中国の歴史は漢族と北方民族との戦いの歴史と言って良く、その名残が万里の長城だ。そして秦・漢時代に大きな力を振るったのが匈奴で紀元前3世紀から300年間大きな勢力を持つ。しかし、紀元後匈奴は内部分裂、その一部が西に移動したのがいわゆるフン族移動ではないかと考えられている。実際、幼児期に頭蓋骨を変形させる習慣、墓の向き、遺物の特徴などから、フン族は匈奴の子孫であるという可能性が示唆されていた。当然ゲノム研究からこれが確認されると期待されたが、2023年匈奴の高い位の墳墓から出土したゲノム解析から、匈奴自体が実に多様なゲノムが混じり合った多民族国家であることがわかり、ゲノムからフン族との関係を特定することが難しくなった。
今日紹介するドイツライプチヒのマックスプランク進化人類研究所からの論文は、ゲノムから調べる血縁関係に注目して、匈奴がフン族と関係していることを示した研究で、2月24日に米国アカデミー紀要にオンライン掲載された。タイトルは「Ancient genomes reveal trans-Eurasian connections between the European Huns and the Xiongnu Empire(古代ゲノムからヨーロッパフン族と匈奴帝国の大陸を越えた関係が明らかになった)」だ。
この研究では、匈奴時代、その後の中央アジア、そしてフン族の移動以降のカルパチア盆地から出土した人骨のゲノム解析から、identity by descent (IBD) と呼ばれる、血縁関係を調べるための長く連続した部分の類似性の比較に使えるゲノムを選び解析している。
西ユーラシア、北東アジア、南東アジアのゲノムを3極としたとき、匈奴の人たちは早くから様々なゲノムが混じる多民族国家であることがわかる。そして、フン族も極めて多様なゲノム構成を持っており、匈奴のゲノムとオーバーラップするが、例えばヤムナ民族が移動したような移動の流れを捉えることは難しい。
そこで、明確に IBD が見られる個体、すなわち親戚関係が特定できる個体を探していくと、もちろん20cM(ゲノムの長さ)以上の密接な近縁関係はそれぞれの地域でしか見られないが、8cM−12cM 程度のゲノムフラグメントの共有が、後期匈奴、2−5世紀中央アジア、そして4−6世紀のフン族で見られることを明らかにしている。すなわち、移動様式は明確ではないが、大陸をまたいで近縁関係を形成する人的交流があったことになる。
以上から、フン族と匈奴は間違いなく関係があることを示し、当時の歴史が距離を超えた大きな人間の移動により作られていったことが明らかになった。
スウェーデン人のヘディンに始まる中央アジア探検は、各国が入り乱れた発掘競争になるが、そのときを彷彿とさせるゲノム研究の競争が進んでいるように思う。
フン族と匈奴は間違いなく関係があることを示し、当時の歴史が距離を超えた大きな人間の移動により作られていったことが明らかになった。
imp.
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レビストロースによると人類に埋め込まれた構造の一つのようです。
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