレーションと呼ばれる処理が必要となる。
今日紹介するペンシルバニア大学からの論文は、生体内の骨髄細胞に直接働きかけて遺伝子編集を可能にする方法の開発で、7月28日号の Science に掲載された。タイトルは「In vivo hematopoietic stem cell modification by mRNA delivery(mRNAを直接体内の血液幹細胞に届けて遺伝子改変を行う)」だ。
この研究では、RNAワクチンで一般の人も広く知る様になったリピッドナノ粒子(LNP)に、血液幹細胞に発現しているc-Kitに対する抗体を発現させ、直接骨髄幹細胞へ遺伝子を届ける方法を検討している。
LNPに抗体などを発現させて特定の細胞へ遺伝子を運ばせる方法は様々な研究機関で開発が行われており、実際この論文を見たとき、逆に何を今更と思ったほどだ。自己再生能力のある骨髄幹細胞は全てc-Kitを発現していることから、標的としては最適で、とっくに試みられていると思っていた。
この研究では、このテクノロジーを、一つは直接骨髄幹細胞の遺伝子編集を行い鎌形赤血球を治療するため、もう一つは放射線や抗ガン剤による骨髄アブレーションをせずに、骨髄幹細胞を傷害してニッチを開ける方法に使えるか検討している。
まず期待通り、c-Kitに対する抗体を発現させたLNPの効果は抜群で、試験管内ではほぼ全ての幹細胞に遺伝子導入が可能で、導入された幹細胞は移植されたマウスの中で長期に造血を維持できる。
また、LNP自体がマクロファージに取り込まれるため、肝臓や肺に多くがトラップされる問題はあるが、抗体を発現させたLNPは骨髄まで届き、静脈注射するだけで6割を超える血液細胞でCre-分子による遺伝子改変が可能になっている。
次に、試験管内で人間の鎌形赤血球骨髄幹細胞の遺伝子編集が可能か、Cas9にデアミナーゼの活性を付与した遺伝子編集法を用いて、特定の部位の塩基を変化(アデニンからグアニンへと代える)させ、正常ヘモグロビンに代える実験を行い、これもほぼ100%編集が可能であることを示している。ただ、モデルマウスを用いて生体内で高率を調べる実験は行われていない。
同じc-Kit抗体LNPで生体内の骨髄幹細胞を特異的に傷害できるか調べるのがもう一つの目的で、骨髄幹細胞の生存に必要なMCL-1を抑制するPUMA分子をLNPに詰めて注射している。ただ、この実験では肝臓や肺に対する毒性のために、どうしても量を減らす必要があり、処理動物に移植した細胞は5−10%の割合にとどまり、現状では利用は難しそうだ。
以上が結果で、なぜこれまで調べられなかったのかが不思議なくらい、遺伝子デリバリーとしては優れていると思う。ただ、骨髄アブレーションの実験に関しては、より骨髄幹細胞特異的分子を探索する必要があるが、他の細胞に毒性がない分子が見つかればこれも期待できると思う。
リピッドナノ粒子(LNP)に、血液幹細胞に発現しているc-Kitに対する抗体を発現させ、直接骨髄幹細胞へ遺伝子を届ける方法を検討。
Imp:
(生理的状態)
成人ヘモグロビン=αグロブリン×2+βグロブリン×2
胎児ヘモグロビン(約85%)=αグロブリン×2+γグロブリン×2
BCL11A遺伝子が出生直後発動しγグロブリン遺伝子発現をストップする。
(治療戦略)
BCL11A遺伝子をゲノム編集で取り除き胎児型ヘモグロビンの産生を維持させる。
⇒(生理的状態)は医師国家試験でも問われる知識。
遺伝子治療という新たな道具の誕生で、単なる知識が、治療戦略の源泉へと変貌する。
『日経サイエンス』2023年4月号『遺伝子を修復し病気を治す』