遺伝子操作技術とともに発生学は大きな変革を遂げ、私も現役時代この進展を目の当たりにしてきた。しかし、遺伝子操作は人間にはほぼ利用できないため、モデル動物でわかったことを、発生後、あるいは胎児脳の解析により再確認する作業が必要になる。この作業は簡単ではなかったが、このギャップを埋めるため、iPS細胞など多能性幹細胞からの分化培養を使えるようになり、さらに single cell レベルのゲノム解析技術が人間についての研究を大きく進展させてきた。
今日紹介するカリフォルニア大学サンディエゴ校からの論文は、これらの新しいテクノロジーに、ゲノムシークエンシングで特定できる体細胞突然変異を組み合わせることで、脳に分布する各細胞の系譜を明らかにしようとした研究で、4月10日 Nature オンライン掲載された。タイトルは「Cell-type-resolved mosaicism reveals clonal dynamics of the human forebrain(細胞レベルで調べたモザイク性を用いて人間の前頭葉の神経細胞動態が明らかになった)」だ。
発生過程では細胞増殖が繰り返されるため、細胞内に突然変異が蓄積しやすい。変異は原則ランダムに起こるので、特定の変異を用いてその細胞に由来する子孫を定義することができる。すなわちすでにできあがった脳に存在する各神経細胞の由来を定義できる。このためには、まず系譜を特定できる突然変異を探索する必要がある。
この研究ではDNAの保存状態がいい2人の保存死後脳各部分を集めて、300回を超える全ゲノム解析を行い、それぞれ287、789種類の変異が系譜の印として利用できることを特定している。
次いで、この系譜特定変異を、同じ組織からマーカー発現により分類した興奮神経細胞と、3種類(DLX1、TBR1、COUPTFII をそれぞれ発現する)抑制性神経に分けて、そこから増幅した DNA での系譜標識遺伝子を元に、各細胞の系譜関係を明らかにしている。また、実験によっては single cell レベルで、DNA と RNA を別々に解析し、細胞の種類を確認した DNA を用いて系譜関係を調べている。
簡単に述べてしまったが、それぞれのステップでの方法論だけでなく、ゲノム解析から標識遺伝子を元に系譜を作成するための深層学習モデル作成など、大変な実験だ。
もちろんすべての細胞の系譜を調べることはできないので、数百個の十分なデータがそろった細胞について、系譜解析を行っている。結果については以下に箇条書きでまとめる。
- 興奮神経は脳が形成されている過程で、ラディアルグリアと呼ばれる幹細胞から局所で形成されていることが知られている。事実、それぞれの領域での興奮神経細胞は同じ系譜に属することがわかるが、海馬の興奮神経細胞は、他の領域の興奮神経細胞から分離しており、発生の早い時期に運命が決定されている。
- 抑制神経ではこれまで終脳腹側幹細胞が移動してくると考えられていたが、興奮神経とともに脳背側、局所で発生するポピュレーションが存在している。これらは背側新皮質由来で、興奮神経と同じ由来で、それぞれ分化した後、それぞれの系列の子孫を作る。興奮神経と比べると、抑制精神系は局所でもより広い範囲へ分布できる。
- 背側由来の幹細胞は、前後軸に沿って移動して、そこで興奮神経と抑制性神経を発生させる幹細胞へ分化する。
- 大体6割ぐらいの抑制性神経が終脳腹側から移動して形成される。この中で、DLX1 陽性細胞とTBR1 陽性細胞は系譜が重複するが、CPUPTFII は別の系譜で、同じ幹細胞由来の子孫が皮質に広く広がっている。
以上が重要な結果で、マウスとは異なり、抑制精神系のかなりの部分が終脳腹側ではなく、興奮神経にも分化できる幹細胞が移動してきた局所で分化して発生することは、ヒトでの研究の重要性がよくわかる。それでもヒトで調べるのは大変なコストと労力が必要なのは間違いない。
抑制精神系のかなりの部分が終脳腹側ではなく、興奮神経にも分化できる幹細胞が移動してきた局所で分化して発生する
Imp:
抑制・興奮共に幹細胞から分化する