PI3K は様々なガンの増殖に重要な働きをしていることが知られており、当然副作用が予想されるものの、乳ガンでは使用が始まっている。ただ、治療の方法が限られ予後が悪いトリプルネガティブ乳ガンでは PI3K 依存度が低いとされている。今日紹介するハーバード大学からの論文は、このイメージを覆し、トリプルネガティブ乳ガンでも PI3K のさらに下流にある AKT を標的にし、細胞の分化を促す阻害剤と組み合わせることで、殺すことができることを示した面白い論文で、10月9日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「AKT and EZH2 inhibitors kill TNBCs by hijacking mechanisms of involution(AKT と EZH2 阻害剤の併用は乳腺退縮経路をハイジャックしてトリプルネガティブ乳ガンを殺す)」だ。
EZH2 はポリコム遺伝子の一つでヒストンを抑制型にメチル化する酵素で、細胞の分化特性を決定している。この研究の結論は、EZH2 阻害剤で分化のエピジェネティックプログラムを変化させ、そこに PI3K シグナル下流の AKT 阻害剤を組み合わせると、さすがのトリプルネガティブ乳ガンも殺されるということだが、このときの細胞が死ぬまでの過程を克明に調べた点が最も面白い。
まず実際の臨床サンプルも含めてトリプルネガティブ乳ガン細胞の多くが EZH2 阻害剤、AKT 阻害剤の単独ではほとんど変化ないにもかかわらず、両方を併用すると死んでしまうことを確認した上で、阻害剤による転写の変化を調べ、両方の阻害剤が存在するときだけ GATA3 や ELF3 のような乳腺上皮への分化に必要な遺伝子が発現し、それまで間質細胞様形態をとっていたトリプルネガティブ乳ガンが乳腺上皮型に変化することを明らかにする。
一般的に EZH2 阻害によって細胞分化が変化するので、それだけで十分かと思うが、実際には AKT 阻害も必要になる。この原因を探っていくと、乳腺上皮への分化に必要な GATA3 のクロマチン構造が EZH2 阻害剤でオープンになるものの、この部位に結合して GATA3 遺伝子発現を誘導する FOXO1 が AKT によりリン酸化されていると、核内に移行せず、GATA3 の発現が抑制されたままになること、そして AKT 阻害によりこの抑制が外れ始めて GATA3 が誘導され、乳腺上皮型へと分化することを明らかにする。
次に、分化した細胞がどうして死んでしまうのかということのメカニズムを解析し、両方の阻害剤が存在すると、正常過程で乳腺が退縮するときに細胞死を誘導する BMF が発現し、細胞死が誘導されることを発見する。この過程をさらに探ると、EZH 阻害と AKT 阻害で、通常の乳腺退縮時に使われるシグナル、すなわち IL-6、JAK1、STAT3 シグナルが活性化し、BMF を誘導して細胞死を誘導していることがわかる。
最後になぜ EZH2 と AKT 阻害でこの経路が動くかをさらに探ると、おそらく EZH2 阻害により抑制が外れたレトロトランスポゾンが、細胞内炎症システム STING-TBK1 を活性化し、IL-6 を誘導する可能性を示している。この結果を受けて、両方の阻害剤が効かなかったトリプルネガティブ乳ガンに GATA3 遺伝子を過剰発現させ、STING を刺激してやると、EZH2 と AKT 阻害剤で殺せることを明らかにしている。
結果は以上で、細胞の分化は極めて複雑に調節され、それを完全に解明することで、ガンを正常の分化経路に乗せて殺すことが出来ることを示した重要な研究だ。これまで、白血病を分化させて抑える研究が広く行われてきたが、この研究によって、例えば卵巣ガンや前立腺ガンの悪性型も同じように制御できる可能性が生まれたと思う。
両方の阻害剤が存在するときだけGATA3やELF3のような乳腺上皮への分化に必要な遺伝子が発現し、それまで間質細胞様形態をとっていたトリプルネガティブ乳ガンが乳腺上皮型に変化する!
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分化誘導療法!