理研には後藤さん率いる創薬プロジェクトがある。化学から生物まで専門家が集まって、アカデミアの成果を薬剤開発につなげる事が目的だ。このチームには、普通医学部には見かけない、有機化学の専門家がいて、どうすれば化学化合物が薬剤として鍛え上げられるかを教えてくれる。一緒に仕事をしていると、抽象的な化学式が頭の中では実体としてイメージできる人だと良くわかる。また実際の創薬が、この様なメディシナルケミストと呼ばれる人なしでは決して進まない事も良くわかる。この薬を「鍛え上げる」と言う実感を教えてくれるのが今日紹介するロンドンのインペリアルカレッジとイタリアの国立研究所からの論文で、10月13日発行のCancer Cell誌に掲載されている。タイトルは「Cancer-selective targeting of the NF-κB survival pathway with GADD45β/MKK7 inhibitors(GADD45β/MKK7阻害剤でNF-κBを介する生存シグナルを標的としてガンを特異的に制圧する)」だ。この研究の標的は現在も治療が困難な多発性骨髄腫だ。この腫瘍の多くはその生存がNF-κBシグナル分子に依存している事がわかっている。しかし、NF-κBは身体の様々な細胞で重要な機能を担っており、薬剤が開発されても副作用が強いと予想される。このためNF-κBの上流で働いている分子に対する薬剤がこれまでも開発され、特に免疫疾患には使われ始めている。この研究では逆にNF-κBの下流の分子過程を標的にがん特異的な薬剤が作れないかが試みられている。まず多発性骨髄腫でこの分子の下流で細胞の生存に関わる一連の分子過程を、NF-κB 活性化によるGADD45β発現、GADD45βによるMKK7抑制、MKK7抑制によるJNK活性の抑制、その結果としての細胞死の抑制と特定した。次にまず試験管内でGADD45βとMKK7の結合を阻害する分子をスクリーニングしている。おそらく他のライブラリーも調べたのだろうが、GADD45βとMKK7の結合阻害活性がヒットして来たのがこの研究では4つのアミノ酸をランダムに重合させたテトラペプチドライブラリーの中の2化合物だった。ただ、このままの形では血中の蛋白分解酵素ですぐ分解される。そこで先ず鍛え上げ第一弾として、アミノ酸を私たちが使っているL型からD型に変換する。すると運良く、阻害活性はそのままの分解されにくい阻害剤に変換できた。鍛え上げ第2弾は、細胞内への透過性を上げる事で、これをアセチル化されたペプチドをベンジルオキシカルボニル基に変える事で達成している。この分子が確かに細胞内に入り骨髄腫細胞を殺す事を確認した上で、鍛え上げの仕上げは計算機による活性部位の構造計算に基づく最適化過程で、これによりDTP3と言う分子が出来上がった。モデル実験系で示されたデータは素晴らしい。DTP3は骨髄腫特異的に細胞死を誘導し、ほとんど正常細胞に影響がない。それもそのはず、GADD45β遺伝子が欠損したマウスも普通に生まれ、寿命を全うするため、正常細胞でこの分子の機能はそれほど重要でない。免疫系細胞の中にはGADD45βを使う細胞もあるが、この場合結合の相手はMKK7ではない。このおかげで、ヒト骨髄腫細胞を接種したマウスに投与すると、腫瘍を完全に消滅させられる。更に、水に解け易く、薬剤として大きく期待が持てると言う結論だ。ヒトに対する効果についてはこれからだろうが、いずれにせよ創薬には薬を鍛え上げて行くと言うプロセスが重要で、これのわかるメディシナルケミストを始め様々な専門家が協力して初めて可能である事が良くわかる論文だ。勿論、多発性骨髄腫細胞には特効薬がまだない。細胞死を誘導するDTP3は、メカニズム的にも根治につながるかもしれないと期待する。今後も注目して紹介して行こうと思っている。