我が国でも魏志倭人伝に書かれた卑弥呼のように、女性が社会的に高い地位を占めていたこともあるようだが、残念ながらそれを支える社会についての記述がほとんど得られないため、一般的に女性の強い社会が存在したのかどうかほとんどわかっていない。
一方、ギリシャ神話のアマゾネスのモデルになった中央アジアでは女性が戦士として闘った記録がある。さらに明確な記録として残っているのはローマ時代のケルトの女性で、財産相続権を持ち離婚や再婚の自由もあったこと、さらに場合によりアマゾネスのような戦士としてローマと闘ったことが書かれている。
ケルト人は、アイルランドから英国南部、さらには一部ヨーロッパにも分布していたが、今日紹介するダブリン・Trinity College からの論文は、南イングランド領域のケルト人の墓に埋葬された人たちのゲノム解析から、家族構成や大陸民族との交流について調べ、少なくとも英国のケルトが女系社会であったことを突き止めた研究で、1月15日 Nature にオンライン掲載された。タイトルは「Continental influx and pervasive matrilocality in Iron Age Britain(鉄器時代の英国の大陸からの影響と広く分布する母系社会)」だ。
この研究ではまず南イングランド Winterborn Kingston (WBK) 地域の後期鉄器時代の墓地から出土した55体の骨の DNA を解析している。実際には40体で十分な解読ができている。その結果、極めて希なミトコンドリア型が 2/3 の人たちに見られる一方で、Y染色体は極めて多様化していることがわかった。すなわち、この地域では女性の系統が限られている一方、男性は多様な系統が存在していることで、女性は地域に残り、男性が様々な地域から夫としてやってくる典型的母系社会が形成されていることがわかった。
ただ、女性だけの村に、男性が通ってくるタイプの母系社会ではなく、外から夫を迎え家族を形成する母系社会が形成されていることがわかった。まさに、ローマ時代の記録の正確性を物語っている。
母系社会では母親のゲノム多様性が低下するが、これは母親から受け継ぐミトコンドリアゲノムの多様性に反映される。そこでこれを指標として様々な時代の英国のミトコンドリア多様性を調べると、青銅器時代までは多様性が維持されていたのに、鉄器時代に入って急速に多様性が消失しているのがわかり、おそらく英国の広い範囲で同じような母系社会が形成されていたことがわかる。
以前紹介したが青銅器時代のドイツの村では、埋葬されている男子は遺伝的関係があるが、女子はほとんど関係がない。すなわち、男子が地域に残り、成人した女性は地域から出ていく。代わりに、他の地域から嫁として女性が来るという男系社会が形成されていた。ミトコンドリアゲノム多様性から、おそらく英国でも同じだったと考えられるが、鉄器時代に入って男系から女系へと移行が進んだと考えられる。
この原因として考えられるのは、この時期大陸との交流が特に南イングランドを中心に始まっていたことで、これはエトルリアを起原とする農耕民族ゲノムの拡大と一致する。実際、青銅器時代の英国ゲノムがどの程度維持されるかを調べると、南イングランドを中心に大きく大陸からのゲノム流入による英国ゲノムの低下が見られる。
結果は以上で、この要因からなぜ母系社会が形成されたかを考える必要がある。一つの可能性は、戦争が多発したため、男は地域に定住できず戦線に派遣された結果このような社会構造が定着したという考え方だ。また、南イングランドがローマの圧力で移ってきた人たちのコロニーとして形成されたとすると、戦争の日常化は余計現実味を帯びる。今後、同じ時代の大陸のゲノム解析が進むと、さらに正確な結論が得られるようになるだろう。
しかし、ローマの記録はかなり正確なことがわかる。我が国の卑弥呼についても同じレベルの解析が生まれるのはいつのことだろう。
なぜ母系社会が形成されたかを考える必要がある。
一つの可能性は、戦争が多発したため、男は地域に定住できず戦線に派遣された結果、このような社会構造が堤試着したという説!
Imp:
こうした社会制度の背後にも‘構造=パターン‘が潜んでいるのでしょうか?
『親族の基本構造』レヴィ=ストロース(青弓社)
LLM時代にトップダウンの構造主義はしっくりきません。ただ、最近のマルクス・ガブリエルは逆の意見だと思います。