創薬、特に薬効のある化学化合物を発見するためには、ただ大規模な化合物スクリーニングができれば済むわけでなく、必ず分子の構造が頭の中に浮かんでくる優れた化学者の参加が必要だ。この素養に全くかけている私から見ると、このような化学者はいつも奇跡のように思える。今日紹介するスタンフォード大学からの論文は、化学者の手にかかれば現在ある化合物が魔法のように生まれ変わるということを教えてくれる研究で、1月5日号のJournal of Clinical Investigationに掲載された。タイトルは「Designer aminoglycosides prevent coclear hair cell loss and hearing loss (アミノグリコシドをデザインして蝸牛有毛細胞の変性からくる難聴を防ぐ)」だ。アミノグリコシド系の抗生物質は歴史が古く、ストレプトマイシン、カナマイシン、ゲンタマイシンなどの名前を聞くと懐かしい。40年前に私が医師として勤めだした頃はペニシリンと並ぶ主役だった。特に抗生物質の効きにくい細菌にも使えるので、何か最後の切り札のような感じで使っていた気がする。「最後の」と考えるのは、アミノグリコシド系抗生物質が高率に聴力障害を起こす副作用があるためで、かなり慎重に使わざるを得なかった。この副作用だけを抑え、抗生物質としての薬効を残す薬を作れるかがこの研究の課題だ。この研究のきっかけになったのは、アミノグリコシドが聴力障害を特異的に引き起こすメカニズムを明らかにした研究があるからだ。すなわち、アミノグリコシドは通常細胞内に取り込まれないが、蝸牛の有毛細胞が発現して音を聞くのに重要な働きをしているメカノセンサー分子のイオンチャンネルを通って有毛細胞内に侵入できることがわかった。そこで、カルシウムイオン(陽イオン)が流れ込むチャンネルを通ることのできないアミノグリコシドを、正電荷を減らすことで設計できないか検討したのがこの仕事だ。結果は明快で、シソマイシンをベースに、幾つかの正電荷を減らした合成物を作成し、副作用と抗生物質の効果を調べたところ聴力障害性の少ない抗生物質ができたという結論だ。生理学的に、この副作用が予想通りメカノセンサーを介していることも示している。生理学と化学が統合されたいい仕事だと思う。抗菌性の抗生物質は今でも医療の重要な柱だ。同じような見直しで、より優れた抗生物質が開発されることを期待する。しかしこの論文の著者を見ていると、耳鼻咽喉科、腎臓内科、小児科の研究者が生理学者と協力してこの薬を開発したことがわかる。即ち、日々の臨床でアミノグリコシド系抗生物質の副作用をなんとかしたいと思っている医師のイニシアチブが感じられる。このような協力関係が築けることこそが大学の使命だと実感した。