日本の古代史の由来や文化を知るためには中国を中心とした東アジアの先史時代の理解が必須になる。事実、現在はポリネシアなどに強く残っているデニソーワ人も、元はチベット周辺に由来しているのではないかと考えられており、現在探索が続いている。また、中国史として記録に残る、紀元前1600年の殷、周より以前の新石器時代の集落の発掘も進んでおり、ゲノム考古学が進む条件が整っている。その結果、中国のゲノム考古学研究論文をトップジャーナルで目にする機会が増えてきた。
詳しくは紹介しないが、先週出版された Science にも現在のベトナム、カンボジア、タイ、インドなどに広がっている Austroasiatic language を使う民族のルーツを雲南省出土の7500年前の古代人たどる論文が発表されていた(Science 388, DOI: 10.1126/science.adq9792)。
このような民族のルーツを探すゲノム考古学に加えて、今最も面白いのはゲノムから当時の文化を解明する方向で、ヨーロッパについてはこれまでも何度も紹介してきた。今日紹介する北京大学考古学研究大学からの論文は、我が国の登呂遺跡のような考古学公園として公開されている山東省大汶口文化遺跡に属する Fujia 地区の2つの墓に埋葬されていた古代人ゲノムの解析で、6月4日 Nature にオンライン掲載されている。タイトルは「Ancient DNA reveals a two-clanned matrilineal community in Neolithic China(古代DNAによって中国新石器時代の2つの母系氏族社会が明らかになった)」だ。
これまでヨーロッパの新石器時代や青銅器時代の同様の研究を紹介してきたが、基本的には男系社会で、女性は外の村に嫁いでいたことが明らかになっている。この研究では2750年から250年、6世代以上が埋葬されているゲノムを解析し、この領域では新石器時代から徹底した母系社会が形成されていたことを明らかにした。
まず、埋葬されている骨の3割程度が二次葬で、他の場所からもう一度運ばれて埋葬されているため、一部の骨が欠損したりしている。
最も大きな驚きは、母方から受け継がれるミトコンドリアのハプロタイプが、墓1では100%、墓2では96.5%一致していることで、埋葬されている男性女性ほぼ全てが特定の母親を祖先として持っていることがわかった。2つの墓で祖先を示すミトコンドリアは異なるハプロタイプなので、それぞれは異なる氏族の墓であることがわかる。この二つが近接して存在することは、氏族形成過程では異なるハプロタイプを持つ二人の女性が同じ村で異なる氏族を形成したことになる
一方男性型を示すY染色体は極めて多様で7種類以上が確認されており、またそれぞれの氏族でもオーバーラップしていることから、少なくとも埋葬という行為では完全に女系ルールが守られていることがわかる。さらに驚くのは、特に夫婦兄弟であるからと言うような埋葬の仕方が行われているのではなく、同じ氏族が同じ場所に埋葬されていること、そして二次葬が存在するということは、他の場所で埋葬されていた骨も、同じ氏族であれば同じ墓に運んでこられたという点だ。
とはいえ、男性が村を去るというようなことはほとんど無かったようで、埋葬されたゲノムには近親相姦ではないが、4-6親等の近縁結婚が行われていた証拠が存在することから、小さな村で男性は他の母系氏族に加わり、死後はもう一度元の氏族の墓に埋葬し直されたと考えられる。
アイソトープから推察される食物についても、ほぼ全てが栽培されたアワと、それで飼育されたブタ、そして貝などの海産物という極めて限られた食材で生きていたことがわかり、人間の長い距離の移動はなかったと考えられる。
以上が結果で、新石器時代に明確な女系社会が存在していた重要な証拠が出たと思う。とはいえ、母系集団埋葬とも言える埋葬形式が徹底しているため、実際の家族社会がどうだったのかは今後の課題になるだろう。我が国で同じような研究がもっと進むことを期待したい。
ヨーロッパの新石器時代や青銅器時代の同様の研究を紹介してきたが、基本的には男系社会で、女性は外の村に嫁いでいた。
この研究では2750年から250年、6世代以上が埋葬されているゲノムを解析し、この領域では新石器時代から徹底した母系社会が形成されていた.
imp:
母系社会か男系社会か?
地域により異なる点も面白いです。